大喜利のお題

春雷

第1話

「この中に収録されているようです」と伊藤が言った。

 それは一枚のCDだった。ケースに収められている。白いディスクで、表面にはペンで「禁忌」と書かれている。

 ここは伊藤の研究室だった。大学の研究棟の1階にある。室内は狭い。東側の壁は本棚になっていて、様々な本が適当に並べられている。一生かかっても読みきれないだろうな、というくらい沢山の本があった。彼の専門である民俗学の資料が多かった。

 部屋の北側には窓があり、その手前に彼のデスクがある。デスクの上には3つディスプレイがあり、その下に2つキーボードがある。デスクの右側にはモデムがあり、左側は書類と書籍が乱雑に積まれている。ボールペンやシャーペン、タッチペンがデスクのあちこちに転がっている。デスクの前にはゲーミングチェアがあった。伊藤はそれに座って仕事をしているのだろう。

 北側の壁や窓には、大量のメモが貼られていた。窓にメモを貼っているせいなのか、部屋は少し薄暗い。いや、そんなわけはない。天井を見上げると、蛍光灯が一本しか点っていなかった。

 部屋の西側には長テーブルが置かれていて、パイプ椅子が二脚ある。そのテーブルの上にも書類と書籍が山ほど積んであって、少し揺らせば雪崩が起き、人が埋まってしまうのではないか、と思うほどのものだった。

「私は全てを知りました。だからメールであなたをこの研究室に呼んだのです」

 伊藤は、デスクに近寄り、書籍の塔のてっぺんに積まれていたCDケースを持ち上げた。

「この中に収録されているのは、いわゆる滅びの音です。この音には依存性があると言います。それも強烈な依存性です。煙草や酒、コーヒーなどはもちろんのこと、覚醒剤やコカイン、大麻などといった違法薬物よりも依存性が高いと言われています。この音が脳を徹底的に破壊して、人格を破綻させます。つまり、人を狂わせるのです。

 もちろん、その音が存在するかどうかは都市伝説的なレベルの話でしかなく、実在は疑われているどころか、学術的には、ほとんど無視されているような話でした。実際、私もそんな音があるなんて思っていませんでした。一部の地域では伝承されている話ではありましたが、学問として扱うレベルの話であるとは、全く考えていませんでした」

 伊藤は、俺に椅子に座るよう手で示した。俺は近くにあったパイプ椅子を引き、そこに座った。

「ネット上には、この音に関する真偽不明の話がいくつも転がっています。〇〇村の住民がみな、この音に夢中になって狂い、住民同士で殺し合いを始めたとか、〇〇町のとある学校でこの音が流行り、その音を聞いた生徒たちが、集団で失踪した、とか。噂レベルの話を含めると、ネット上にはこの手の情報が溢れています」

 伊藤はキーボードを片手で操作して、動画サイトを立ち上げた。3つある内の、真ん中のディスプレイにそのサイトが表示される。

「この動画サイトにも、その音に関する情報が溢れています。滅びの音を聞くこともできます。しかし、実際にはそれらはすべてガセネタで、本物の滅びの音は、動画サイトには投稿されていませんでした。それらをガセと言い切る根拠はいくつかありますが、そのひとつには、私が聞いてみた結果、依存性を確認できなかった、というものがあります。科学的に分析した結果も同様のもので、投稿された音声データは、どれも通常の範囲内のごく普通の音だという結果でした」

 伊藤はサイトを閉じ、画面を切った。

「やはり滅びの音はないのだ、という予測が正しいことを裏付けるデータが、次々と揃っていきました。しかし、私には、滅びの音なんてない、と結論づけることができない、ある事情がありました。そもそも私は、その事情によって、この与太話としか思えないことを、研究し始めたのです」

 コーヒーを淹れましょうか、と伊藤が言った。俺は首を振った。伊藤は話を続けた。

「私の姉が、先日亡くなりました。死因は溺死でした。川に転落し、そのまま流されたようです。普段は流れの穏やかな川ですが、降り続いた雨によって川が増水していたのです。姉は川に架かっている橋から転落したものと思われました。体内からアルコールが検出されたため、酔っ払って、雨の中、橋をふらふらと歩き、何を思ったのか、欄干から身を乗り出して、そのまま川へ落ちていった。といったことが推測されました。まあ、おそらくこの推測は当たっていると思います」

 体を少し傾けると、パイプ椅子がギイっと軋んだ。伊藤はずっとCDを眺めていた。

「しかし不思議なのは、姉が酒を飲んでいたことです。姉は下戸でしたし、また彼女が信仰している宗教の教えでは、アルコール類を禁止していましたから、姉は酒を一切飲まないんです。ノンアルコール飲料も、ほんの少しアルコールが含まれている場合があると言って、一切飲みませんでした。飲み会には参加しますが、姉はソフトドリンクか、お茶しか飲みません。それくらい徹底してアルコールを避けていたんです。飲み会自体は好きだったみたいですが、亡くなった当日、姉は飲み会には参加していませんでした。つまり、無理やり誰かに飲まされた、というわけではないようです。そもそも、姉はその日、ほとんど外出せず、ずっと家にいました。

 その日、家を出たのは2回。姉は、近所のスーパーを周り、大量の酒類を買い込んでいます。雨が降る前、午前中のことです。店員の証言と監視カメラの映像で、この行動は裏付けられています。その後、姉はずっと自宅に籠っていました。酒を飲み続けていたものと思われます。その間に、豪雨が発生。街に雨が降り続けました。そして姉は深夜3時ごろ、ふらふらと家を出て、橋を渡る途中で欄干から身を乗り出し、そのまま転落しました。警察は自殺と事故、両方の可能性があると見做し、捜査を進めていましたが、最終的には、事故と断定しました」

 窓にハエが止まった。しばらくじっとしていたが、やがて何処かへ飛んで行った。

「それで個人的に調べたんです。姉が改宗したのか、人間関係のもつれがあったのか、職場でトラブルがあったのか、様々な可能性を検討し、それらの仮説を、ひとつひとつ検証していきました。しかしどの仮説も決定的な結論に至りませんでした」

「で、滅びの音に行き着いたのか」

「ええ」伊藤は頷いた。「藁にも縋る思い、とはこのことです。あらゆる可能性を検討した結果、どれもしっくり来ない、という状況になった結果、私は通常ならあり得ないだろうと判断する可能性に飛びつきました。その一つが、滅びの音、でした」

 伊藤はCDをデスクの上に置いた。

「姉の行動に変化が生じたのは、死亡する2日前でした。職場での言葉遣いが少々、荒っぽいものになったのです。宗教上、言葉遣いには気を使う方でしたから、同僚も不思議に思ったそうです。姉が疲れているのだと思い、休暇を勧めたようです。そして姉は3日間の休暇を上司に申請しました。結局、2日間の休暇としてその申請は受理されました」

 時計を探したが、この部屋には掛け時計がなかった。

「死亡する2日前、つまり姉の言葉遣いに変化が生じたその日に、姉はある人物に会っています。私は、姉がその人に会ったために、姉が変わったのだと推測しました」

「その人物とは、俺のことだな」と俺が言った。

「ええ。あなたです」と伊藤が言った。「そして、あなたは有名なオカルトマニアで、ユーチューブやSNSで盛んにオカルトの情報を発信しています。その中に、滅びの音がありました。あなたは滅びの音について何度も言及しています。いくつかの企画を立て、滅びの音に関係しているとされる場所を訪れています。

 そんなあなたが、どうして姉と接触したのでしょうか」

「さあな」と俺がとぼけると、伊藤が俺を睨んだ。

「あなたは姉が所属している宗教団体に、企画で潜入していましたね。姉の仕事は宗教法人の事務で、あなたはその法人にも接触していた。オカルト的な興味から、その団体に接触したのでしょう。その団体は、それほど閉鎖的な団体ではないので、あなたは潜入しやすかったはずです。あなたはそこで、いったい何をしたかったのか。宗教団体の情報を得て、それをオカルトとして発信したかった? 確かにそれはあるかもしれない。けど、それだけじゃなかったはずです」

「それだけじゃなかった、とは?」

「私はあなたの行動を徹底的に調べました。あなたが姉の死の真相に迫る、重要な鍵だと思いましたので。

 あなたは滅びの音について、ずっと調べていました。そして、とある山奥の村へと足を運びました。そして、そこで滅びの音を得たのです。村民は亡くなっていました。喉を掻きむしってね。きっとあなたが、滅びの音を聞かせたのでしょう。どうしてあなたは滅びの音に辿り着いたのか。それはファンからDMを貰ったからです。彼はその村の村民で、滅びの音がどこにあるのか知っていました。あなたはいくつかガセネタを掴まされましたが、とうとう本物を引き当てました。

 あなたは長老が持っていた、滅びの音が入ったCDを盗み出しました。その音をファンの村民に聞かせました。彼が喉を掻きむしって死んだのを見て、音が本物であることを確信したあなたは、次に音を使う場所を探していました。

 それが、姉の所属している宗教団体でした。

 彼らが全員、頭がおかしくなって死んだとしても、あるいは警察や世間は、宗教自体に理由を求める、という誤った推測をする可能性があります。あなたが自分へ疑惑の目が向く可能性を少しでも減らそうとして、姉の所属する団体に接触したのか、本当のところはわかりません。とにかく事実として、あなたは団体と接触し、姉に近づきました。

 音を聴かせたかったのは、オカルト好きが講じてのことでしょう。つまり、好奇心です。人間がその音を聞くとどうなるのか、もっと知りたかったんだ。

 そしてあなたは、姉に音を聞かせました」

 窓の外では、日が暮れなずんでいた。

「姉を狙ったのは、姉が人付き合いのいい性格であったこと、姉のポストが空けば、あなたがそのポストに収まる可能性が高まり、団体のより内部に潜入することができ、彼ら全員に音を聞かせる確率が高まる、と考えたのでしょう。あなたはVチューバーとして活動していたので、顔で素性がバレることもありませんでした」

 日が落ち、部屋が暗くなった。蛍光灯の光だけでは、光量が全然足りない。

「私はあなたのことを徹底的に調べ上げました。非合法な手段も取りました。全て姉の死の真相を知るためです。あなたが興味を抱いている滅びの音についても徹底的に調べました。あなたの家に忍び込んで、滅びの音を探しました。結局、見つかりませんでした。あなたは滅びの音を肌身離さず持っていたのか、どこかに隠していたのか、それはわかりません。

 私は、あなたが滅びの音を手に入れた村に行きました。死んだ長老の家に忍び込み、音を探しました。5日かかりました。このCDが屋根裏から見つかりました。屋根裏に秘密の扉があって、その中の金庫に入っていました。金庫はダイアル式で、開けるのに18時間かかりました」

「そのCDが本物だと思う根拠は?」

「使用したからです。その村に住む若者に音を聞かせました。ヘッドホンで聞かせたので、僕は聞いてませんが、明らかにその若者の行動が、時間が経つにつれ異常性を増していった末、死亡したので、この音が滅びの音であることを確信しました」

「実験体にその若者を選んだ理由は?」

「大した理由はありません。私が長老の家にいるところを、その若者が見つけたからです。不法侵入で警察に捕まるのも面白くないですし、私にはあまり時間がありませんでした。あなたが団体の中で、旅行を企画していることを知っていたからです。旅行先で、あなたは彼らに音を聞かせるつもりだ、と推測しました。私は100名以上いる彼らの命を救うために、若者の命を犠牲にしました。旅行は、明日からでしたよね。何とか間に合ったわけです」

「で、私にその音を聞かせるわけか?」

「ええ」と伊藤は俺の目を見て言った。「一緒に聞きましょう。すでにパソコンにデータは取り込んであります。私がキーボードを押せば、音が流れます」

「ふん」と俺は鼻を鳴らした。「必要ない」

「必要ない?」

「俺はすでにその音を聞いている」

「滅びの音を聞いている? それなのに、あなたは気が狂っていないのですか?」

 俺の言葉を疑ったのだろう。彼はキーボードを押した。その音が流れた。滅びの音である。その音は、キィィィィっという、バイオリンの音を小さく絞ったような、小さくドアが軋んだ時のような、そんな音だった。

 伊藤は、何度も、何度も、キーボードを押した。その度、滅びの音が流れた。彼はだんだん、おかしくなっていった。キーボードを狂ったように叩き、暴れた。机の上の書類や書籍が散らばり、床に落ちた。ディスプレイを足で蹴って、画面をバキバキに割った。あああああ、と叫び、俺に掴みかかった。

「何故だ、何故、お前は正常でいる!」

 俺は伊藤に言った。

「          」


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大喜利のお題 春雷 @syunrai3333

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