父とトウモロコシ
ゆぐ
父とトウモロコシ
私の父は、トウモロコシを一粒一粒丁寧に取って食べる人だった。
でも、ある時を境に変わってしまった。
去年の12月のことだ。父が倒れた。結構重い病気で、倒れた当初、腹の中で出血していたらしい。お医者さんからは、生きていたのが奇跡とまで言われた。そのまま入院した。
私は学校の兼ね合いで、土日しかお見舞いにはいけなかった。
ICUにいた父の姿は、私が生きていた中で、存在しない衝撃的な姿だった。全身を管に繋がれ、身動きができない状態。もちろん、話すことさえできない。排泄もできないため、それも管を通してやっている。あの臭いは、忘れることもできない。
これと言って、厳格でもなく、一緒に遊んだ記憶もそこまでない。父親なのに、どこか距離がある。だから話すときは、緊張する。どう接していいかわからない。2人っきりになったら、緊張して話すこともできない。家族内での会話はほとんどない。そんな関係だった。それでも私の父親だ。そんな人が、見るも無惨な姿になっている。
でも正直言って、そんな姿を見ても、私はなにも感じなかった。状況をうまく飲み込めていないのか、それとも私の心が枯れているのか、自分の感情がさっぱりわからなかった。
そして父は晴れて退院、自宅での生活に戻った。といっても、本来の生活にではない。ほとんど病院にいたときと変わらないベッドでの寝たきり生活だった。ご飯と排泄以外常に横になっている。入院する前の体形とは、ほど遠いやせた体になっていた。
それでも、私の心は微動だにしなかった。むしろ前よりも話さなくなた。家の中ですれ違っても目も合わせず、ただ横を通るだけでなにもしない。挨拶もしなくなった。父もどこかよそよそしくなった。お互いに干渉しなくなた。
そんなある日だ。夕食にそうめんが出てきた。食卓も夏の食事がメインだった。その中に茹でたトウモロコシがあった。父はいつも全部の食事を食べたあと、トウモロコシを一粒一粒丁寧に手で取って食べる人だった。でも、あの日の父の食べ方は違った。勢いよくかぶりついて食べていたのだ。
私はなぜかそれに衝撃を受けた、今まで何も感じなかったのに。食べ終わったあとのトウモロコシの芯は、今までとは違っていた。私はそれを見て、絞り出たのは「あぁ、変わってしまったんだな」、ただそれだけだった。
今もろくに会話も挨拶もしていない。これと言って、関係を直そうと思わない。たぶん今ではないのかもしれない。もう少し先か、もっとあとか。そのままでもいいのかもしれない。でも、それではいけないのかもしれない。分からないが、ただこれだけは言える。
「失うときには、後悔したくない。」
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