眠れる獣 ー前編ー
コツ...コツ...コツ...
薄暗い廊下で靴の音が響く。
切れかかっている蛍光灯がチカチカと廊下を薄暗く照らしている。
「最悪だ...まだ新人だっていうのになんで僕が世話係なんか...」
僕はぶつぶつと独り言をつぶやきながら廊下をとぼとぼと歩いていた。
「失礼しまーす...」
ゆっくりとドアを開けて恐る恐る被検体管理室に入る。
そこには黒縁のメガネをかけて、カルテを読み込んでいる
「...お、来たか」
入ってきた僕を見るなり、カルテを置いてゆっくりと腰を上げた。
安達先輩は、カルテの代わりに今度は引き出しから名簿を取り出して目を細めた。
「
と、先輩は僕を小馬鹿にしたように言った。
「失礼ですね。僕は泣きついてません!けど、2年目で世話係って...ちょっと、早くないですか?」
「それだけ人が足りてねぇんだろ。所長も言ってたしな。人手が足りなきゃ息子を使えって」
相変わらず父の人使いの荒さに改めて呆れる。
「さ、準備はいいか」
安達先輩がさっきとは打って変わって真面目な顔になる。
「世話係ってのは、最悪命を落とすこともある。...この間の事件、知ってんだろ。
先輩が言っているのはおそらく、1週間前、被検体に致命傷を負わされて亡くなった研究員の出来事だろう。
「...はい、気をつけます」
「よし。何かあったら俺に連絡しろ。すぐ対応してやるから」
そう言って先輩は僕の背中をバシバシ叩いた。
力が強くて背中がじんじんと痛む。
「ありがとうございます」
僕のお礼の言葉を聞いてから、先輩は頷いて被検体のケージがある部屋のドアを開けた。
厳重な扉は声や音も遮断しているらしい。
開けた途端、うめき声、鳴き声、爪でケージを引っ掻く音など、一気にたくさんの騒音が流れ込んできた。
「人間、だったんですかこれ...」
「まぁな。でも、人間だったからと言って歩み寄れると思わない方がいい。...喰われるぞ」
先輩はそれだけ言ってケージへと歩を進めた。
僕もそれにならって担当する被検体を探した。
「053...053...あっ、この子ですか」
僕がケージを指さすと、
「手ェ引っ込めろ!!!」
と、先輩が叫んだ。
思わず、ひゅっと手を引っ込めると、
「グルルルル...」
と耳元で唸り声が聞こえた。
「お前、指無くなるとこだったな。ケージに手なんか伸ばすんじゃねぇ」
先輩はその後にふーっと息を吐いて
「やっぱお前1人には任せておけねぇなぁ。俺も他と並行して3日間は一緒にいてやるよ」
そう言ってくれた。
「3日だけですか?」
「甘ったれんな。人手足りてないって言ってんだろ」
先輩は持っていた名簿で僕の頭をこづいた。
「はぁい...」
仕方なく3日間という約束を了承し、先輩からカルテを受け取った。
「...元の名前とかあるんですね」
「まぁな。元々人間だったんだからな。そいつも可哀想なヤツだよ」
「え?...あっ!」
カルテを読んでいくと、異種混合族になった
「捨てられていたところをA氏に拾われ、被検体に...って、A氏って確か...」
先輩に目線を向けると、険しい顔で天井を見つめていた。
「違法実験で捕まった野郎だな。その被検体がえらく学習能力が高いのも、違法薬を使用していたからだよ。言葉も話せるんだ。すげぇよな」
改めて被検体を見る。
綺麗な顔立ちをしていて、美少年とはこのことだなと思った。
けど、よだれを垂らして唸る姿は獣そのもので、醜かった。
「この子が話せると思えないんですけど」
そう言いながら再度ケージに近づく。
「この間聞いたんだよ。この耳で。『ここから出せ!』って言ってんのをな」
と、先輩が自身の耳を指さしながら言った。
意思疎通ができるようになったら退所させることができるかもしれない。
「まぁ、治療薬ができるまでの辛抱ってとこか。いつできるんだろうなぁ、アレ」
「先輩は開発部隊じゃないんですか?」
「え?いや違う。元々医者だったんだよ。だから世話係に配属されてんの」
なるほど。確かに先輩が血を抜いたりしているのは見たことがあるが、薬の調合やそれらしいことをしているのは見たことがない。
「薬の開発はおろか、ここに運び込まれる異種混合族だけでも人手は死ぬほど必要なんだよ。だからまだまだ道のりは長い」
先輩が言い終わるとすぐに扉が勢いよく開いた。
「あっ、安達ちゃん、こんなとこにいた!」
白衣を着て、ボブヘアにした黒髪をふわふわに巻いた女性が入ってきた。
「あれ、お前今から実験じゃ...」
「そのためにアンタの被検体を迎えに来たのよ。ほら、ケージ!」
何やら慌ただしく女の人が指示を飛ばしている。
すると、ようやく女の人がこちらに気づき、ぱっと笑顔になった。
「あらっ、あなた所長の息子さんよね。たなたも大変ねぇ、友結くん」
「えっと...あなたは...」
「やだごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私は薬開発部隊にいます、和田ひまりです。よろしくね」
「てことは科学者だった...」
そう言いかけたと同時に凶暴な鳴き声が聞こえた。
「ギャアウッ」
鳥の特徴を持った女の子だ。
大きな羽をバサバサと動かして抵抗している。
「そのまま連れてきてちょうだい、安達ちゃん。友結くんもまたね!」
ひまりさんはそう言残して出ていってしまった。
あのヒールでよくもまあ走れるなとぼんやり考えていた。
ひまりさんに続いて安達先輩も出ていった。
「頑張れよ」
と、一言残して。
鳴き声と雑音しか聞こえなくなったこの部屋でもう一度カルテに目を通す。
「担当者が決まった被検体は各自観察室に連れて行く、と」
白衣のポケットからカードキーを取り出し、カードリーダーにかざし、暗証番号を押す。
すると、ケージがキィーッと音を立てて下に降りてくる。
ケージをカートに乗せてゆっくりと部屋を出た。
「ここの廊下、不気味なんだよなぁ」
切れかかった蛍光灯がちかちかと点滅している。
観察室に入ると、長いこと使われていなかったのか、ほこりっぽく、カビ臭かった。
ケージを設置場所に置き、ロックをかける。
その音に反応して被検体が暴れ出した。
一瞬びっくりしたが、慣れないとやっていけないぞ、と自分の頬をパシッと叩いた。
それからデスクに向かい、またカルテをじっくりと読み込んだ。
覚えるまで読み込んだ。
「日誌も書かなきゃいけないの、面倒だなぁ」
怖さを紛らわすため独り言をぶつぶつ言った。
その様子を被検体がじっと見つめていた。
まるでこちらを観察しているかのように。
僕もそれに対抗して声をかけてみた。
「君、狼みたいだね。かっこいい」
そしてゆっくりケージに歩み寄った。
「それから、君には名前があるんでしょ。たしか...」
「グアウッ」
それを遮るように被検体が吠える。
「...言葉が分かるっていうのはあながち間違いじゃないみたいだね。そう、ならNo.053って呼ぶよ」
それから食事準備室に被検体の食事を取りに行くことにした。
「君のごはん、取ってくるから」
カルテに被検体の年齢は17歳前後と書かれていたが、それ相応に聞き分けの良さそうな子だなと思った。
それからケージの前まで食事を持って行くと、すんすんと匂いを嗅いでいた。
その様子には愛嬌があり、普通の人間ならさぞモテたことだろうと勝手に想像を膨らませていた。
「少し君と話せたらいいんだけど…君もまだ怖がってる、よね」
どうやったら心を開いてもらえるのか5分くらい、真剣に頭をひねっていた。
「あ!」
僕の声に被検体は体をビクッと震わせた。
「あ、ごめんごめん。びっくりしたね。…そうだ、匂いを覚えて貰えばいいんだよ」
僕は、ポケットに入れていたハンカチを取り出し、ケージに近づけた。
被検体は恐る恐る鼻を寄せ、匂いを嗅いだ。
それから僕の顔とハンカチを交互に見やり、
「お前のか?」
と言うように眉をひそめた。
「これが僕の匂いね。…僕、友結っていいます。今日から君を担当するよ」
被検体はふんっと鼻を鳴らすと、そっぽをむいてしまった。
吠えもしないし、噛みつきもしない。
「…いい子じゃん」
その声に被検体の耳がピクッと動いた気がした…
コンコンコンッ
扉をノックする音が聞こえた。
日誌を書いている最中だったので
「開いてます」
とだけ返事をした。
ガチャっと扉が開く音がして、
「お、ちゃんとやってるじゃねぇか」
というお馴染みの上から目線な言葉と共に現れたのは
「安達先輩」
「よう。被検体もずいぶんおとなしいな」
「先輩はああ言ってましたけど、いい子でしたよ」
「あ?俺なんか言ったか?」
「『人間だったからって歩み寄れると思うな』って」
すると先輩は腕を組んで壁にもたれながら言った。
「ああ…。どうだかな」
しばらくして先輩は白衣を脱ぎながら
「そろそろ終業の時間だ。それ書いたらさっさと終われよ。施錠も忘れんな〜」
と言って出ていってしまった。
「手伝ってくれるって言ったのに…」
先輩への文句をぶつくさと漏らしながら日誌を完成させていく。
それからケージの施錠をして部屋を出ようとした。
「友結」
低く、だけどまだ少年らしさが残るような声が聞こえてきた。
振り返ってケージを見る。
「いや、まさかね」
空耳だ、きっと。そうだ空耳だ。
そう思うことにして部屋の鍵を閉めた。
自室に帰ってからも僕の名前を呼んだ声が耳から離れなかった。
「…お腹すいたな」
ずっと考え事をしていたせいか、ベッドサイドの時計を見ると日付を超えていた。
ベッドからゆっくり起き上がって購買へ向かう。
この異種混合族治療施設は、研究員たちが住み込みで働けるよう、部屋や購買、シャワー室などが完備されている。
僕は大学を中退してここで働く代わりに衣食住の保証を父さんにしてもらうことになっている。
まあどっちにしろ、父さんの病院を継ぐことに変わりはなかったけど。
購買にはまだ何人か残っていた。
「友結くんっ」
後ろから女性の声が聞こえてきた。
「あ、ひまりさん」
「夜食でも買いに来たの?奢ってあげよっか」
「いやいや!悪いですよ…」
「遠慮しないで…私だって一応先輩なのよ〜?」
「ありがとうございます…」
ひまりさんは僕に向かってぱちっとウィンクをしてから、自身の夕食であろうサラダとおにぎり、缶ビールをカゴに入れ、僕の夜食と一緒に会計をした。
近くの休憩スペースで2人並んで食べることにした。
隣に座ると、ふんわりと香水の香りが漂ってきて、いかにも大人の女性って感じがした。
妙にドキドキするのはきっと僕が女性慣れしていないせいだ。
「世話係、怖くないの?」
ひまりさんがビールの缶をぼんやりと眺めながら僕に訊いた。
「…最初は怖かったですよ、すごく。でも、たった1日世話しただけですけど、思うんです」
「…?」
「あの子は悪い子じゃないって」
ひまりさんは僕の横顔を見つめ、それから缶ビールを置いた。
「No.053、だっけ」
「ええ、はい」
ひまりさんの声のトーンが下がる。
「あの子、人を1人、植物人間にしてここに送り込まれたらしいのよ」
「そう、ですか」
数秒間、2人の間に沈黙が流れた。重く、長い沈黙だった。
「植物人間になった人がね」
「私の、娘だったの」
異常域で僕らは壊れていく 渡世 雨夜 @amakun6677
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