人でなしな神 可奈恵の報告書 3 廃墟の四老人

CHARLIE(チャーリー)

廃墟の四老人 四百字詰め原稿用紙二十一枚

 アタシが塒にしている教会の近くに、永年放置された焼き肉屋が在る。地球人で言うところの二十年ほど前に閉店し、その後すぐに火災が起きた。それきり放っておかれているものだから、若い人たちの恰好の心霊スポットになっている、ということは知っていた。

 元々この建物に霊体なんて居なかった。なのに心霊体験を目的に人々が集まって来るうちに、成仏できない霊も勝手に集まって来るようになってしまった。霊同士のそういうコミュニケーションは活発なのだそうだ。地球上に在るいくつもの心霊スポットと呼ばれる場所の殆どは、人間の思念が霊を呼び寄せた施設のようである。この元焼き肉屋と同じで。

 そうなのだ。元々はこの建物に霊体なんて居なかったのだ。なのに、人間たちが見えてもいない幽霊を恐れたり、たまたま聞こえた物音にビビったりしているうちに、幽霊の溜まり場になってしまっているわけだ。

 しかも今は八月半ばのお盆、いや、正確には月遅れ盆である。盆にしても月遅れ盆にしても、日本では霊界から魂が里帰りする。そういうふうに日本を管理するアタシの母星、いて座Aスターの、アタシや管理官よりももっと偉い、日本を管理しているブロック長が遥か昔に定めたのだそうである。アタシが塒にしている教会に通い、キリスト教を信じている人でも、日本に暮らしている限り、死後も例外はないそうである。

 ほかの国や地域でも、霊界から魂が里帰りする時期というのは、例えばアメリカであればハロウィンの頃だとか、ほかは詳しく知らないけれど、昔からの言い伝えどおりのタイミングと決まっているらしい。外国の神、というか、アタシみたいな一般職員と接触する機会が少ないもんで、ほかはよく知らないのである。

 ほかの寺社を塒にしている神々は、持ち場を離れることはあまりない。アタシもしょっちゅう、直属の上司である管理官から、辺りをうろつくなと叱られている。だけどアタシやアタシの恋人の龍神、龍司は、じっとしているのを好まないし、人間を観察したり運命をいじったりするのを楽しんでいる。だからなおのこと叱られて、もはや呆れられている。

 しかし。アタシたちのほうにも言い分はある。自分たちがうろつく理由があるのだ。自分が塒にしている寺社の傍にどんな人間が暮らしているのか、どんな問題が持ち上がっているのか。そういったことを知っておく必要があると、龍司やアタシは思うのではあるが、その気持ちの根源にはお節介や好奇心が在ることは否定できず、そういう人間的感情を持つ段階で、神失格と言われるのである。とは言え罰を受けさせられることはない。「罰として母星へ戻って研修を受けて来い」という、人間界で取られるような処罰はないのだ。

 と言うことで今夜、世間が盆休みに入っている夜、アタシは空の高い位置を平泳ぎするように浮遊しながら、近所の焼き肉屋跡地まで来たのである。

 見覚えのある男の子が車を店の前に停める。この男の子はもう二十代半ばくらいであろうか。教会へ来たことは一度もないが、幼い頃からアタシはこの子の顔を見知っている。勉強もスポーツも特段できるわけではない。そこそこの高校に入りそこそこの大学を卒業し、数年前から地元に在るそこそこの企業で働いている。昔から、背も高くなく低くもなく、痩せてもおらず太ってもいない。こういう蓄積データがあることは日ごろの巡回の賜物だと思うのだが、仲間内で評価されることはなかろうな。

 後部座席から、痩せて小柄な男と、太って大柄な男とが出て来る。まんがみたいな組み合わせだなとアタシは笑う。

「なあガリ」近所の子は痩せた子にそう呼びかけている! あだ名くらいもうちょっとヒネれよ、とアタシはまた笑う。「ほんまに入るんか?」

「お前怖気づいてんのか?」

 ガリと呼ばれた子が冷やかす。ガリ。寿司屋の息子か!? まさかな!

「あかんぞぉ」太った子はにたにた笑っている。「ガリのバチェラーパーティなんやからなぁ」

「デブが一番怖がりなクセに」

 近所の子は言う。太った子のあだ名もそのままデブのようである。ガリ、デブ、と来たら、近所の子はなんと呼ばれているのか? よもや「フツオ」ではあるまいな。でも……だったらおもろいな。

「まあええやん」ガリが言う。「フツオが乗り気でないんやったら、デブとオレの二人だけで行こうや」

 うわあ! ほんまにフツオなんや。よっぽどコイツらアホなんやな。でもアタシはこういうアホ丸出しな青年たちは嫌いではない。

 実はアタシには、初めてガリとデブを見た瞬間から、見えている。フツオについては以前から知っていた。この時期にふさわしい、彼らの親族が体験した悲惨なこと、死してなお語り継ぎたい強い思いが。

 アタシたちに、人間がよく口にする「偶然」という概念はない。管理官のすぐ上には係長補佐という役職がある。彼らは、人間が母親の胎内で着床した瞬間から、その人間が辿る人生をこと細かに設計する。人生とはそうやって創られているのである。だからこそ、人間の運命をアタシが気まぐれに変えると、管理官から係長補佐へ報告が上がり、係長補佐は設計図を書き換えなければならなくなる。なのでアタシは嫌われるのである。

 それにしても彼らの曾祖父……三人ともそれぞれに……少々でき過ぎのようにも思えるが、こういうことも係長補佐は割とよくしている。案外遊んでいるのか投げ遣りになっているのか……嗚呼それはアタシみたいな変わり者の考えだ。普通のいて座Aスター人には感情なんてないものな。

 なのにこの三人の先祖たちは自己顕示欲が極めて弱い。なのでアタシは彼らの手助けをすることにした。

 ちょうどそこに手頃な浮遊霊が居たので、呼び寄せて手伝わせることにする。さしずめ、俳優のスカウトみたいなモンだ。


 デブがスマホで灯りをともし、入口の扉、割れたガラスをまたぐ。そのあとにガリが続く。フツオはまだ口の中でもごもごと気乗りしないというようなことをボヤきつつも、二人のあとに続く。

「え?」

 ガリとデブが立ち止まる。デブのデカい背中にフツオがぶつかる。

「なんやねん」

 フツオが文句を言う。

 アタシがイタズラをしておいたのだ。

 フツオも店内を見る。

 デブはスマホの灯りを消す。

 そこは古い蛍光灯の黄ばんだ灯りがともる、六畳の畳の間、に見えるようにアタシがイタズラをしているのである。古くてボロいアパートの一室を造った。中央に丸い火鉢がある。奥に一人老人を座らせている。アタシがスカウトした幽霊である。

「まあ座れや」

 老人は三人を見上げて笑う、

「は、はい……」

 ガリが頭を下げると老人は、

「何敬語使てんねん。もうとうに戦争は終わったんや。幼なじみ同士、敬語抜きの無礼講でいこうや」

 老人は笑いながら三つの湯呑みに一升瓶から日本酒を注いでいく。

 ガリ、デブ、フツオは老人を囲んで座る。

「乾杯でもしよか」

「ぼくは車なんで……」

 フツオが小声で言うと老人は、

「今夜は泊まって行くんやろ? せやったらええやないか」

 老人は言って豪快に笑う。

 フツオはほかの二人と顔を見合わせる。三人の顔は、

「コイツ誰やねん? ここってホンマにあの焼き肉屋跡の心霊スポットなんか?」

 と言っている。現状に対して強い違和感を持ち、不信感を抱いている。

「ほな乾杯ぃ!」

 老人の陽気な呼びかけで四人は乾杯をするが、若い三人は何のための乾杯なのかわかりかねていてきょとんとしている。


「ガリはどこへ行かされとったんかいなあ」

 老人は彼らの思いを一切意に介さず訊く。

「オレはシベリアや……」

 ガリの口は勝手に動く。そのことにガリ自身が驚き、デブもフツオも目を見開いている。

「そうか……生きて帰って来られて良かったなあ」老人はしみじみと言う。「デブは?」

「オレは南方、インパールや」

 デブの口からもすらすらとことばが出る。そしてまた三人で驚いている。

 三人とも老人の正体を知りたがっているが、正体を知るのを怖いとも感じていて訊き出せない。アタシが勝手に引っ張って来た浮遊霊だと知ったら、さすがにビビるかな?

「嗚呼……牟田口か……そりゃあエラい目に遭うたなあ……お前も、生きて帰って来られて良かったなあ」老人は目に涙を泛べている。「フツオは?」

「オレは……広島……呉におった。海軍兵学校や」

 老人以外の三人の驚き具合は少し小さくなった。しかし「広島」と聞いたとたん、別の種類の驚き、恐怖を含んだ驚きが表情に現われた。

「なら……原爆か……?」

 老人の問いにフツオは当然のように小さくうなずく。老人は続ける。

「それでその……左の頬にケロイドが……」

 そのことばを聞いてフツオはさらに違う種類の驚きの表情を泛べる。そりゃそうだろう。それはフツオのひいじいさんのことなのだ!

 ガリの曽祖父はシベリアに抑留された過去を持つ。デブの曽祖父はインパールに派遣され牟田口廉也のデタラメな作戦で一命を取り留めた。デブの曽祖父は連隊の中でも特に牟田口に反抗的・批判的であったために、一番ひどい任務に就かされた。よほど生命力が強い人だったらしく、同じ任務をしていた中で唯一生き残り、帰国できたのであった。そうしてフツオの曾祖父は被爆者。つまり、日本の戦時中において、代表的とも言える大きな事件・戦闘の犠牲、悲劇、惨劇を経験した人間の子孫が集っているわけである。

「家族は?」

 と訊いたのはガリである。ガリ自身にも、その質問を自分が発しているのか、さらにフツオに向けられているのか、フツオの体を借りてしゃべっている誰かに対してのものなのか、よくわかっていない。アタシにもよくわからない。「神」なんて所詮この程度の力しか持ってへんのやで!

「呉に行ってたんはオレだけで、家族はみんな奈良に残ってたからな。でもあのあとは連絡が付くようになるまでにエラい時間がかかったから、家族には心配をかけた」

 フツオの口は自然と動く。フツオは家族の誰からもそんな話を聞かされたことがないので、自分が嘘をついているような気になり戸惑っている。

「せやろなあ」

 デブの同情する声。これもガリと同じで、いろいろとよくわかっていない。

「でもな」老人が大きな明るい声を出し、骨ばった大きな手で一度手を叩く。「オレらは生き残ったやないか。生きて帰って来た。生かされたんや。それだけで充分やないか。そない思わんか?」

 若い三人はそれぞれにうなずいている。

 老人は全員の湯呑みを日本酒で満たす。そして、自分の湯呑みを持ち上げる。ほかの三人もそうする。老人は、

「献杯!」

 叫ぶ。ほかの三人も、そう叫ぶ。

 アタシはそこで若い三人の頭へ人差し指を向けて行く。三人は順番に気絶した。


 老人を演じてもらった浮遊霊に、

「有り難うね」と笑う。「あんた、成仏できそうか?」

 アタシは浮遊霊に尋ねる。

「……せやなあ。この子らあ、ワシの伝えたいこと、語り継いでくれるやろか……?」

「大丈夫やと思うで」

「なんでそう言い切れる?」

「アタシがこの子らの記憶の深いところに刻み付けておいたから。幼少期の記憶と同じ位置。孫子の代まで語り継ぐやろう」

「そうか……。そしたらワシは、家族の墓に参って……空襲で死んだ家族のトコへ上がろうかな」

 老人の脳裡で、十歳に満たない男女二人ずつの子どもの笑顔と、両親と妻の笑っている様子とが蘇えるのが見える。

「あんたも生かされた、とは思えんかったんか?」

「思えてはおったよ。けどそれは、罰としての生やと思うてた。なんせワシが愛人の家で夜這いしとるあいだに、家が空襲に遭うたんやからなあ。せやから罪滅ぼしのためにも、ワシは成仏したらアカンと思うとったんや。上がったところで、アイツらに合わせる顔がない」

「かもしれへんな」

「ほんまのトコはどないなんや? 家族はワシをまだ許してないんか?」

 老人が望んでいる答えはわかりきっているし、アタシはその答えを知っている。成仏して数年も経てば、魂は生前の感情を忘れるものなのだ。

「自分で確かめてみ」

 アタシは自分の姿を消した。ウジウジした男は好かんのや。


 翌朝。

 肝試しに来た三人のうち、ガリが一番に目を覚ます。右半身を床に横たえていたガリの目の前には、大きなゴキブリの死骸が在る。

「ぎゃー!」

 ガリの叫び声でほかの二人も目を開ける。

「うわあ!」

 デブは店の隅、蜘蛛の巣の中に体を横たえていたのである。

「え? 畳は? 火鉢は? じいさんは?」

 フツオだけ、汚れていない場所に寝かせてやっていた。昔なじみの子への贔屓である。

「ほんまや」デブが蜘蛛の巣から這い出しながら言う。「蛍光灯もこんなんじゃなかったよなあ。こんなトコ、廃墟、電気が通ってる筈もないやろし……」

 長身のデブは、天井に細長く伸びた白い蛍光灯を見上げる。殆どは割れている。

「それよりさあ」ガリは冷静さを取り戻して立ち上がっている。「お前のひいじいちゃん、南方戦線へ行ってたって言うてなかったっけ? 中学の歴史の授業でその辺を勉強してるトコをオヤジさんに見られて、牟田口のことが載ってないのんをオヤジさんが文句言うてたって……ひいじいちゃんがエラい目に遭わされたのに、牟田口はのうのうと天寿を全うしやがった、いうて……」

「お前ようそんなちっちょいこと覚えとるなあ」

「だってオレ、お前のその話聞くまで牟田口廉也なんて名前聞いたことなかったもん。お前から聞いて初めてネットで検索してみたんやで」

 この二人は小学校と中学も同じだった。フツオとは高校だけが同じだったのだ。

「フツオのひいじいちゃんて、原爆のとき、呉にいてはったんか?」

 デブが訊く。

「いやそれが……オレ、ひいじいちゃんの戦時中の話って聞いたことないねん。ひいじいちゃんだけやのうて、ほかの親戚のんも……」

 フツオは詫びるように話す。

「オレ」意を決したように言い切るのはガリである。「婚約者ともお互いの家族が戦時中にどうしてたか、話し合ってみる」

「せやな」

 フツオが応じて続ける。「オレも家族にひいじいちゃんのこと訊いてみるわ。日記をつける習慣があったって聞いたことがあるから、もしかしたら戦時中の日記も残ってるかもしれんし」

「オレも」デブが言う。「シベリア抑留のこと、もっとちゃんと調べてみる。

 それにしてもガリさあ」

「何?」

 ガリはまだ神妙な顔をしている。

「お前、ゴキブリの死骸が目の前にあっただけであの絶叫か? ヨメさんに逃げられるぞ」

 デブが、既に前へ膨らみつつある腹を抱えて笑う。

「ほんまや!」フツオも笑う。「そんなんでよう婚約までこぎつけたなあ!」

「逃げられへんもんねー」ガリが得意げに言う。「オレの婚約者、オレより逞しいし精神的にもタフやから、ゴキブリくらいでビビらへんもんねー。それにGにビビったオレのことも、『可愛いなあ』って言うてくれたこともあるんやぞ」

「尻に敷かれるパターンやな」

 デブがフツオに言う。

「典型的やな」

 フツオがデブに言う。

 フツオは、

「送って行くわ」

 と言って店を出る。あとを二人が続く。

 後部座席にガリとデブが座る。フツオが車を発進させる。

 お盆の早朝。まだ車は少ない。青い空に雲もない。街路樹では蟬が鳴いている。

「夜中に空襲が来ても」信号待ち、フツオが言う。「沖縄に米軍が上陸しても、広島や長崎に原爆が落ちても、終戦……日本が敗戦しても、八月の朝はこんなんやったんかなあ……」

 後部座席の二人は、めいめいに窓の外へ視線を遣った……。


   *


「まぁたお前は『巡回レポート』か」

 管理官――大神神社の大神さん――はため息をつく。

「もうええ加減なれてくださいよ。アタシが教会にじっとしてられへんのん、管理官もようわかってはるでしょう」

 こっちの言い分である。

「そんなに外に出るのが好きなんやったら、あの廃墟に群がる浮遊霊らあを全部成仏させてやろうという気にはならんのか」

「嗚呼……」アタシは今回使った老人の浮遊霊を思い出す。「ならんッスね」

「なんでや。意図を聴かせてくれ」

 管理官は珍しく、アタシの考えに興味を持ったようだ。

「だって、そんな簡単に誰かれかまわず成仏させてたら、魂が成長せんじゃないですか。魂が成長せんかったら星の発展もない。それはアタシらがこの星を管理してる目的にも反することなんじゃないですか? ほかの一般職員らあは、助けを求められたら誰かれかまわず助けてて、管理官はそういうことを望んではるんやろうってのはわかってます。せやけどアタシはそれに矛盾を感じるんです。まあ矛盾を感じる……感覚を持ってること自体が一般職員として一番大きな問題なんでしょうけどね」

「ふむ」管理官は考え込みながらうなずく。「全て君の言うとおりや。なんで君や龍司みたいに人間的感覚を持った一般職員がおるのか。地球上には君らのほかにも何体か感覚を持つものがおるらしい。母星のトップ、皇帝の指示なのか、その次の宇宙域長の判断なのかはわからんが、君らみたいな個体ができるのも、我々にとってなんらかのプラスになると思われているのやろうな。

 今回は君らしさがええ方に働いた。戦争はアカン。戦争を続ける星を進歩させるわけにはいかん。国家だけでなく個人レベルでの武装放棄。それが進歩の大前提や。ええことをしてくれた。感謝する」

「でも次は知りませんよー」

 アタシが管理官へ笑いかけると、管理官は裏切られたような腹立たし気な顔をした。アタシはますます大きく笑った。


四百字詰め原稿用紙 二十一枚

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