終章:私たちの夏は終わらない
「……開いた」
終わったのだ。悪夢は、本当に。
私たちは、勝った。そして、自由になった。
「さあ、帰ろう。私たちの夏休みに」
私が振り返り、二人に笑いかけた――その瞬間だった。
背後で、風を切る鈍い音。次の瞬間、後頭部に凄まじい衝撃が走る。
ガンッ――耳鳴りと共に視界が白く染まった。
膝から力が抜け、玄関の外の地面に崩れ落ちる。指先が、かろうじて屋敷の外の土に触れる。
霞む意識の中で必死に振り返ると、そこに立っていたのは――凛と陽菜だった。
凛の手には、血のついた瓦礫。
そして凛と陽菜はどこか恍惚とした表情で私を見下ろしていた。
(……え? なんで……?)
疑問は声にならず、意識は闇に沈んでいった。
⸻
これは初めてではなかった。
最初にこの館へ足を踏み入れたとき、三人はただ無力だった。
闇の中から現れ、襲いかかる幽霊たちに成す術もなく殺された。
しかし――死んだはずの彼女たちは、一階のホールで目を覚ました。
幽霊に襲われた痕跡もなく、衣服も乱れていない。
最初は夢だと思った。だが、それは間違いなく現実だった。
その後も、幽霊に体を貫かれようと、蜘蛛の化物に引き裂かれようと、どれほど深い致命傷を負っても、次に目を開けるのは決まってあの一階ホールだった。
体は嘘のように元通りになり、破れた服すら綺麗なままだった。
それだけではない。逃げ惑う中でひっくり返した家具も、武器にした瓦礫も、すべてが何事もなかったかのように元の位置へ戻っていた。
繰り返される理不尽な死と、寸分違わぬ回帰。
出口のない「ループ」という地獄に囚われたのだと気づくのに、時間はかからなかった。
そして、繰り返す死の中で、もう一つの奇妙な法則に気づく。
それは偶然の発見だった――転倒して頭を強く打ち付けたまま死んだ一人が、次のループで屋敷内の出来事を綺麗に忘れていたのだ。
――頭部にダメージを負って死ぬと、この屋敷での記憶が失われる。
その時はまだ、その発見の重大さに誰も気づいていなかった。
繰り返す中で、三人は学習していった。
優の分析力、凛の洞察力、陽菜の時折見せる意外な記憶力。
それらが合わさるとき、死は少しずつ遠のいていった。
そして何度目かのループで、ついに「勝利」した。
化物を退け、幽霊は消え、玄関の扉が開く。三人は、今度こそ終わったのだと、涙を流して抱き合った。
――その時、凛の心に、地獄よりも恐ろしいものが芽生えた。
『現実』という名の恐怖だった。
ここを出れば、日常が戻る。
そして春が来れば、彼女は転校し、この三人の時間は終わる。
この最高の達成感も、命がけの冒険も、すべてが過去になる。
その恐怖が、彼女の理性を焼き切った。
頭から血を流して気を失った優が、床に崩れ落ちていた。
その傍らには、血に濡れた瓦礫を手に、肩で息をする凛が立っていた。
「……こうするしかなかったの」
その声は絞り出すようで、ひどくかすれていた。
「ここを出れば、私たちは離れ離れになる。春が来れば、私は転校する……。でも、この屋敷にいる限り、私たちはずっと一緒にいられる。そのためには、優が記憶を持ったまま生き返るのは不都合なの」
「でも……! 優ちゃんの意思は……!」
陽菜が悲鳴のように問いかける。
凛はまるで自分に言い聞かせるように、強く続けた。
「優は強い。たとえこの先、何度同じことを繰り返しても、必ず脱出を選ぶ。そして、躊躇う私たちを説得する……私たちは、その言葉に絶対に負けてしまう」
凛は優に悲しげな視線を落とす。
「だから……これしか方法がないのよ」
「……ずっと、一緒にいるために……」
陽菜は呆然と繰り返し、涙をこぼす。
やがて意を決したように、凛の手に自らの手を重ねた。
「……うん。私も協力する」
そして、壊れた人形が笑うように、不気味なほど穏やかに言った。
「これで、私たち、共犯者だね」
――頭部にダメージを負って死ぬと、この屋敷での記憶が失われる。
かつては奇妙な現象に過ぎなかったその法則は、その瞬間、親友を永遠に繋ぎとめるための「奇跡」に変貌したのだった。
⸻
「今回もすごかったね」
陽菜が震える声で言う。
「屋敷の中で火事になりそうなくらい燃やすなんて思いつきもしなかった。よく毎回違う手段を思いつくよね」
「ええ。だからこそ、終わらせられないのよ」
二人は愛おしそうに、頭から血を流している瀕死の優を見つめる。
もしかしたら、外の世界も、幼馴染という記憶さえも、この舞台のために用意された偽りなのかもしれない。
あるいは、三人自身があの幽霊や蜘蛛と同じく、初めからこの屋敷の住人だったのかもしれない。
だが――そんなことは、もうどうでもよかった。
この世界が続けばいい。
優がいて、凛がいて、陽菜がいる。
三人一緒の、この世界が。永遠に。
「さあ、始めましょう。次のゲームを」
凛の声に、陽菜はポケットから護身用として優から渡された銀色のナイフを取り出す。
凛もスカートの奥からナイフを抜く。
互いを見つめ合い、恐怖はなく、期待だけが宿る。
「「また、次で」」
二人はほぼ同時に、互いの胸へ刃を突き立てた。
血が溢れ、二つの体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
⸻
――ひやりとした硬さが背中に触れ、意識が浮かび上がる。
体を起こした瞬間、鈍い痛みが側頭部に走った。
(……ここは……? なんで、こんな場所に……)
脳裏に霞がかった記憶の断片が浮かび上がる。
そうだ――私はここに「調査」に来たんだ。三人で、この場所に……。
「凛、陽菜……どこにいるの?」
⸻
物語は、終わらない。
優しい地獄は、こうして繰り返される。
最高の親友を、この永遠の遊び場に閉じ込め続けるために。
迷宮牢獄〜私たちの夏は終わらない〜 ゆりんちゃん @yrinnovel
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