最終話
「桜庭さん、最近調子いいですね。今日はよろしくお願いします」
はるとと約束した夜から日は経ち、六月も半ばを過ぎた日曜日。ソユースタジアムのロッカールームで、垰田が声をかけてきた。
「なんかな、体が軽いんだ」
嘘ではない。実際、俺自身がびっくりしてしまうほどよく体が動く。きっとはるとと交わした約束のおかげだ。
俺が試合に出ないかぎり、あいつは学校へ行かない。
それはそれだけあいつが夢から遠ざかることを示す。
実際にはるとが学校へ行っているかどうかなど確かめようがないのだから気にする必要はないと言ってしまえばそれまでなのだが、この地で俺と同じ夢を見ている『はると』を捨ておくなどできない。
『はると』が俺という存在に夢を見たように、俺も『はると』に己を重ねていた。
「今日は視察が来るんだったな」
「いいとこ見せまくりましょう」
垰田とグータッチを交わす。
今日のホームゲームは、県議会議員や市議会議員で構成される視察団が来るものだった。
現在、フルミネブル秋田は非常に困った事態になっている。
Jリーグ基準を満たすスタジアムがない為、J2ライセンスを剥奪されるかもしれないのだ。
それは実力など無視してJ3リーグへの強制降格処分という前代未聞の事態を指している。秋田のファンやサポーターだけでなく、全国のJリーグファンも、秋田県や秋田市の動向に注目していた。
フルミネブル秋田は過去に、J3リーグで優勝したにもかかわらずJ2ライセンスがなかった為に昇格できなかったという衝撃の歴史がある。
基準を満たすスタジアムがなかったから、ライセンスを取得できなかったのだ。
スタジアム建設期間の猶予を与えられた上でJ2ライセンスを交付されたフルミネブル秋田は、二度目のJ3優勝を経て昇格した。
そう、スタジアム建設問題はもう何年も前から存在している。
しかし一向に進まぬ計画にJリーグが痺れを切らして警告した結果、今現在の危機がある。
『スポーツ立県あきた』のスローガンを掲げているくせにこんな形でのライセンス剥奪と降格処分ともなれば、秋田県は日本のサッカー史においていい笑いものだ。県外からの観光客を集められる大きなコンテンツを潰した愚行は、いつまでもサッカーファンの間で語り継がれるだろう。
そして秋田で様々な夢を見る者は、未来のない秋田にいては夢など叶わぬのだと去っていく。
夢のない土地に、人は居つかない。
今日の試合に勝てばスタジアムが建つわけではないが、視察団の印象がよくなるかもしれないという淡い期待はある。
試合相手が、さしてサッカーに詳しくない者でもちょっとは聞き覚えがある有名クラブだからだ。
清水エスビート。
元日本代表の選手を有する、サッカー王国静岡の名門だ。
清水エスビートは一昨年まではJ1リーグだったが、去年からはJ2リーグにいる。どこのカテゴリも昇格・降格争いが激しい今、前年と同じカテゴリにいられるということだけでも凄いことなのだ。
今日は元日本代表見たさに来場した観戦客も多いはずである。ここで元日本代表の選手を試合に引きずり出して勝てば、観客もフルミネブル秋田に興味を持ってくれて、次節の試合も来てくれるかもしれない。
毎試合の集客数はスタジアムの必要性を訴える分かりやすい材料だ。
今日の試合で勝てば、得られるものは大きいはずである。
「桜庭」
保坂監督の声がかかった。見れば、きりりとした表情で監督が立っている。
「秋田県民歌、歌えるな?」
「はい」
保坂監督の最終確認に、俺は即答した。
俺が歌えなければ、はるとの夢は芽吹かない。
秋田でその夢を芽吹かせる為に、他の誰でもない、夢を叶えた俺が歌うのだ。
その為に練習や広報活動が終わってから、垰田に付き合ってもらってひたすらカラオケに通って練習を続けた。始めこそ酷いものだったが、今では我ながら堂々と胸を張って歌える。
腹の底から歌い、試合に勝ち、なんとしてもスタジアム問題を前に進めてみせる。
秋田で夢を抱く者が、諦めずにいられるように。
この地でも夢は芽吹き、叶うのだと。
もう夢を嗤うような土地ではなくなったのだと。
俺が己の歌声とプレーを通じて伝えるのだ。
「行きましょう、桜庭さん」
他のチームメイトがロッカールームを出ていく中で、垰田が俺に声をかける。試合前の大事な儀式。秋田県民歌斉唱へと向かうのだ。
ユニフォームの上に着たトレーナー。その左胸についているなまはげをデザインしたクラブエンブレムを、ぎゅっと握る。
大丈夫だ。俺ならやれる。秋田出身のJリーガーという夢を叶えた俺ならやれる。
「おう」
垰田に返事をすると、俺は『はると』と出会ったあの日に見つけた夢への一歩を踏み出した。
夢蒔く大地 Akira Clementi @daybreak0224
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