第4話


「中に入れて貰えるかな。黄巌こうがん殿の様子はどうか、見に来た」


 声がして、黄巌は目を開いた。

 少し遣り取りが聞こえて、徐庶じょしょが入って来る。

 黄巌が寝台に寝たまま、こちらを見たことに気付き、急いで駆け寄った。


風雅ふうが。目が覚めたのか。良かった」


 軍医が一人、側に控えていた。


「傷の様子は」


「深いですが、処置は出来ました。

 ただ血を吐かれていましたので臓が傷ついてるやもしれません。

 くれぐれもしばらくは安静が必要です。傷が開けば危ない」


 徐庶は黄巌こうがんの側に椅子を持って来て、座った。


風雅ふうが。戻って来てくれてありがとう。また君に助けられた。

 君が助けてくれなかったら、俺は殺されていたかも」


 黄巌は少し目を細めて笑ったようだが、すぐに笑みは消えた。


「……元直げんちょくは敵に気付いていたのに抜刀しなかったな。どうしたんだ?」


「実は……、陸議りくぎ殿が死傷を」


 黄巌が驚いたように上半身を起こそうとして、腹の傷が痛み、悶絶した。


「動かないように!」


 軍医が厳しい声を掛ける。


「すみません。そうします」


 徐庶が慌てて立ち上がり、軍医に頭を下げた。


「動いちゃ駄目だよ。風雅ふうが

「驚いて……」

 黄巌もこの傷はまずいということは分かっているらしく、すぐに体勢を戻した。

 少し安静にして、強い勢いで怒鳴った軍医を警戒しつつ、目だけで二人は「大丈夫?」「たぶん」と会話をして、再び徐庶も座り直す。

 出来る限り、小さい声で話した。


「……陸議君は大丈夫?」


「さっき目を覚ましたよ。熱も下がってた。大丈夫だと思う。

 君の話をしたら心配してた。自分は大丈夫だから、君を見て来てやってくれって」


 黄巌こうがんはそれを聞いて、優しい表情をした。

「そうか。やさしいね」

「うん」

「敵にやられたの?」

「それが……そうではないんだけど、色々と事情が重なって。

 ……風雅。

 君は……どうして本陣に戻って来たんだ?」


 ずっと考えていた。

 黄巌は司馬懿しばい賈詡かくの考えをもう知ったので、これ以上魏軍といても利はないと読んだはずだ。

 それなのに彼は奇襲を受けた本陣に戻って来た。


 恐らくだが、黄巌はあの奇襲を予期していたのだ。

 涼州騎馬隊と黄巌が疎遠である以上、そこから情報を得たとは考えにくい。

 徐庶は、多分黄巌がそこに現れた理由は、郭嘉かくか潁川えいせんで「彼を見た」と言っていることと、繋がっていると読んだ。

 つまり【烏桓六道うがんりくどう】から得た情報である。


 しかし徐庶はどうしても黄風雅こうふうがが暗殺者や、密命を受ける間者であるとは思えなかった。


 そして。



『間違いなくその男は俺の従弟いとこ馬岱ばたい



 一族の生き残りは馬超だけだと思っていた。

 確か黄巌こうがん自身にも、馬超や馬一族について、そういう説明を受けたことが何度かあったと思う。

 何故黄巌が身分を偽るのかと言えば、馬一族の生き残りであるからと説明は出来るのだが、妙なのは従兄の馬超ばちょうにも彼は本心を隠していたらしいことだった。


 馬超の話では「戦いが嫌になったので、北の故郷に帰りたい」と願ったという。


 確かに黄巌の故郷は更に北方の臨羌りんきょうだ。

 徐庶も連れて行ってもらったことがある。

 村の人々は誰もが彼を知っていて、まるで一つの家族のようだった。

 あそこで好きな娘を娶って、妻帯し、家庭を持ったと言われても全然不思議では無い。


 だが実際には黄巌は北へは戻らず、武都ぶと辺りに留まり、その辺りの山岳地帯を行き来して仕事をしていた。


 何か、そうしようと思った理由があるのだ。


 幾つかの聞き方があった。


 馬超ばちょうの話を聞いた、とも言えるし、

 郭嘉の話を聞いたとも言える。

 ただ、君が本陣に戻って来たのは妙だとも言えるし、

 それ以外にも聞き方はあった。


 自分一人の余計な行動のせいで、誰かの人生を大きく変えてしまうこともある。


 一番いいのは、何も聞かないことだろう。

 いつしか徐庶は、そういうやり方が一番いいのだと思い込んで生きるようになっていた。

 に来てからだ。

 何かを感じ取って、聞いたりしても、

 それについて自分が動かない。

 何も思わない。


 無関係を貫く。

 そういう方が気楽だったから。


 しかしこの涼州遠征の中で、周囲の人間を見ていて、例え自分が傷ついたり泥を被ったりしても、他人のために声を掛けることは大切なのだと思うことがたくさんあった。


 黄巌こうがんもそれを教えてくれた一人だった。


 複雑な事情を彼が抱えているのなら、徐庶と再会しても軽く飲んで昔を懐かしんで終われば良かった。

 魏軍の軍師だと知った時点で、遠ざければ良かったのだ。


 しかし黄巌は秘密を抱えても尚、友情で徐庶に報いてくれた。



『生きてください』



 陸伯言りくはくげんの言葉が、ずっと残っている。

 自分が彼らなら、

 友を見つけても知らぬ振りをしたし、

 生きてくれなどと声を掛けたりしなかった。


 黄巌が徐庶じょしょに対して誠実でいてくれたのに、

 このまま何も聞かずに何となくやり過ごすことが、本当に友を想うことになるのかと、ずっと考えていた。


 黄巌が話したくないならば、聞かなければいいのだ。

 しかし最初から無関心であるかのように振る舞うのは、違うと思った。


 だから徐庶は選び取った。

 どれかを選んだというより、選ぶべきでは無いものを選んだ。


 馬超ばちょうのことだ。


 仮に黄巌こうがんが馬超の従弟だとしても、やはり黄巌が抱える事情の中で、最も馬超に対して自分を偽ったことが不思議だ、と思ったからだ。


 他の事情は、別に有り得ることだった。


 馬超に対して黄巌が本音を言わなかったことが、恐らく彼が最も秘密にしたいことなのだと徐庶は読んだ。

 だから、それだけは自分が触れるべきではないと考えたのだ。

 

 それ以外のことは自分と黄巌の話なので、話すか話さないかは黄巌の一存で決められるし、その決断にそれほど彼を傷つけないだろうと思った。


「実は……、君は本陣が奇襲を受けることを、俺は知っていたんじゃないかと思ってる……。だからその奇襲を止めるために戻って来たんじゃないか?」


 黄巌はどこかを見ながら、静かに返してきた。

「どうしてそう思ったの」


「君を二年ほど前に、魏の潁川えいせんで見かけたという人がいる。

 彼は涼州で君を見た時、君の素性を知らなかったから驚いていた。

 どうして潁川で見た顔なのか、それを気にしていたから俺に理由を聞くよう彼は頼んで来たんだよ。

 俺は何かそのことと、今回君が戻って来たことは……関わりがあるんじゃないかって思うんだ」


「俺が魏軍の誰かを狙う間者だと?」


 徐庶が笑った。

「違うよ」

 黄巌こうがんが彼を見る。


「俺は確かに、人を見る目が呆れるほどないけど……君が間者のような生き方を好まないし、適してないことくらいは分かる」


 黄巌の方を見ると少し彼は目を瞬かせたが、すぐに「はは……」と笑った。


元直げんちょくも言うようになったじゃないか」


 以前は周囲の人みんなが自分を疑ってるのではないかと常に怯え、警戒していて、何かを尋ねられると変に穿って、慌てて取り繕わなくてもいいことを取り繕ったりして、尚更それが怪しい友で、それを見て、おかしくて笑うのが黄巌は好きだった。


陸議りくぎ君のお陰かな」


 黄巌がそんな風に言ったので、徐庶は微笑った。


「かもね」


「……潁川えいせんには、確かに行ったよ。理由は何か考えてることがある?」

「別に何も特別なことはなかったんだと思う」


 徐庶は言った。


「何も理由は無かったんだ。ただ涼州と魏は、交易はずっと続いてる。

 敵対しているから、商隊も危険がある。

 君はそういう護衛もしてたと聞いたから、本当に単なる仕事だったんだろう」


 黄巌こうがんは少しの間、押し黙った。

 丁度、軍医が道具を持って出ていったので、黄巌が口を開く。


「俺を見たと元直げんちょくに言ったのは、郭奉孝かくほうこうだろう」


 偽らず、徐庶は頷いた。


「郭家に行ったよ。とはいえ一度行った時は、そこが彼の家ということは知らなかったんだ。

 ……二度目に行ったのは、そこが誰の家か確かめたかったから行った。

 郭嘉かくかという魏の軍師の家だと知って、

 ……彼が【烏桓六道うがんりくどう】を皆殺しにした、北伐の指揮を執っていた軍師だということに気付いた。以後は、一度も魏には行ってない」


「郭嘉殿は長い間、自分を狙う者の存在に気付いていたらしい。

 だけど、正体がずっと掴めなかったんだ。

 それは彼が潁川えいせんで療養している間に気付いて、それからずっと自分に取り憑いていた気配だったと。

 だから彼は涼州という、都から離れた場所に出て来て、敵の正体を知ろうとした。

 彼の望み通り敵は姿を現わし、郭嘉殿を狙ったんだ」


「……。【烏桓六道うがんりくどう】といって、勇猛で知られる烏桓族の中でも特に武勇に秀でて、最強と呼ばれる一族だ。北伐で、郭奉孝かくほうこうが彼らの里を焼き払ったらしい。

 長の一族が殺されたので【烏桓六道】の全員に、郭奉孝に復讐するという一族の鉄の掟による命令が下った。


 俺は……涼州でたまたま六道りくどうの人間に会ったんだ。

 彼らは一族の、復讐の掟に縛られるのを嫌がっていた……。

 長の一族が死んだなら自由に生きたいと。

 だから共に、しばらく行動した。

 嘩夜かや雨奏うそうだ。

 彼らは兄妹で――俺と年が近くて、気が合った。

 普通の仕事をして、生きようと約束をした。


 だけど、彼らは復讐の道に戻ったんだ。


 郭家で、郭嘉かくかを殺そうとして別の人間を死なせた。

 俺はそれで彼らを責めて、以後は関わりを持っていなかった」



「……君が、彼らが涼州に来てると気付いたのはいつだ?」


元直げんちょくと話した時も、全く気付いていなかったんだ。

 村が焼かれ始めた時おかしいなと思ったけど、それでもまだ分からなかった。

 近隣の村を襲うと思ったから追って、殺した相手が【六道りくどう】の人間だけが使う、特別な武器を持っていた。

 その時に、今回魏軍に郭嘉が従軍していることを思い出した。

 彼らは……ただ、郭嘉を殺しに来ただけなんだ」


風雅ふうが……」


「理解出来る? 確かに……大切な人を殺された想いは、生涯きっと永遠に消えることはない。殺した奴をずっと憎むはずだ。俺だってそれは分かるよ。

 だからといって関わりの無い人間達を道具みたいに巻き込んで、魏軍と涼州騎馬隊を憎しみ合わせて、多くの人間が殺し合い、死ぬように謀るなんて……。

 絶対に間違ってる」


「その兄妹に会ったのか?」


嘩夜かやが俺の所に現れたよ。全てを巻き込んで、大陸中に戦火を蒔くと言っていた。

 それが【烏桓六道うがんりくどう】の、最後の復讐なんだ。

 自分達が、存在しない世界に対しての。

 ……彼女の目を見た時、もう救えないと分かった。

 だから俺が……」


 黄巌こうがんは両手で顔を覆った。


郭嘉かくか殿は、敵が来ることを予見してた。

 彼は敵の剣を受けて重傷を負ったが、命は失わなかった。

 彼の許に行ったのが兄の方なんだね」


 黄巌が小さく頷いてる。


「郭嘉殿に話すよ。君は潁川えいせんに行ったけど関わってないと。

 今回のことも。君は雨奏うそうを止めようとして本陣に来た」


「確かにそうだけど途中で自分を見失った。

 嘩夜かや雨奏うそうは生まれた時から【六道りくどう】の者として、親や一族に育て上げられたんだ。

 修行は辛くて親に愛情を持ったことも、一度もないってあの二人は言ってた。

 涼州の男も物心が付くと親元を離れ、一族に預けられて涼州武芸を叩き込まれる。

 確かに修行は辛くて、俺も大嫌いだった。

 ……だけど俺には、家族がいたから」


 黄巌こうがんの覆った手から、涙が伝うのが見えた。

 声が震える。


「同じ辛さを感じて、傷を負った時は今は手加減してやってくれと、大人達に俺を庇ってくれる兄弟みたいな奴らがいた。孤独なんかじゃ、なかった」


 徐庶は初めて黄巖の過去を知った。

 だから黄巌はその兄妹を哀れみ、心を寄せたのだろう。

 可哀想だと思ったのだ。


「守ってくれる人を持たなかった嘩夜かや雨奏うそうは、たった二人だけで生きて来て、同じ一族の生き残りからも、復讐を命じられて、従わなければ彼らが殺されてた。

 嘩夜を殺した時、雨奏のことも俺は殺したんだ。

 止めたって彼はもう止まらなかっただろうし、

 生きても、生きる希望を持てなかったと思う。

 嘩夜がいたら生きれたかもしれないけど、彼女を殺してしまった。

 郭奉孝かくほうこうを殺したって、雨奏は救われないんだ。

 ……それに気付いて、……俺は行く道を完全に見失った」


風雅ふうが……。話してくれてありがとう。

 郭嘉殿は真実を知りたがってるから、今の話をしてもいいかな」


 黄巌こうがんが頷く。


「ありがとう……」


 軍医が戻って来る。


「あまり長く話さないでください。今は休まないとなりません」

「分かりました。もう戻ります」

 徐庶は頷く。


「また来るよ。とにかく今は休んで。

 涼州騎馬隊は南に去った」


「……じゃあ……成都せいとに?」


 手の平の下で、黄巌はそっと目を開く。


「そうだと思う。危険な道のりだが。

 でも瓦解はしてない」


 軍医が少し苛立つような咳払いをしたので、徐庶は深く、軍医に一礼して歩き出した。



元直げんちょく



 入り口のところで呼び止められた。


「行く道を見失って立ち尽くしてる時、君と陸議君たちが見えた。

 何も考えず、弓を射ってたよ」


 徐庶は静かに笑んだ。




「君は黄風雅こうふうがだからな」




 扉が閉まり、徐庶の足音が去って行く。



「…………ありがとう」



 徐庶はかつて、自分の力を、殺すために使っていたという。

 彼は殺しを好むような男ではないのに不思議だったが、彼曰く、複雑な人生の絡みで、気付いたらそういう生業の中にあったということらしい。


 自分が愚かだったから、そうなった。紛れもなく自分のせいだとも言っていた。


 嘩夜かやを殺したことを、気に病むなと伝えて来たのだ。


 殺しが生業なりわいではなく、

 守ることに剣を振るう。



(それが俺だと、言ってくれたんだな)



 手をゆっくりと握りしめた。



 涼州騎馬隊は南に。


 成都せいとへ向かい、馬超ばちょうと合流出来るだろうか?


 

 黄巌こうがんはそれだけを願った。



【終】




  

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花天月地【第74話 雨雲の終わり】 七海ポルカ @reeeeeen13

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