43話

 空いた心の隙間が埋まるというのは癒しであるが、それと同時に過去のありのままを思い起こせないようにしてしまっていく。ありのままの感情を、ありのままの光景を、全てを思い出せなくしてしまう。決して忘れてはならないというのに。



 季節は冬となり、木の葉から彩りが消え失せ雪がしんしんと振り始めた頃。目的地付近の雪原で俺は弟子と鯱娘を踊らせていた。2人1組で手を繋ぎ、一定の円の範囲で踊るものだ。


「それ、1! 2! 1! 2! そこで2度回れ!」

「っ! ランジェ、力込めすぎです!」

「ナールは抜き過ぎ、回転で飛ばされてる。わっ──」


 最後を彩る手を繋いだ状態での回転の動作が上手くいかず、ナールとランジェは薄く積もった雪の上に転がった。2人1組での踊りというものは同等の力加減が加わっていない場合、相手の力に振り回されて転倒することになるのだ。


「見事に転びやしたね。道化が演じる愚者みたいでやす」

「クロ、うるさい。クルツ、これ何の意味があるの?」

「お互いの身体能力をより知って共同作業を行いやすくする訓練かつ、戦闘における思想……“円と球“を教えるための基礎作りだ」


 説明を試みるため、焚き火に焚べるために置いていた薪で地面に半径6尺程の円を描く。


「おおよそこの程度が今のお前らの射程だ」

「射程……あっ、武器込みの!」

「そう、斬り込み致命傷を与えられる範囲がこの程度。手の届く範囲とでも言えばわかりやすいか?」

「で、それがさっき言ってた”円”?」

「そうだがそれだけじゃない。こうやって……何処に足を置くか、何処かに向けて体重をかけるか、どう体勢を変化させるかで円の中に円を作ったり円を伸ばしたりして敵を自分の射程に捉え続けられる。松明で密室の闇を追い込むような具合に敵を追い詰めるようにな」


 円の中に丸を描いたり、線を加えて歪な丸に描き直したり、時折地面を強く突いたり。兎に角そうやって動きが重要な事を視覚的に伝えようとする。


「踊りはそのための脚運びの訓練でやすな」

「そういう事。敵を翻弄するには大きく一歩を踏み込む事も、小さく一歩を刻む事も出来なきゃならないからな」

「成程! それで……お師匠様、“球”は何なのですか?」

「“球”は“円”を理解出来れば簡単にわかる。要は立体的な射程範囲のことなんだからな」


 円盤状の石を拾い上げ、少女達の目線で見せる角度を何度も変える。もしも軌跡が残るのであれば、歪ではあるが球場に見えるだろう。


「間合いを見極め、間合いを操り、間合いの中に敵を取り込むという考え方。巣ごと動き獲物を追いかける蜘蛛を想像出来ればまさにそれだと言える」

「はぇ……ん? お師匠様お師匠様、これこれ……これはもしかしてなのですが! 応用すれば集団で戦うときにも応用出来るのではないですか? 味方の攻撃を邪魔しないように立ち回れるようになるのではないですか⁉︎」


 ナールは気づいたらしく、指先で地面に小さな丸を沢山描いてみせた。彼女の見解は正しい。理解が早いと教える側としても気分が良いものだ。


「そうだ。自分を知り、味方を知り、敵の力量を測れるようになれば何が最適解となるかの判断が正確になっていく。盤面を見据えるための狡猾さも養っていける」

「……要は、頭を使って戦えって事?」

「極端にまとめるとそうなる。腕力や技術だけを磨くのも強さだが、それだけじゃいざ格上に出逢っちまった時に確実に手詰まりになる。そういう時に頭を使って判断する訓練だな」


 真の強者に正々堂々勝負を挑んでも敵わないことは、化け物揃いの勇者一向と行動を共にしていた俺地震がよくわかっている。自分を犠牲にするような戦法を取らなければ、足を引っ張ってしまっていたに違いない。弟子にそうさせない為には選択肢を増やす能力を培ってもらわねばならない。


「ま、今は難しく考える必要は無いさ。何年もかけて世界を知っていかなきゃ身につかないはずだから気楽にやっていけばいい」


 多くを知らなければ視野は広がっていかない。広くするには長く生き、沢山歩かねばならない。


「変わった思想なんでやすなぁ……」

「そりゃ“円と球”は知の探求でもって境地に達しようとした武術家が残した思想だからな。戦いにおける思想という形こそとっているが、実際は知識の吸収や経験の蓄積を重視する人生の生き方を説いてる」

「導線が引かれたのとは違って自由度は高いけど、才覚が無いと半端で終わりそう」

「普通ならそうなる。だがな、俺はお前達はまだまだ若くて才能があってこの教え方が一番だと思っている」


 俺はそれらしい言葉を紡いで嘘を吐いた。

 ナールは間違いなく才能があるが、生きていく中で重要な自分自身というものを確立出来ていない。それを世界を知ってもらう中で確立してもらうための教育なのだ。彼女が“弟子”であり続けて人生を浪費しないためにはこう教え導くしかない。


「狼の旦那ァ、あんた随分な役者でやすな」

「言うなよ。いったら殺すぞ」

「へへっ、わかってやすよ……。お嬢さん方! 目的地に到着したら肉にするらしいでやすよ! ちょっとお高めの肉を食うらしいでやすよ!」


 嘘を吐いた事に気づいたらしく耳打ちをしてきたクロはこちらに脅されると、暗に口止め料を要求しながら耳打ちの内容を弟子達に話さぬようにした。

 短い付き合いでも相手が隠しごとをしていると見抜き、自分の立場が不利にならない程度に自身の要求を呑ませようとする。子供では無いのは知っていたが、この若さでそれが出来るとは一体どんな人生を歩んできたのやら。



 帝国の東端、竜人が治める“ロングォ”と香辛料の一大産地である“アタユア”の2国と隣接する位置に目的地はあった。

 街は要塞都市で近くにある国境は南北に跨る大河であり、南北には木の生え揃った未整地の丘陵が連なっている。攻め落とすには圧倒的な兵力が必要となるが、圧倒的な兵力を動かすには不向きであるために攻めづらい地形だ。その上国外へ向けた道は通商に使うもの以外は一切整備されていない。


「国境を動かす気がないのですね。外からは大きな馬車だと並走出来ないような道だけを、内からは完全に整備された道が続いてます」

「限界があるってことさ、帝国といえどな」

「反対側じゃ大国2つと小競り合いでやすからねぇ……」


 帝国は西で2つの大国と対峙しており東に侵攻する余裕は無い。先に進めないなら封じてしまおうと、この要塞都市を築いたのだろう。


「クルツクルツ、何か慌ててるみたい」

「何だって? ……きっと何かあったに違いない。急いで向かうぞ!」

「はい! お師匠様!」


 遠目に見えていた城塞都市の入り口で狼煙が焚かれ、見張りの塔に登っている兵士が大慌てで手旗信号を発している。複数の手段で伝達しないといけないような事態が起こっているのであろうか。

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狼傭兵と英雄少女 玉鋼金尾 @TamahaganeKanao

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