第13話 極楽湯と日常の光
極楽湯の湯気がゆったりと立ち上る朝。
直樹はコロリン桶をそっと置き、肩の力を抜く。
昨夜の戦い——鎌倉遷都の調整——は、無事に終わった。
鎌倉は首都として歴史に組み込まれつつ、東京も日常を保った。
誰も混乱を感じることなく、過去と現在が微妙に調和している。
佐藤爺さんが湯舟の縁で静かに微笑む。
「直樹、君のおかげで歴史は守られた。これで我々の役目も、ひとまず終わりだ」
田中爺さんも泡をかき混ぜながら笑う。
「若造、君は十分すぎるほど頼もしかった。あとは、我々の時代へ戻るだけだ」
直樹は少し寂しさを覚える。
「……爺さんたちが、いなくなるのか……?」
佐藤爺さんはうなずき、静かに告げた。
「我々は源頼朝の命を受けた時代へ戻る。君は、現代で自分の人生を生きるんだ」
その瞬間、湯舟の泡が光を帯び、爺さんたちは一人ずつゆっくりと泡の中に溶けるように姿を消していった。
残されたのは、穏やかに揺れる湯面と、わずかに香る石鹸の匂い。
直樹は深呼吸し、静かに笑った。
「……ふう、やっと日常が戻ったか。でも、ちょっと寂しいな」
⸻
翌日、直樹は会社に出勤する。
上司の目の前で資料を整理しながら、彼はふと思う。
——昨日までの極楽湯の出来事、戦国爺たち、鎌倉遷都……。
だが、会議室に入ると、普通のデスク、普通の書類、そして普通の同僚たちがそこにいた。
笑いながらコーヒーを飲む同僚に、直樹は思わず微笑む。
「……ああ、これが現代か」
昼休み、直樹は机の上にコーヒーカップを置き、仲間たちと談笑する。
プロジェクトの進捗や上司の小言——すべてがリアルで、普通の悩みだ。
しかし、心のどこかに戦国爺たちの戦略や極楽湯での経験が残っている。
「……でも、俺は今日も頑張れるな」
直樹は資料を手に取り、パソコンを開く。
東京のビル群の風景が窓の外に広がる。鎌倉も、歴史の裏で確かに首都になっている。
過去も現在も、そして未来も——彼の手の中で微妙に調和していることを感じながら、今日も仕事を始める。
⸻
帰宅後、天国湯——現実世界の銭湯——の暖簾が風に揺れていた。
直樹は微笑みながら扉をくぐる。
泡と湯気の向こう、戦国爺たちの存在はもう見えない。
だが、彼らが残した不思議な体験と、歴史を守る使命感は、直樹の心の奥に静かに灯っていた。
コロリン桶を手に取り、直樹はゆっくりと湯舟に浸かる。
日常と非日常の境界——極楽湯の湯気の中で、彼はただ一息つく。
過去も現在も未来も、少しずつ、しかし確かに自分の手の中にある感覚——。
泡が光を弾け、静かな湯気が漂う。
直樹の世界は、戦国爺たちの去就とともに、穏やかな日常の光で満たされていた。
そして今日も、天国湯は、奇想天外な歴史と日常の狭間で、静かに湯気を立てている。
終
コロリン〜銭湯と遷都〜 もちうさ @mochiusa01
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