第十七話 結びつく鎖と、君と
***
魔王に、殺された。
『死配』と、そう奴が言った瞬間、俺は気付けばあの、マモンと戦った大地にいた。
もうなにもない、まっさらな大地に、俺は一人立つ。
――負けた、のか。いや、まだ終わっていない。戦わなければ。早く戻らなければ。
なのに、俺の足は、動かなかった。
ジャンの、兵士二人の、そして自分の死が、頭に浮かぶ。
はじめて、人が死ぬところを見た。
それも、目の前で。あまりにも、あっけなかった。漫画やアニメみたいな、感動の別れなんてものは、現実には、この世界には一切ない。そう、痛感させられた。
そして、思ってしまった。死にたくない、と。怖い、怖い。もう、立ち向かいたくない。あの恐怖を、味わいたくない。
そして何より、もう、何も失いたくない。
友奈に、カノンに会いたい。
今は、ただ、逃げたい。
***
歩いた。転移の書も、使わなかった。
歩きたかった。それが、罪滅ぼしになんて、なるわけもないのに。
いや――一体、なんの罪滅ぼしなんだろうか。もう、それすらも分からなかった。
***
友奈達の元にたどり着いたのは、残り時間が5時間を切った時だった。そのとき、友奈達は巨大な蜂に追われ、こちらに向かってきていた。
やっと会えた、のに――。
怖くなった。会うのが、怖くなった。
拒絶されるのが、怖くなった。
カノンに、友奈に。
でも、あと少しで彼女達が蜂に追いつかれる――そんなときにやっと、俺の足は動いた。
カノンをおぶった友奈の前に立ち、『強欲』でその巣ごと喰らう。蜂は、ダンジョンの壁もろとも、一瞬の内に消えた。
「おはよう、友奈。久しぶりだね」
ただのバカなヒーローを気取りたかった。
でも、俺は、そんなヒーローにすら、なれなかった。
「なんで――秋がここにいるの?」
友奈は驚いたような、安心したような顔でそう言った。その問いに、俺は笑うことしかできなかった。
もう、やめてくれ。激しい焦燥感と、何かのうしろめたさに、その場からすぐにでも逃げ出したくなる。
そして、口から出た言葉は、謝罪だった。
カノンへの、友奈への、ジャンへの。
「……ごめんね、友奈」
そう言った俺の顔は、きっと、苦しげで、醜いものだったろう。すぐに、友奈が聞き返してきた。
「なんで、謝っているの?」
思わず、目線を友奈から逸らして、カノンに向ける。カノンはまだ、気絶しているようだ。そして、行き場を失った視線は、下を向く。数十秒が経って、ようやく俺は口を開く。
「俺は、逃げてきてしまったんだ」
「秋」
友奈が、顔をひどく哀しげに歪ませて言った。俺はまた、謝る。
「ごめん」
誰に?
「秋!」
「ごめん」
誰に。
「秋!!」
「ごめん」
誰に。
誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。誰に。
誰に、だよ。
俺は、なんで、こんなにもバカなんだろうか。俺は、なんで、こんなにも意味を持たないんだ。
友奈を、守りたかった。友奈を、一刻も早く、元の世界に返したかった。なのに、俺は逃げた。友奈を返したいのなら、俺は、戻るべきだったんだ。戻って、魔王を殺すべきだったんだ。それが俺の、役割であり、意味だったんだ。
俺はもう、友奈を見ることはできなかった。
心の奥の方で渦巻いている、黒い黒い、欲望が、芽生えてしまった。その欲望は、『許し』だった。
「秋、好きだよ」
突然、投げかけられた言葉に、思わず振り向く。そこには、頰を赤らめた友奈がいた。
ああ、まただ。また、『許し』てしまう。
俺を。俺が、千明秋を。
「……え……?」
絶望にも似た、俺の声が、エコーのように響いて、消えた。
頭の中にあったのは、混沌と、絶望。そして小さな小さな、醜い希望。
「今……なん、て」
「秋、好きだよ」
「友奈、どうして、俺なんか」
自分を『許し』たくなくて、必死に友奈に問いかける。友奈は優しい微笑みを浮かべながら、何度も言った。
俺の瞳から、一筋の、絶望の、黒く淀んだ涙が溢れた。
ダメだ、ダメなんだ、友奈。
俺は、英雄なんかじゃない。勇者なんかじゃない。
ただの――残骸だ。
残骸。なにかの。勇者の、残骸。友奈の幼馴染の、残骸。ジャンの友達の、残骸。バカなヒーローの、残骸。死に損ないの、残骸。
俺は、自分の罪を全部、友奈に告げた。
膝を抱えながら、嗚咽まじりに。
逃げたかった。消えたかった。
でも、死ぬのは、怖かった。
友奈はただ、黙って俺の話に耳を傾けてくれていた。
話しながら、俺は思い出した。
あの、この世界に来てから、最初に犯した、罪を。
***
ペトラルナを倒したあと、友奈は、呆れながら、笑いながらそう言った。
その言葉に、俺は『許さ』れたような気になった。結果、俺は約束を忘れ、友奈を悲しませた。
俺は、そのときも、『許さ』れた。
『許さ』れて、しまった。
『許さ』れ、たかった。
何度も何度も、俺は『許さ』れた。
その度に、俺はこの世界に馴染んでいった。
そんなことで、俺の罪は、消えるはずもないのに。
***
俺の告白が終わり、友奈は
「バカっ!!」
と、叫ぶように言った。
そうだ、俺は馬鹿なんだ。
だから、『許さ』ないでくれ。
その『許し』は、呪いのように、あるいは鎖のように、今もまだ、そこにある。
まだ、あの日々と、あの思い出と、あの言葉と、あの死と、結びついている。固く、強固に。
嗚咽が止まらない。カッコ悪いな、俺。
だからもう、消えたい。消えたいんだ。
殺さずに、消してくれ。死なせずに、消してくれ。
「秋、好きだよ。宣言します。私、西寺友奈は、あなた、千明秋が好きです。全部、好き。だからね、秋。あなたが、私に、何もしてくれなくても、私は秋のことが、好きよ」
友奈らしい、強い、言葉。
――どうして君は、そんなに強いんだ。
あのときの言葉が、鮮明に思い出された。
嗚咽がやっと、止まった。
それでも、呪いは、鎖は、俺の心を捕らえたままだ。恐れたまま。そう、恐れたんだ。
「秋、遺志を継ぐって、殺された人だと、どうしても、仇を打つって意味になりやすいじゃない」
友奈は言った。「でも」、と彼女は続ける。
「でもね、私は、その人の遺志を継ぐって、その人が、願った世界を作ってあげる、ってことなんだと思うの」
友奈らしい、強くて、優しい言葉。
その言葉に、呪いが、鎖が、静かに、美しく消えていって――綺麗な、煌めいた涙に変わって、俺の頰を伝った。
――ごめん。
そう言おうとして、言葉を飲み込む。
――いや、違うか。だからこそ――いま言うべき言葉は謝罪じゃない。
ああ、だから俺は『許さ』れてしまうんだ。
君だから、『許さ』れたいと、思ってしまうんだ。
涙でグチャグチャになった顔に、精一杯の笑顔を浮かべて。
「ありがとう、友奈」
――友奈は、瞼を閉じた。一秒も経っていないのに、その時間が永遠のように感じた。
「いいえ、どういたしまして」
あのときと違って、満面の笑みで、友奈は言った。
また、『許さ』れて、しまった。
でも。もう、呪いは、鎖は砂だ。
砂になった、その残骸ごと、振りほどけ。
思いを。想いを。
「三日で、終わらせよう。全てを」
涙を拭いて、立ち上がる。
その言葉に、友奈は力強く頷いた。
昔大好きだったゲームに、印象に残った言葉がある。それはラスボスの、魔王のセリフだ。
――人類にとって、お前は確かに勇者で、私は魔王なのだろう。だが、魔族にとっては、私は勇者で、お前は魔王なのだ――といった、そんな、ある意味ありふれたセリフだ。
【仮面の魔王】も、同じなのだろうか。
でも、それはもう、関係のないことだ。
ジャンが、二人が、みんなが望んだ世界を、作るために。俺が魔王でもいい。それでも、奴を、倒す。
終わるのは、
終わる覚悟は、もうできた。
この世界を守るためなら、俺の愛した人々を守るためなら、俺は自分も犠牲にする。
決めようか、【仮面の魔王】。この三日で。
三日で終わる、魔王か世界のどちらかが。
残り時間:04:03:15
三日で終わる、魔王か世界のどちらかが 氷今日 @HisaNao1127
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