柊
「何だ、またそんなの引き連れてんのか」
学校から帰った私を、庭に立つ
「重かったよー! ねえ、そこのおじいちゃん、これ、何とかしてよう」
「ちっ、大声出すんじゃねえよ、うるせえな。ったく、誰がじいさんだ、柊さんと呼べ……邪魔だ、ちょっと離れてろ」
柊さんは庭に植えられた柊の妖精? 鬼? さんで、家で見えてるのは私だけ。背は大きいけど痩せていて、ぎょろっとした目のおじいさんだ。短い髪の毛は真っ白で、おでこの左右に柊の葉っぱの棘みたいなちいさな角が一本ずつ生えてて、白い甚平を着てる。それで、ちょっと口が悪い。
柊さんが「ぱあん!」と大きな音を立てて手を叩くと、靄もぱあんと弾け飛んだ。靄が消える時にほんの少し良い匂いがする。柊の白い花の優しい匂い。
文句言ってても、柊さんは結局助けてくれるの。
「凄い! 柊さん、カッコイイ!」
「べ、別に大したこっちゃねえよ! その、あれだ、俺のシマに余計なモノを入れたくねえだけだし! お前の為とかじゃねえんだからな!」
ちょっと顔を赤くして、柊さんが腕組みしてそっぽを向く。
「それより、寄り道でもしたか? ああいう手合いは、見えりゃ憑いて来んだって言ったろ。無駄にデカい目で、変なもんばっか見付けやがって」
「寄り道なんてしてないよ。学校から真っ直ぐ帰って来たもん」
私が唇を尖らすと、柊さんは腕組みしたまま唸った。
「今の奴、そこそこちゃんとしてたぞ。お前みたいに普段から見える奴じゃなくても、何かしら感じる程度にゃ存在感があった。あんなの昨日今日出来たモノじゃねえ」
「難しいこと言われても分からないよ……あ、宿題あったんだ! バイバイ、柊さん」
「ふん、とっとと家に入っちまえ」
……さっきは言わなかったけど、本当は、学校で困ったことが起きていた。クラスで「こっくりさん」っていうおまじないが流行ってるんだ。
あれは駄目。怖いものを呼んじゃう。うちのクラスだけじゃない、いつの間にか、学校のあちこちに黒い靄が溜まってる。柊さんに言われてたから、なるべく見ないふりをしてたのに。
次の日。
帰りの学級会が済んだら、隣の席の
「ねえ、こっくりさんなんて、やめたほうがいいよ」
「何でそんなこと言うの?」
私の言葉にこっちを向いた茜ちゃんの顔は、真っ黒な靄で覆われてた。黒いマジックよりも真っ黒な靄は、一目で、今までで一番怖いものだと判った。
靄が茜ちゃんから剥がれ、茜ちゃんの身体が椅子から滑り落ちた。床にべちゃりと落ちた靄に、クラスやあちこちにいる靄が集まって、どんどん大きくなっていき、人の様な形を取り始める。私は、悲鳴をあげて逃げ出した。
何とか校門までたどり着いて振り返ると、さっきまで靄だった「何か」が、思ったよりも近くに居た。空間を無理矢理人の形にくり抜いたみたいな艶の無い黒さに、ぞっとする。
学校中の靄を呑み込んだ「何か」がこっちに手を伸ばす。私は無意識に、助けてくれそうなひとの所に向かって走り出した。
お腹が痛くなっても構わず走り続け、「何か」を連れたまま家の門を走り抜けて庭にまわる。
「なにを騒いで……なんだ、テメェ」
私の背後を見た柊さんの顔が、見る見る険しくなる。
振り返った私に、「何か」から細い無数の腕が私達に向けて伸ばされた。柊さんが私の腕を引っ張り、背中に庇ってくれる。次の瞬間、柊さんの身体は無数の腕に包まれた。
「柊さん!」
私の悲鳴に、真っ黒な塊から、いつもよりも怒りと焦りを含んだ声が、
「うるせえ! いいからあっち行ってろ!」
そう言われたのに、私は見てしまった。
「何か」を内側から切り裂く鉤爪を。真っ白い甚平を赤黒く染めながら、枯れ枝のような腕が、易々と影を引き千切るのを。汚いものを撒き散らしながら戦慄く塊を喰い荒らす、鋭い牙を。
そこに居たのは紛れもなく、
「……鬼……」
「何だ、今更」
血塗れの顔で笑う柊さんに、身体がすくむ。
柊さんの足元に転がる消えかけの「何か」の身体が、やけにはっきり見えた。ずたずたに引き裂かれ、あちこちから内臓みたいなものをはみ出させて、黒っぽい血だまりで転がる、何処を向いてるのかも分からない首。
怖い。さっきのあれが怖ければ怖い程、やっつけた柊さんが怖かった。
「おい、どうし――」
訝し気にこちらに伸ばされた手に、肉片を纏わりつかせた硬くとがった爪が鈍く光る。身体が勝手にびくんと震え、口から叫びが飛び出す。
「嫌っ!」
鬼の手が止まった。柊さんは自分の手と私を交互に見て、顔を歪めた。腕を振って、手に纏わりついた血を払うと、ニタリと笑って低い声で、
「鬼が折角助けてやったってのに、馬鹿な餓鬼だ。そんな礼儀知らずの目玉なんぞ、二度とこの面を拝めないように喰っちまおう」
柊さんの手が私に向けて伸ばされる。ただ、がたがたと震えるしか出来ない私の視界が大きな手に覆われ、
「もっと早くに、こうすりゃよかったぜ」
ずぶんっ
激痛と共に、両目に柊さんの指が潜り込んだ。眼球を抉られる痛みと気持ちの悪さに意識が遠のく。
「ふん……あばよ――」
最後に聞こえた柊さんの声は、水の中で聞こえる音のようにぼんやりとしていた。
ふと、肌寒さに目が覚めた。
慌てて起き上がると、私は庭に一人で転がっていた。柊さんに食べられた筈の目が、薄暗くなってきてる庭をはっきりと捉える。
「――柊さん?」
庭の隅の柊の花から微かにいい匂いがしたけど、それだけだった。あの「何か」の血だまりも、鬼の姿も見えない。
あの日から柊さんは居なくなってしまった。柊さんだけじゃない。町のあちこちや学校で見掛けた靄も無くなってる。
でも、本当は分かってる。柊さん達は居なくなったりしていなくて、私が見えなくなっただけ。きっと、私の「不思議を見る為の目玉」は柊さんに食べられてしまったのだ。
「見えりゃ憑いて来んだって言ったろ」
柊さんの言葉を思い出す。目玉を食べられてしまったから、怖いものは見えない。見えなければ追いかけられることも無い――そして、もう、柊さんを見ることも出来ない。
あれから何日か経って。
今日もリビングの窓から柊を見ていたら、お母さんが、
「何? 何か面白いものでも見えるの?」
隣に立って、私と同じ方に顔を向けた。
「ああ、柊。赤ちゃんの頃から好きだったものね。棘があるからあんまり近付いちゃ駄目って言っても、すぐに傍に行きたがって。ひいおじいちゃん、きっと喜んでるんじゃないかな」
「ひいおじいちゃん?」
お母さんが優しい顔で頷く。
「ひいおじいちゃんが、庭に柊を植えてくれって言ったの。柊は魔除けになる、きっとお前達を護ってくれるからって。結局、あなたの顔も柊も見る前に、病気で亡くなっちゃった。『ひ孫の顔を見るまでは』って頑張ってたんだけどね」
よく考えたら、ひいおじいちゃんの話をちゃんと聞くのは初めてかも。
「ひいおじいちゃんって、どんな人だったの?」
「背が大きくて、口が悪くって、一年中甚平を着てるような変な人。照れ屋だから、ちょっと褒められると大きな目を剥いて『うるせえな』って言うような……けど凄く、優しい人」
「――そっか」
お母さんは「そろそろご飯作らなきゃ」と言って、キッチンに行ってしまった。
私は玄関でサンダルをつっかけ、庭に出た。柊の木の前に立つと、静かで優しい匂いに包まれる。
ずっと、柊さんにあの時の事を謝りたいと思ってた。怖がってごめんなさいって。けど、伝えるのは「ごめんなさい」じゃないって、今の私は知っている。
「助けてくれてありがとう、ひいおじいちゃん」
柊の木に頭を下げる。花の香りがふわりと揺れ、
「ふん、うるせえな」
あのぶっきらぼうな声が聞こえた気がした。
秋花語り 遠部右喬 @SnowChildA
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