第5話:朴念仁、愛の魔法をかける
小説『ドワーフの初恋』
第五話:朴念仁、愛の魔法をかける
メデューサが“虹の涙”を流した日から、彼女には小さな変化が起きていた。
今まで血の気を失っていた唇に、ほんのりと桜色が戻り、肌には温かみが宿り始めたのだ。ガルドが彼女の首を持ち上げるとき、以前のようなひんやりとした感触はもうなかった。
「姉さん、なんだか最近、顔色がいいな!やっぱり、毎日外の空気を吸ってるからか!」
『…そう、かもしれんな』
ガルドの言葉に、メデューサは静かに頷く。彼女自身も、自分の身に起きている変化に気づいていた。それは、呪いが解け始めている兆候だった。
彼女にかけられた呪いは、強大な憎しみと孤独によって維持される魔法だった。しかし、ガルドという存在が、その前提を根底から覆しつつあった。
毎日届けられる無償の愛。孤独を埋める温かい時間。恐怖ではなく、美しいと言ってくれる唯一の存在。それらが、何百年も彼女を縛り付けていた呪いの鎖を、少しずつ蝕んでいたのだ。
その日、ガルドはメデューサを背負い、二人が初めて出会った「嘆きの洞窟」の最深部にいた。
彼は、メデューサがいつも置かれていた祭壇を、丁寧に磨き上げていた。
「よし、こんなもんかな。いつか、あんたが自分の足でここに帰ってきたとき、ガッカリさせないようにな!」
『…私の足…?』
「おうよ。俺は信じてるぜ。あんたの呪いは、いつか必ず解けるってな」
ガルドの言葉には、何の根拠もなかった。だが、その揺るぎない確信に、メデューサは心を強く打たれた。
『ガルド。もし…もし、私の呪いが解けて、体を取り戻したら…お前は、どうする?』
「どうするって…そりゃあ、決まってるだろ」
ガルドは磨いていた布を置くと、メデューサの前にしゃがみこんだ。その瞳は、ドワーフが最高の鉱石を見つけた時のように、真剣な輝きを宿していた。
「真っ先に、あんたに指輪を贈る。この前もらった“虹の涙”をはめ込んだ、とびっきりのやつをな。そして、あんたに言うんだ。『俺の嫁さんになってくれ』ってな」
『……嫁に…?』
「ああ。そして、二人で家を建てるんだ。この洞窟の近くに、日当たりのいい家をな。俺が石を積み、あんたが花を植える。俺が獲物を狩ってきて、あんたがそれを料理する。髪の蛇たちも、庭で日向ぼっこだ。どうだ?最高の人生だろ?」
それは、あまりにも素朴で、あまりにも温かい未来図だった。
メデューサが、かつて望んですらもいなかった、平凡で幸福な日常。
『…ふふっ…あはははっ!』
不意に、メデューサが声を上げて笑った。鈴が転がるような、明るい笑い声。彼女が心から笑ったのは、何百年ぶりだろうか。
その笑い声に呼応するように、彼女の体から、柔らかな光があふれ出した。
「お、おい、メデューサ!?」
光はみるみるうちに強くなり、洞窟全体を白く染め上げる。
ガルドが目を眇めると、光の中心で、メデューサの首の下から、光の粒子が集まっていくのが見えた。粒子は形を成し、肩が、腕が、胴体が、そして足が、まるで失われた時を取り戻すかのように、再生されていく。
やがて光が収まった時、そこに立っていたのは、一人の美しい女性だった。
なめらかな肌、しなやかな手足。質素なローブを身にまとっているが、その姿はどんな女神よりも神々しく見えた。
髪の蛇たちも、もはや威嚇の象徴ではなく、彼女の感情を表すかのように、嬉しそうに穏やかに揺れている。
ただ一つ、以前と変わらない、黒曜石の瞳。その瞳が、驚きに目を見開いているガルドを、まっすぐに捉えた。
「…ガルド…」
か細い、しかし確かな声で、彼女は初めて自分の“口”で、彼の名を呼んだ。
「……メデューサ…」
ガルドは、呆然と立ち尽くしていた。目の前の光景が、信じられなかった。
彼が恋をしたのは、首だけのメデューサだった。しかし、今、彼の目の前にいるのは、完全な体を持つ、一人の美しい女性だ。
メデューサは、おぼつかない足取りで、一歩、また一歩とガルドに近づいた。そして、彼の無骨で大きな手のひらを、自分の両手でそっと包み込んだ。
温かい。生きている人間の、確かな温もりだった。
「…お前のせいだぞ、朴念仁」
メデューサは、少し意地悪そうに微笑んだ。
「お前が、私の孤独を奪った。お前が、私に愛を教えた。…お前が、私にかけられたどんな魔法よりも強い、“愛の魔法”をかけたんだ」
その言葉に、ガルドは我に返った。
彼は、目の前の奇跡を力いっぱい抱きしめた。
「うおおおおぉぉぉ!メデューサアァァ!」
ドワーフの不器用で、しかし、誰よりも強い抱擁。メデューサは、その胸の中で、幸せそうに目を閉じた。
呪いを解いたのは、伝説の聖剣でも、高位の解呪魔法でもなかった。
それは、一人の朴念仁なドワーフが捧げた、見返りを求めない、まっすぐな愛。
大陸中の誰もが恐れた魔女の呪いが解けたという報せは、やがて世界を駆け巡るだろう。
そして、嫉妬の嵐が、再びこの二人を襲うかもしれない。
だが、今の二人には、もう何も怖いものはなかった。
手を取り合ったドワーフと元・魔女は、これから始まる、騒々しくて温かい毎日を思い、共に微笑み合うのだった。
ドワーフの初恋 第一部・完
『『ドワーフの初恋』』 志乃原七海 @09093495732p
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