第2話 〈血涙杖〉

 城に戻ると、庭の訓練場から金属音が響いていた。


 アジュは父や兄たちと別れ、護衛兵とセナを連れて音のする方へ向かった。


 訓練場では、奴隷たちが〈血涙杖ベルルーサ〉を手に戦の練習をしているところだった。

 〈血涙杖ベルルーサ〉は月天エルテン王国から伝わった武器だ。刀のような鞭とも、鞭のような刀とも形容される。

 所持が許されているのは、月天エルテン王国から友好国であると認められている証でもある。


 しばらくして、サンガルータとユンサンガルータが現れた。

 ほかの奴隷たちが中央の大リングを空ける。


 二人は〈血涙杖ベルルーサ〉を手に対峙した。二本の武器が宙を舞い、時に直線的に、時に曲線を描いて相手を捉えようとする。鞭のようにしなり、互いを襲う。


 セナは食い入るように二人の動きを見つめていた。


「サンの方が上手ね」

 アジュは呟いた。


「彼は〈痛みを知る者〉だから。過去に深い苦痛を味わった者ほど、この武器は強くなる」


「苦痛…が?」

 セナが初めて疑問を口にした。


「そうよ。使用者の過去の痛みが武器の強度に影響する。より深い苦痛を経験した者ほど、より鋭い刃、より長いリーチを得られる。ただし、使用時には過去の痛みが脳裏に蘇る。だから扱うのが難しい武器なのよ」


 訓練場では激しい攻防が続いていた。

 サンガルータの〈血涙杖ベルルーサ〉は複雑な軌道を描き、死角から攻撃を繰り出す。一方のユンサンガルータは力任せだが、持ち前の膂力で押し切ろうとしている。


「サンは奴隷になる前、故郷で家族を殺されているの。だから彼の〈血涙杖ベルルーサ〉は特に強い。ユンの方は…」


 アジュが言いかけた時、意外なことが起きた。ユンサンガルータの渾身の一撃がサンガルータの防御を破り、彼を地面に叩きつけたのだ。


「ユンの勝ちか」


 いつの間にか、異母兄のダリが来ていたようだった。


「珍しいな」


 ユンサンガルータが勝ち誇ったような笑みを浮かべて、主人のもとに駆け寄る。足元に片膝を付いて跪いた。

 何も言わないが、褒美をくれ、と顔が言っている。

 ダリは苦笑いを浮かべながら頷くと、振り返って侍女たちに合図をした。





 若い女奴隷たちの啜り泣きは、夕方まで訓練場に響き渡っていた。

 女奴隷たちは木陰に並べられていた。中には幼女もいる。

 ユンサンガルータは訓練場のど真ん中で、褒美として与えられた女奴隷たちを、次々と犯していた。

 女奴隷たちは縛られたまま、身動きも取れずに啜り泣いている。中には縄で足を縛られたまま這って逃げようとして、男奴隷に殴られる者もいた。


「悪趣味なご褒美なんだから」


 呟いたアジュは、ハッとした。

 夕日に照らされたセナの横顔に、アジュは今まで見たことのないほど深い憎悪の炎が宿っている。

 セナの拳は固く握られ、小刻みに震えている。


「セナ…?」


 アジュが声をかけようとした時、大リングから特に大きな泣き声が響いた。まだ幼い女奴隷が、ユンサンガルータに引きずられている。

 その瞬間、セナの瞳に殺意が宿った。


「ずいぶん怖い顔じゃねえか」


 いきなり声が聞こえて、アジュは顔を上げた。

 異母兄のダリが立っていた。セナは目の前に立つ主人の兄を、冷たく敵意に満ちた目で睨み付けた。


「セナ、だっけか。主人の奴隷をそんな目で見るものではない」

「主人ではない」


 アジュは慌てて口を挟んだ。


「おっと失礼。主人ではなく主人の兄、だな。しかし公女殿下、奴隷の躾は重要ですよ。放っておけば他の奴隷たちにも悪影響が出てしまう」

「余計な忠告は不要です」


 アジュの声が中庭に響いた。周囲の者たちが振り返る。


 ダリの表情がすっと硬くなった。


「公女殿下。まだ奴隷を買ったばかりで浮かれる気持ちもあるでしょうが、秩序は大切です。これからは主人として立派に奴隷を躾けねばなりません。お父上のためにも――」


 ふっ、とアジュは鼻で笑った。


「秩序というなら、公子がわきまえるべきでしょう」


「よろしい」


 しばらく沈黙の後に、ダリが意地悪な笑みを浮かべた。


「こうなれば奴隷同士で決着をつけてもらうしかありません」


 アジュはほぞを噛んだ。

 決闘を申し込まれたら、よほどのことがなければ断ることはできない。断れば臆病者だとみなされる。

 だが、買ったばかりのセナを、鍛え上げたユンサンガルータと決闘させるなど無謀だ。


「野蛮なことはやめましょう、お兄さま」

 アジュは弱腰になった。


「なんだ? 怖いのか?」

 ダリは譲らない。


「お受けします」


 口火を切ったのはセナだった。


「下がっていなさい、セナ。おまえには無理だ」

「いいえ、やります。殿下」

「無理だと言っているだろう!」


 アジュは怒鳴りつけたが、セナは一歩も引かなかった。


「お受けします」


 その声は静かだが、確かな決意に満ちていた。


「認めません。素人に〈血涙杖ベルルーサ〉は扱えない」


 アジュは止めようとしたが、セナは頑ななだった。


「こうと決まったら、やるほかないだろう。セナはユンを侮辱したのだから、リングの中で決着をつけてもらう」


 ダリは楽しそうに言った。


「模擬戦よ。殺傷は禁止ですからね」


 アジュは暗い気持ちで強調した。


 こうして、奴隷セナとユンサンガルータの決闘が決まった。

 中庭に人垣ができる。城の使用人たちも固唾を呑んで見守っていた。

 ユンサンガルータが〈血涙杖ベルルーサ〉を構える。素手で立っているセナに、ダリが〈血涙杖ベルルーサ〉を持たせた。

 先程の勝利で自信をつけたユンサンガルータは、余裕の表情を浮かべている。


「始め!」


 ダリの合図と同時に、ユンサンガルータの〈血涙杖ベルルーサ〉が鞭のようにしなった。セナは紙一重でかわし、その動きは水のように滑らかだった。


「なに…?」


 ユンサンガルータが驚く間もなく、セナが間合いを詰める。彼女の素早い動きに、ユンの〈血涙杖ベルルーサ〉は対応できない。

 セナの拳がユンサンガルータの胸を捉えた。

 ユンサンガルータが後ろによろめく。セナは追撃せず、静かに立っている。


「まだです」


 セナが囁いた。

 その意味をアジュが理解するよりも前に、セナの手の〈血涙杖ベルルーサ〉が動き出した。その〈血涙杖ベルルーサ〉はまるで自分の意思を持つ龍のように、天に向かってそそり立ち、巨大なリーチでユンサンガルータの体に巻きついた。

 それからユンサンガルータの体が粉々にやぶれるまで、瞬きをするもなかった。


「なんだこいつ」


 ダリの絶望的な呟きが、静まり返ったリングに響いた。


 アジュは直感した。セナには深い秘密がある。

 リングの真ん中に立つセナは鳥肌がつほどの恐ろしい殺気をまとっていて、アジュすらも声をかけることができなかった。

『殿下は見る目がございます』

 奴隷商人の言葉が脳裏に蘇った。

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公女と奴隷少女の異世界綺譚〜過去の痛みが力になる世界で、公女が13歳の誕生日に買った奴隷少女が最強すぎた〜 桂 伊織 @Iori_Katsura

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