公女と奴隷少女の異世界綺譚〜過去の痛みが力になる世界で、公女が13歳の誕生日に買った奴隷少女が最強すぎた〜
桂 伊織
第1話 奴隷選び
窓辺に立ち、中庭を見下ろした。石畳の上に、奴隷商人が連れてきた人々が並んでいる。
男女合わせて二十人ほど。どの顔も諦めと絶望に満ちているように見える。
「アジュ」
振り返ると、父のシンハが立っていた。
シンハ――煌明公国を治める男の顔には、いつも疲労の色が濃い。だが、娘と話すときは、つとめて穏やかな表情を作っている。
「選りすぐりだよ。アジュが初めて選ぶ買い物だから、いい物から選ばせたい。質の悪い商品を持ってきたら容赦しないと、ヨジにしつこく言い含めておいたからね」
ヨジは、公国で最も有名な奴隷商人の名前だ。隣の
「もう時間だ。下へ降りよう」
アジュは頷いた。
今日は十三歳の誕生日。つまり煌明公国の習わしに従い、専用の奴隷を選ぶ日だ。
中庭に降りると、既に母のマトナ公妃と、異母兄のダリが待っていた。
ダリの横には、彼が四年前に選んだ二人の男奴隷、
「公女殿下、お誕生日おめでとうございます」
ダリが恭しく頭を下げる。四歳上の異母兄だが、嫡出子であるアジュには常に敬語を使う。
「ありがとう、公子」
アジュは微笑みで返したが、ダリの目に宿る冷たい光を見逃さなかった。もとより、妹を前にしているとき、ダリはいつも氷のような目をしている。
奴隷商人の頭・ヨジが前に出て、
「煌明公殿下、公女殿下。本日は誠におめでとうございます。腕によりをかけて、良質な奴隷を揃えさせていただきました」
ふん、とアジュは鼻を鳴らした。
これだけ揃っていても、選べるのは一人だ。
公国の慣習では、貴族の男子は十三歳になれば二人の奴隷を買うが、女子は一人と決まっている。
自分より身分が低い庶子のダリは二人も引き連れているのに、嫡出公女たる自分は一人か。口には出さないが、アジュは不満だった。
アジュが黙っているうちに、シンハが口を開く。
「アジュは女だ。護衛として使える屈強な男奴隷を買ってやりたい」
「もちろん。お任せくださいまし」
ヨジが顎で合図すると、商人たちは男奴隷の中から特に体格の良い者を前に出した。
筋骨隆々とした男たちが、腰の下帯だけを身に付けて並ぶ。
「こちらの者たちはいかがでしょう。戦闘の訓練も積んでおります」
「なるほど、悪くない」
シンハは男奴隷たちの背中を順番に叩き始めた。
叩いたときに鳴る音で、筋肉の質を確かめている。ひときわ胸筋の発達した男を前にすると、シンハは彼の腹部に思い切り蹴りを入れた。男は鼻息を吐いただけで、呻き声ひとつ上げずに堂々と立っていた。
「こいつなんかどうだね、アジュ」
しかしアジュの視線は、列の端にいる細身の少女に注がれていた。
黒く縮れた髪を後ろで束ね、汚れた麻布を一枚、被っている。布から飛び出した手足は小枝のように細い。頬骨が浮き出た顔は痩せこけているが、薄い唇をきつく噛み、窪んだ目は炎を宿したように燃えていた。
「あの娘」
アジュが指差すと、その場にいた全員が振り返った。
「何を言うか。冗談を言う場ではないぞ」
シンハの口調が険しくなる。
「冗談ではありません」
「なら本気で言っているというのか。あんな、今にも死にそうな娘を買ってどうする。骨に皮がついたような娘では護衛にもならない」
「でも、あれがいいのです、父上」
こら、と母のマトナが咎めるように口を挟んだ。
「公のおっしゃる通りよ。もっと実用的な者を選びなさい」
だがアジュは首を横に振った。すでに心を決めてあった。
「あの娘でなければ嫌です」
しばらく言い争う父娘を、マトナは心配そうに、異母兄のダリは面白がるように見ていた。口論の末、シンハは、
「分かった。もう勝手にしなさい」
呆れたように言った。シンハは息子には厳しいが、娘であるアジュのことはそもそも後継者候補と見做していないので、たいていは甘い。
ヨジは慌ててアジュが指名した少女を前に引きずり出した。
「年齢は?」
シンハが投げやりに尋ねる。
「正確には分かりかねますが、十六、七といったところです。体は健康ですよ」
「名前は?」
今度はアジュが尋ねた。
「今から殿下がお付けになるのですよ」
ヨジが得意げな笑みを浮かべて答える。
「そう。では、
ヨジは頷き、セナの足輪と手錠を外した。
セナは誰に言われるでもなく、自分の足でとぼとぼ歩き、アジュの前に立った。
どう見ても栄養失調なのに、目の前で見ると案外、背が高い。同世代の女の中でも特に小柄なアジュとは、頭三つ分は差があった。
「座れ」
それが、アジュが奴隷に発した初めての命令だった。
セナはアジュの前に片膝を付いて座った。
取引が終わり、奴隷商人たちが帰り支度を始めると、ヨジがアジュに近づいてきた。両親が他の者と話している隙を狙って、早足で来たようだった。
「あのう」
話しかけてきたヨジを、アジュは反射的に睨み付けた。
「何?」
「殿下は見る目がございます」
ヨジはそれだけ囁くと、逃げるように列の先頭に戻っていった。
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