人間によろしく
スズムラ
第1話
廃ビルの外壁が聳え立っていた。内装はかつての昭和バブルの絢爛さが目も当てられぬ有様で、屋上への階段は勿論ただならぬ崩壊によって通行不可である。私は外壁に気根を張る蔦の強靭さを確かめると、日を凌ぐ仮宿をここに決めたのだ。
私は逃亡していた。それは人間からである。私を追うものは地面を這うわけだから、接地点のない屋上が唯一機能する私の隠れ蓑だった。
屋上目指して只管に壁をよじ登っていくと、ギシ、ギシと掌が私の体重に軋む音を立てる。気根はコンクリートの厚板を打ち抜いて、私を転落させまいとしているようだった。足指も同様に、重力と垂直抗力に逆らう私を摩擦の熱が支えている。蔦の気根は、壁を掴む度に私の手足末端から生えていた。
歪んだフェンスをよじ登り、逃亡の末私はやっと留まった。そっと屋上をそよぐ風が、土埃とそれに混じってトマトのような酸味を漂わせる。何かと思えば、それは私の匂いだった。六日ほど無我夢中で逃げるうちに、私は野生動物のように汚れきっていたのである。しかし、私は自らの落魄を喜んだ。私が怪奇であるからだ。べたついた衣服で疲弊を拭うと、私は傾いた屋上のタイルの上に伏せた。
私は愚かであったので、家族が失踪宣告を出すのを待っていた。自分が人間ではなかったから、人間社会ではやっていけないのだと確信があった。だから逃げたのだ。胃腸が窮しているのを告げても、前腕が冷えていくのを感じても、私には応じる価値がない。彼らの義務も責務も切れるまで、私は高い土の中で萌芽を待つのだ。
人間によろしく スズムラ @suzmra
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