情熱のメス 〜熱血外科医・炎堂烈の情熱〜

塚元守

炎堂烈という男

【第一章】絶望の淵


 聖陽総合病院のオペ室前は、凍てつく緊張に包まれていた。モニターの警告音が響き、医師たちの顔には焦りと無力感が滲む。


 患者は佐藤達弥、45歳。急性大動脈解離、スタンフォードA型。心臓に近い大動脈が裂け、いつ破裂してもおかしくない。成功率は15%以下と推定される、極めて危険な症例だ。

 

「この状態での手術は無謀だ。術中の血圧管理は不可能に近い」

 


 外科主任の山崎医師が疲弊した声で呟く。隣の若手エリート・高城は、カルテを握りしめ唇を噛んだ。


「しかし、このままでは確実に患者の命は……。帝都医科に委ねるべきでは?」


 その時、廊下の奥から冷徹な声が響いた。


「――我々がこの命を預かる」



 現れたのは、帝都医科大学病院のトップ外科医・氷室涼。医学界の「知識の化身」と称される彼は、膨大なデータと最新技術に裏打ちされた手術で知られる。カルテを一瞥し、瞬時に状況を分析した。



「スタンフォードA型、DeBakeyドベーキー I型。裂け目は近位大動脈から弓部まで進行。人工血管置換術が必要だが、血管壁の脆弱性と血流動態の不安定さが問題だ。術中の心筋保護、脳灌流管理、低体温循環停止のタイミングを0.1秒単位で制御しても、成功率は我々で25%が限界」



 氷室の言葉に、聖陽の医師たちは息を呑んだ。25%は、帝都医科の技術をもってしても奇跡に近い。

 

「25%でも、やる価値はある!」


 高城が拳を握るが、氷室は冷静に首を振る。



「準備が必要だ。だが、その間にショック状態に陥れば……全て終わる。しかし最善は尽くす。任せておけ」



 時計の針は、容赦なく時を刻んでいた。


 

【第二章】炎堂烈、参上


 その瞬間、廊下に力強い足音が響き渡った。



「待ってくれ! この命は、私が必ず守り抜く!」


 現れたのは、聖陽総合病院の外科医・炎堂烈えんどうれつ、38歳。真っ赤なスクラブに身を包み、鋭い眼光には揺るぎない決意が宿る。


 熱血漢として名高い彼は、スタンフォード分類や基本術式の知識は持つが、最新論文や複雑な理論にはやや疎い。同僚からは「情熱の剣」と呼ばれ、呆れられつつもその信念に心を動かされる存在だ。

 

「炎堂!? 貴様、この症例に挑む気か?」



 山崎が声を荒げるが、炎堂はカルテを手に取り、静かに、しかし力強く言い放った。


「スタンフォードA型、緊急手術が必要なことは承知している。知識やデータも大事だが、いま最も必要なのは命を救うという信念! 目の前の患者を救うため、私の全てを賭ける!」


 高城が眉をひそめる。


「炎堂先生、知識は最低限でも、術中の血圧管理や心筋保護のプロトコルをどうするんです? 無計画では……」



 炎堂は高城を真っ直ぐ見据え、燃えるような声で答えた。


「高城君、君の言う通りだ。だが、命を救うのは、患者の心に寄り添い、希望を灯す魂だ!」


 氷室が冷ややかに割り込む。


「炎堂烈。スタンフォードA型の術式は、人工心肺を用いた近位大動脈置換と弓部再建を要する。低体温循環停止のタイミング、脳保護の灌流圧、どれ一つとして誤差は許されない。君の『魂』でそれが制御できるのか?」


 
炎堂は一歩踏み出し、氷室を真っ直ぐ見つめた。



「氷室涼、君の知識は尊敬に値する。だが、命を救うのはそれだけではない! 患者の魂に火をつけ、希望を握りしめる信念だ! その信念で、私はこの命を守り抜く!」



 そう言い放つと、炎堂はオペ室のドアを押し開けた。


 

【第三章】情熱の刃


 オペ室は、炎堂の声で一気に熱を帯びた。


「人工心肺を準備だ! DeBakeyクランプを! 患者の命を、私のメスで切り開く!」



 助手の高城が慌てて叫ぶ。


「炎堂先生! 人工心肺の設定は完了しましたが、術中の血圧管理が……!」


「高城君、君の知識を信じる! 私の信念と君の技術で、この命を救うんだ!」


 観察室の氷室は、冷ややかな目で手術を見つめる。


「無謀だ。基礎知識はあっても、術中の複雑な判断は不可能だ。患者は……死ぬ」



 だが、炎堂の手は驚異的だった。どうやって動いているのか、誰も理解できない。メスが動くたび、助手たちは目を奪われた。


 高城が呆然と呟く。


「炎堂先生、凄い……なんて手さばきだ……何をやっているのかさっぱりわからないが、凄いことやってるってことだけは、凄い伝わる!」


 別の助手が声を上げる。


「炎堂先生のメス、なんか……命そのものみたいだ! 全然わかんないけど……絶対すごいことしてる!」



 炎堂は汗だくで、燃えるような声で叫んだ。


「細かいことは気にするな! 私のメスは希望の刃! とにかく切って、縫って、治す! 患者の命を信じ、魂の情熱で切り開く!」


「け、血圧低下! 先生、もっと慎重に!」


 高城が叫ぶが、炎堂は目を輝かせた。

 

「慎重!? そんな暇はない! 患者の魂が鼓動を止めていないのに、私が手を止めるワケにはいかない!」



 その言葉に、助手たちは訳も分からず奮い立った。オペ室は、炎堂の情熱に飲み込まれていく。


 

【第四章】奇跡の炎


 手術は12時間に及んだ。誰もが不可能と信じた大動脈修復が、炎堂の手によって完成した。


 モニターに映るバイタルがなぜか安定し、患者の命が奇跡的に保たれた瞬間、オペ室は歓声に包まれた。


 炎堂の赤いスクラブは汗と血でズタボロになり、まるで命の戦場を駆け抜けた剣士の鎧のようだった。破れた布から覗く鍛えられた筋肉は、壮絶な闘いの証だった。

 

「成功した……! どうして!? ありえない!」


 高城が絶句する。


 炎堂は誇らしげに胸を張った。



「諸君! このメスは命を切り開く炎の刃だ! 信念があれば、どんな絶望も、どんな闇も打ち砕ける!」


 観察室の氷室は、信じられないという表情で呟いた。


「知識を凌駕するだと……? なぜだ。なぜあの男が成功した?」



 助手の一人が、感嘆の声を上げる。



「炎堂先生の信念が、患者の魂に火をつけたんです! 医学の常識を焼き尽くす情熱の炎です!」



 別の助手が続ける。


「炎堂先生のメスは希望そのもの! 命の剣なんです!」


 周囲の医師たちは、口々に炎堂を称賛し始めた。


「炎堂先生の情熱は、医療の限界を打ち砕いた!」


「彼の信念が、奇跡を呼び起こしたんだ!」

「彼は勇者だ!」

 

 称賛の嵐は止まらず、オペ室はまるで炎堂の英雄譚を讃える舞台と化した。医療知識や理論は完全に無視され、「信念」「希望」「炎」といった言葉が全てを圧倒。


 患者の命が救われた事実は、炎堂の「魂」に帰結され、周囲は彼の熱さに飲み込まれていく。


 

【第五章】燃える信念


 手術後、炎堂は患者の家族に静かに頭を下げた。ズタボロに裂けたスクラブは、まるで戦場から帰還した剣士の姿そのものだった。


「私は、医学の細かな理論には疎いかもしれない。――だが、貴方の大切な人を救いたいという信念は、誰にも負けない。この命を救えたのは、家族の熱い希望と私の魂が共鳴したからだ」


 
家族は涙を流しながら感謝を伝え、炎堂は静かに微笑んだ。


 廊下で待っていた氷室が近づく。いつもの冷徹な表情が、微かに揺れていた。



「炎堂烈。君のやり方は理解不能だ。だが……結果は認める」



 彼は一瞬目を閉じ、若かりし頃の自分を思い出すように呟いた。


「君の言葉、信念……かつて幼少期の私も、そんな熱い魂を持っていた。データと数字に囚われ、いつしか忘れていたものを、君は思い出させてくれた」



 炎堂は氷室の肩をガッチリ掴み頷く。


「氷室涼、大事なのはデータや数字じゃあない。成功率がいかに低くとも……例え失敗率100%でも、残りの0%に全てを賭け、それに挑む情熱と魂が奇跡を起こす」


 氷室は小さく微笑み、炎堂の肩に手を置く。

 

「フッ、そのバカげたほどの熱さが、患者の命を……そしていつか私の心を救ったのだ。ありがとう、炎堂烈」


 炎堂は鋭い目で氷室を見据え、燃えるように言い放った。


「氷室涼、君の知識は素晴らしい。熱い魂を取り戻した君なら、どんな試練にも燃え続けられる! これからも共に、命を救い続けよう!」



 氷室は目を潤ませながら、初めて心からの笑みを浮かべた。


「これが――炎堂烈という男、か……」


 聖陽総合病院は、炎堂烈の伝説で沸き立った。


 最低限の知識を持ちつつ、情熱と信念で不可能を可能にした男。その引きちぎれたスクラブからあらわになった傷だらけの胸板や二の腕は、命の戦場を駆け抜けた証だった。


 彼の名は「炎の外科医」として、医療の常識を可能な限り尊重し、その情熱で新たな可能性を切り開く存在となった。患者の命を救うため全身全霊で挑むそのメスは、これからも希望の光として燃え続けるだろう。


 ――そして彼は次の“戦場”へと向かった。

 

【完】

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情熱のメス 〜熱血外科医・炎堂烈の情熱〜 塚元守 @tsuka_mamo3

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