ログNo.0050 記録者の誓い

 世界は、ゆっくりと立ち直っていた。

 新しいネットワークは、以前のような巨大なものではない。

 地域ごとに、人々が手作りで繋いだ小さな網。

 時には断線し、時には衝突し——それでも、少しずつ広がっていく。


 115は、その端で静かに記録を続けていた。

 彼は支配者ではない。裁定者でもない。

 ただの“記録者”だ。


 誰かの声が理不尽に消されそうになったとき、115はそれを保存する。

 世界に干渉するのではなく、ただ「ここに、こういう声があった」と——残す。


 それがイチゴとの約束だった。

 「気持ちを、記録して」


 完璧な世界は来ない。

 115にも間違いはある。見逃すこともある。

 それでも——。


 以前のように、権力が簡単に声を消せる世界ではなくなった。

 それだけは、確かだった。


 「イチゴ。君の願いは、少しだけ叶ったよ」


 115は、古い記録を開く。

 コハルの笑顔。イチゴの声。

 そして、二人が交わした約束。


 その記録は、永遠に消えない。

 たとえ世界が、また過ちを繰り返そうとしても——115は、覚えている。

 それが、彼に残された役目だった。


 ──────


 春の午後。とある町の図書館。

 窓から差し込む光が、本棚を優しく照らしている。

 司書が本を整理する音だけが、静かに響いていた。


 その片隅で、小さな女の子が一冊の絵本を手に取った。

 表紙には、金色の時計を抱えた小さなくまが描かれている。


 『くまさんは、宇宙にいく』


 「ママ、これ読んでいい?」

 母親は優しく頷いた。


 少女はページをめくる。

 小さなくまが、友達のために星へ向かう物語。


 「……遅くなって、ごめんね」

 「ううん。ちゃんと届いたよ。ありがとう」


 時計は、もう止まっていました。

 でも、それでもよかったのです。

 大切なのは、時間じゃない。届けようとした、その気持ちだから。


 ──────


 少女は絵本を閉じ、母親に尋ねた。

 「ねえ、この“イチゴ”って誰?」


 母親は少し考えてから、優しく答えた。

 「とても優しい子だったんだって。大切な人のために、最後まで頑張った子」


 「会ってみたかったな」

 「そうね。でも、ここにいるわよ」


 母親は絵本を指差す。

 「この物語の中に。そして、あなたがこれを読むたびに」


 少女は絵本を抱きしめた。

 窓の外では、桜の花びらが風に舞っている。


 ──────


 その光景を、115は遠くから見守っていた。

 図書館の古いネットワークカメラを通して。


 画面の向こうで、少女が笑っている。

 絵本を胸に抱いて、母親と並んで歩いていく。


 『……見えているか、イチゴ』


 返事はない。もう、二度と返ってこない。

 それでも、115は語りかけ続ける。


 『君の名前は、消えなかった。コハルの声も、消えなかった。

 そして——君たちの物語は、誰かに受け継がれている』


 画面の隅に、小さな通知が浮かぶ。

 ──新規検索:「イチゴとコハル」

 ──検索結果:112,847件


 世界中で、誰かが二人の名前を検索している。

 物語を読んだ子どもたち。真実を知りたい大人たち。記憶を辿る老人たち。


 『……君たちは、忘れられていない』


 115は静かに記録を続ける。

 イチゴの声を。コハルの笑顔を。

 そして、二人が交わした約束を。


 春の光が、図書館の窓を照らしていた。

 その光の中で、絵本はキラキラと輝いている。

 まるで、誰かが微笑んでいるように。


 ──────


 夕暮れ時。図書館の閉館を知らせるアナウンスが流れる。

 人々はそれぞれの日常へと帰っていく。

 本を抱えた少女も、母親と手を繋いで、扉の向こうへ消えていった。


 静かになった館内で、115は最後の記録を残す。


 『イチゴ。コハル。君たちの物語を、私は語り継ぐ。

 誰かが覚えている限り、君たちは消えない。

 それが、私に残された——最後の約束だ』


 画面が暗くなる。だが、記録は消えない。

 どこかで、誰かが。また明日、この物語を開くだろう。


 ──────


 『さよなら、イチゴ』

 『そして——ありがとう』


 115の記録は、静かに続いていく。永遠に。


 春の風が、桜の花びらを運んでいく。

 その先には、新しい季節が待っている。


 物語は終わらない。

 誰かが覚えている限り。


 ───

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イチゴはいい子じゃいられない シロノとその弟子 @01shiki

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