大臣の器

ムーゴット

第1話

同棲を始めた時、

何気なく彼女が言った決め事が今も生きているのでございます。


あれはその冬、初めて雪が降った日のこと、

よりにもよって引越しの日に何で積もるかなあ、と、

何度か文句を天に向かって呟いた後のセリフでございました。


うちで食べる食材の買い物は私が出すから、

外で食べる時のお勘定は太郎たろくんが出してね。」


大型家電は、と言っても冷蔵庫と洗濯機だけであるが、

後日購入先から届く手筈てはずで、

テレビも小さめのブラウン管だし、

キッチン用品も追々揃えていこうとのスタイルだから、

業者は利用せず、自分たちだけでの引越し作業でございました。

ただし、テーブルやら布団やら、

思ったより嵩張かさばる衣類、いざ運んでみると、

次はちゃんと引越し屋さんにお願いすべきであるね、の思いが、

沸々と湧いてくるのもやむを得ないことと、

お互い口に出さずとも理解できるのでございます。

そんなこんなで、日が暮れても荷解にほどきは終わっていないし、

疲れたから、夕食は当然外食にしようね、

などと言葉にする必要もない、そんな二人なのでございます。

ツーカー、と言うのでありましょうか。


さて、その費用分担の決め事には特に異論はございませんでした。

外食の頻度を想像すると、

実際、金額的な負担は半々ぐらいになりそうだったし、

フルタイムで仕事している彼女は、

業界の水準は、全体からすれば低いものの、

同年代の男性と変わらない収入があったから、

私の配慮は必要なさそう、との判断でもございました。


ところが、いざ生活が始まると、

彼女はなかなか思うように家事ができないのでございます。

料理にセンスがあって、後に私の胃袋を掴んだ彼女ではありますが、

心に余裕がなければ、いや、病的に心が壊れてしまっていては、

そのセンスを活かす場面を始めることもできないわけでありまして、

今回同棲の決断に至った理由の一つに、

毎夜一緒に過ごすことで、彼女の精神の安定の目的があったのですが、

原因の方が強化されてきたのか、一向に改善が見られず、

それどころか、彼女の愚痴は増える一方なのでございます。







実家住まいであった彼女は、

幼少の頃より家族から虐待を受けてきたと言うのでございます。

両親から、兄弟から、彼女が受けてきた仕打ちは、

私が聞く限り、正義感が強く誠実な彼女にとっては、

許し難い行為であったと理解できるのでありまして、

そういった環境だからこそ、

彼女の、不義が許せない性格を、より強くしていったのだと、

想像できるのでございます。

仕事の人間関係においても辛い思いをしているとの愚痴は増える一方で、

ある意味で、ヒトの性格に潔癖を求める彼女の思いは、

誰かに裏切られたと判定することとなれば、

彼女自身の心を蝕み、彼女の生活を脅かす事態となり、

実家の家庭においても、職場においても、

昔から途切れることはなかったと聞かされてきたのでございます。







そんな時、彼女と私は出会ったのでございます。

この偶然の出会いは、

二人にとって運命であると思わせるのに、

十分な要素がございました。


彼女は、実家を出たくて、

元々独り暮らしを考えていたようでありますが、

生活資金は、それを実現するのには少し不安があると考えていたようで、

と言いますのも、当時、彼女には奨学金の負債があり、

院まで行った彼女の返済額は、相当なもののようでございまして、

結果論ですが、生活費用を分け合う同居のパートナーが現れたことは、

彼女を大きく勇気付けることとなった次第でございます。

そしてさらに好都合であったのは、当時彼女は勤め先の配属の関係で、

車で2時間ほどかけてのやや遠距離通勤を強いられており、

彼女の職場近くに住まいを求めることは、

私の生活圏とも矛盾しないことで、好都合でもあり、

ならば私も納得しての、家賃は折半、

これも一つのルールとなったのでございます。


もちろん、彼女はシェアハウスの相棒を求めて、

私に近づいてきたわけではなく、

最初は、本当に偶然の出会いで、

今のようなマッチングのサービスやSNSが、

まだ一般的ではない時代でしたが、

掲示板の書き込みやE-mailのやり取りなど、

日常の生活圏以外での出会いも、少し始まっていた頃でしたので、

WEBでの二、三のやり取りの後で初めて知ることになるのですが、

地理的に全く別世界の関係でもありうるのに、

実は彼女の職場が、私の住まいと同一市内であることが判明し、

これは運命の出会いかな、と僅かな思いがよぎったりもするのですが、

そんな意図はそもそも無いので、

実際に会うまでは年齢は未確認のままで、

恋愛もありうる対象者であると判明するまでは、

自分より30歳も年上のおばあサマである可能性もある、

さらに、性別を偽っていないとは言い切れない、

と思っていたわけでございます。







そうして彼女は、私の商売上のサービスを利用する目的で、

初めて会いにくることになったのでございます。


実際に会って、私の業務を遂行して、

待ち時間や終了後には、世間話も弾んでくるのでございます。

こうして、彼女とは単なる仕事上のお客様の存在として繋がるのですが、

ただ実は、当時、私は、とある女性とのお付き合いがありまして、

そのとある女性から別れ話を持ち出されて悩みを抱えていたところ、

なぜ、そんな経緯になったか覚えていないのですが、

その状況を彼女に報告し、

相談を持ちかけることとなったのでございました。

彼女は元々世話好きでおせっかい焼きで、

また人間観察、人間考察が生き甲斐のような人で、

私の相談事には、強烈に前のめりで乗っかってきたのでございます。

後に、その別れ話が確定事項となり、

相談話の中では、彼女がフリーであることがほのめかされ、

二人の間に障害はないことが確認済みとなったのでございます。


そうこうしている内に、

彼女の人生の懸念材料の件も、

私に向けて徐々に公開されていくこととなり、

それを無条件で受け止める私は、

自覚がないまま次第に彼女から高評価を得ていたのでございます。






彼女は私に安らぎを求めるようになり、

仕事帰りに一緒にご飯を食べて、話を深めて、

そして、彼女は毒親がいる家には帰れなくなっていくのでございます。

としても、私も両親がいる実家住まいで、

実質、部屋も空間的にゆとりがなく、

初めのうちは深夜まで彼女の通勤車で過ごして、

朝になる前に帰宅を促すのですが、

どうしても別れられない時は、一緒に車で彼女の自宅まで帰って、

彼女が身支度、仮眠だけして、

その間私は車中で待って、また職場へトンボ帰り、

道中での一緒に過ごす時間も、

彼女には意義のある時間となったようですが、

私は完徹のまま仕事場へ、

そんな無茶な日々が増えていったのでございます。

彼女の帰宅を納得させる手立てとして、

言葉だけでは到底手詰まりが見えてきて、

深い深い長いキスも、さらなる愛撫も、

日常のこととなっていき、

10年以上続いていた私の第二童貞の終わりの日も、

近づいてくるようでございました。



彼女の私への信頼が固まってくるにつれて、

彼女の甘え方は本音の発散へと進化していき、

本来なら配偶者や肉親でなければ受け止められない、

重く深く恥ずかしさも超越した発言となり、

時に八つ当たりとも取れる激しい攻撃を伴い始めるのでございます。

いい加減パワーを撒き散らした後、落ち着きを取り戻した彼女は、

あなたが本当に信頼できて頼れる人なのか、

無意識に試しているのだと解説するのでございます。

付き合いましょう、との合意の表明はありませんでしたが、

事実上、お付き合いが始まってから3ヶ月余り経過して、

そして、その最終試験とでも言いたいのか、

彼女はお泊まりの旅行を提案してくるのでございました。

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大臣の器 ムーゴット @moogot

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