第57話→自由と選択
目を覚ましたとき、彼はベッドの上にいた。
白い天井。
安価だが清潔な部屋。
カーテンの隙間から差し込む朝の光。
――生きている。
そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。
スマートフォンが枕元に置かれている。
ロックを解除すると、見知らぬ名前と履歴。
だが、戸惑いは不思議と小さかった。
この感覚には覚えがある。
自由だ。
干渉する声がない。
起きろと言う者も、
予定を決める者もいない。
その日、彼は仕事に行かなかった。
理由はない。
ただ、行かなくても誰にも怒られないことを確認したかった。
昼過ぎまで寝て、
冷蔵庫にあった飲み物を適当に口にし、
スマホで動画を眺める。
笑い声。
派手な編集。
成功談と失敗談。
時間だけが過ぎていく。
夕方になって、胸に違和感が広がった。
「……これでいいのか?」
問いは浮かんだが、答えはなかった。
次の日も、その次の日も似たようなものだった。
自由は、彼を縛らなかった。
だが、導きもしなかった。
数週間が過ぎ、
貯金は減り、
生活は徐々に雑になっていく。
洗濯を後回しにし、
食事はコンビニで済ませ、
昼夜の区別が曖昧になる。
それでも、誰にも責められない。
ある夜、彼はベランダに出た。
街の明かりが遠くまで続いている。
人は多く、世界は広い。
だが、自分がどこに立っているのか分からなかった。
「……自由って、こんなに難しかったか」
呟きは、風に消えた。
⸻
転機は、些細なことだった。
コンビニの帰り、
彼は小さな子どもが自転車の練習をしているのを見かけた。
父親が後ろで支え、
何度も転び、
泣きそうになりながらも、また漕ぐ。
「できなくて当たり前だろ」
父親の声が、静かに響いた。
「何回転んでもいい。
乗ろうとするのをやめなければ、それでいい」
その言葉が、胸に刺さった。
――やめなければ、いい。
完璧でなくていい。
正解でなくていい。
ただ、選び続ければいい。
翌日、彼は外に出た。
目的はない。
ただ、歩いた。
昼間の街は騒がしく、
人々はそれぞれの用事を抱えている。
自分だけが止まっているような感覚。
だが、足は前に出た。
小さなカフェに入り、
値段を見て少し迷い、
結局、一番無難なものを頼んだ。
それでも、自分で選んだ。
それだけで、胸の奥に微かな熱が灯った。
⸻
彼は少しずつ、失敗を重ねた。
興味本位で始めた仕事は続かなかった。
人間関係もぎこちなく、
何度も気まずい思いをした。
だが、今回は違った。
怒鳴る声はない。
「正解」を押し付ける者もいない。
失敗は、ただの経験だった。
夜、疲れた体で帰り道を歩きながら、
彼はふと思った。
――今なら、転んでも立ち上がれる。
それは確信ではなく、予感だった。
自由は、まだ怖い。
だが、少しずつ慣れてきている。
鳥が羽ばたく前に、
何度も羽を震わせるように。
子鹿が立ち上がる前に、
何度も足をもつれさせるように。
彼は、訓練を始めていた。
⸻
天界。
創造神シンは、静かに観察していた。
迷い、止まり、
それでも再び動き出す青年の姿を。
ラニアが、記録を取りながら呟く。
「……遠回りですね」
「必要な遠回りだ」
シンは淡々と答えた。
「抑圧の中で育った者は、
解放された瞬間、立ち尽くす」
「だが、それは欠陥ではない」
視線の先で、彼は今日も選択をしている。
小さく、拙い選択を。
「自由とは、才能ではない」
シンは続ける。
「訓練だ。
選び、失い、また選ぶ。
それを繰り返した者だけが、歩ける」
ラニアは静かに頷いた。
「……見守るだけで、いいんですね」
「十分だ」
シンは書類を閉じ、言葉を結ぶ。
「鳥も最初から飛べるわけではない」
「子鹿も、最初は立てぬ」
「だが、立とうとする限り、
世界は拒まん」
⸻
夜の街。
彼は立ち止まり、深く息を吸った。
まだ不安はある。
迷いも、恐れも消えていない。
それでも、足は地面についている。
――歩いている。
それだけで、今は十分だった。
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くたびれ創造神シンの異世界記録 ーー退屈な神業務、でも転生者の人生は少し面白い とりもも @torimomo_t
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