第10章 月影は、まだどこかで


 静かな夜。

誰もいない小さな商店街の外れに、ふいに淡い光が揺れる。

古びた木の看板には、相変わらず「喫茶 月影」の文字が浮かび上がっている。


 ガラガラ、と扉が開く音。

クロはカウンターの向こうで静かにカップを磨いていた。

小さな鈴の音が店内に響き、外から旅人の影がひとつ、またひとつ差し込んでくる。


 「いらっしゃい。未練をお持ちなら、一杯いかがだい?」


 クロはいつもの仏頂面で、けれどどこか優しい目をしていた。


 カップに紅茶をそそぎながら、ふと窓の外を見る。

そこには、少し前までここにいたユウトや、田所さんやミカがいた気配がまだほのかに残っていた。


 「出会いも別れも、一杯の紅茶から始まるもんさ」


 遠くで風鈴が鳴る。

クロはふっと笑った。


 


 誰かの未練の滴(しずく)が、また静かに月影のカップを満たしていく。そのたびに、新しい物語がそっと始まり、誰かの涙が癒され、誰かの心が次の一歩を踏み出していく。


 夜が更け、月明かりが差し込むころ。

クロは窓辺に立ち、遠く星空を眺める。


 「――さて、今夜はどんな夢を運ぼうかね」


 その声に応えるように、カウンターの上のカップが、ほんのりと淡い光を灯した。


 もしもあなたが辛い夜に迷い込むことがあれば。――どうか思い出してほしい。

どこかで静かに、あなたを迎えてくれる「月影」の灯りを。


 そして、その一杯の紅茶が、新しい明日への小さな希望になりますように。

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異界喫茶「月影」のレシピ とーわとわ @to-watowa

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