第11話 読めない男

 清潔感、という言葉に惑わされていないか?


 相手が何を感じとるかなんて、コントロール出来ないんだ。

 大事なのは格好つけているかどうか。

 格好つけていたら相手は勝手に清潔感を感じとるものさ。


 分からないものに惑わされるな。

 分かっているもので惑わせてやれ。


 ◇


 公衆浴場のすぐ近く、村の食堂で朝食をご馳走になることになった。

 火竜を倒した英雄として祭り上げられるのは本意ではないが、空腹には逆らえない。


「ダンディさん。こんな田舎の村だけど、飯は美味いから是非どんどん食べてくれ!」


 食堂の主人の屈託のない笑顔を見せられれば、何を出されても美味しくいただけそうだ。

 ただ一つ、同じテーブルにマリーが座ってなければ……。


「そんな顔をしないでくださいよ。これでも村の人達とは上手く付き合ってるんですから」


「……魔女ってのは人里離れたところで隠れて暮らしてるもんだと思ってたよ。あんたみたいに子供がいるのは想像していなかった」


 テーブルに並べられたパンをちぎりながら、改めてマリーに視線を落とした。

 少し猫背になっている身体は薄く、目の下には三白眼を強調するような隈が浮き上がっている。

 湿感のある声は囁くような小ささのわりに、粘りつくように耳元に届いた。


「何言ってるんですか、あなたの子供ですよ?」


「──っ!?」


「冗談ですよ。そんなに動揺するなんて、案外ウブなのかしら」


 クスクスと笑うマリーに、終始ペースを握られている。

 なるほどね。妖艶な女性という点で、彼女が魔女であることを疑う必要はなさそうだ。

 自分よりいくらか若い女性に、こうも手玉に取られるのも悪い気はしないな。


「あんたが魔女だってことはわかったよ。……で? 俺に何をしろってんだ?」


 七人の魔女が、俺から大事なものを奪っていった。

 奪われてしまったものは返してもらいたいが、それよりも。

 何故奪われたのかを、俺は知らなければならない。


「簡単よ。私を愛して。他の魔女を見ないで」


「随分と情熱的だ。人妻に口説かれるとは、俺もまだ捨てたもんじゃないな」


「あなたの魔力は世界の均衡を崩すわ。だから他の魔女に手出しはさせない。その為に文字を奪ったのよ」


 熱いスープに沈められた肉を大きな口で迎える様は、艶かしくも捕食者らしい獰猛さを感じた。

 トマトのような果肉に溶けた獣の脂が、マリーの唇を怪しく湿らせる。

 厚い舌が、俺を挑発するように脂を舐めとっていた。


「男冥利に尽きる、と言いたいところだが……。あいにく独り身は嫌いじゃないんだ」


「ふぅん……。そんなこと言っていいのかしら?」


 固いパンを噛みながら、マリーの言葉の意味を考える。

 ヴィオラのことを言っているのだろうが、気持ちは変わらない。

 こんな枯れそうなオヤジと一緒になっても良いことなんかないさ。


「……それにしても、この村の人はあんたの魔力に何とも思わないのか? 人によっては卒倒しそうなもんだが……」


 喉元を噛みつかれないか、という獣のような気配。

 お陰様でさっきからマリーから視線を外せない。

 出来ればスープが冷めないうちに食べたいんだが。


「魔力は色気。胸やお尻の大きさや見えてる肌の面積を色気と思っている人は多いのよ。だから、私は病弱な母親として溶け込める」


 マリーから感じる色気は、未亡人から発せられるそれに近いのかもしれない。

 感じ取れるかどうかはその人次第。

 参ったな。下心を持って見ていると糾弾されても言い訳ができないな。


「相手の色気を感じ取ることも立派な技術よ。ダンディさんみたいに隠せないほどの色気を持つのは才能だけれど」


「よしてくれ。ただの加齢さ」


 ふと視界に違和感を覚え、食堂を見回した。

 壁に掛けられた文字が認識できるようになっている。

 マリーの薄い唇が吊り上がった。


「あなたのいた世界の文字に置き換えてあげたわ。本音を言えば、他の魔女と結託しないなら私はそれでいいの。今は何より娘が大事」


 テーブルに置かれた料理は『Otter Tomato Stew』というものらしい。

 ……かろうじてトマトだけわかったが、英単語が読み取れない。

 俺の眉間に皺が寄っているのを察し、マリーが悪戯っぽく笑った。


「ラッコのトマトシチューよ」


「……せめて日本語にしてくれ」


 俺を揶揄うことで満足したのかマリーが席を立つ。

 さっきまでの殺気はどこへ隠したのか、ヴィオラに連れられた湯上がりの娘を迎え去って行った。


「朝食を取るなら待っててくれてもいいじゃない。あ、ラッコのシチューなんて贅沢!」


 マリーが座っていた席にヴィオラが腰を下ろす。

 汗を流し、梳かした長い髪にはツヤが出ていた。

 その柔らかい魔力に、つい心が解けそうになる。


「ヴィオラ、君はなんで俺と旅をしているんだ? 三日ごとに記憶が消えるオヤジなんて面倒だろ」


「……あなたが文字を読めないから。私が一緒にいてあげないと困るでしょ?」


 黙々とシチューに向き合うヴィオラの耳が、赤く染まっていく。

 彼女の心を詮索するつもりはない。

 それが湯当たりでも、シチューの熱さによるものでもないのは俺にだってわかった。


 文字は返してもらった。

 だけど、もう少しヴィオラと共にいたい。

 俺は英語が苦手なんだ。

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ダンディ、世界を焦がす アミノ酸 @aminosan26

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