形骸
ゆいつ
掌編「形骸」
八月の午後。新宿の駅前はいつものように賑やかで、高いビルの谷間に逃げ込むようにしながら、僕と君はゆっくりと歩いていた。
太陽は悪意を持っているみたいに照りつける。道行く人たちは誰も彼も急ぎすぎている。そういう、とにかくつまらない日に、区の平和展をわざわざ見に行こうとする中学生など君くらいしかいない。そして、君の提案する面倒事に巻き込まれるのは僕しかいない。
展示フロアはクーラーが効いていた。
無機質で、思いのほか規模も小さくて、学校の図書室みたいだ。壁際に貼られた紙の上には、数字と写真と、赤黒い何かが整然と並ぶ。君はひとつひとつに足を止めて、文字を読むたび目を伏せたり、静かに眉を寄せたりしていた。君のその横顔を見るたび、僕は妙に気まずい気持ちになる。君の中にある真っ直ぐな何かが、どうしようもなく、僕の居心地を悪くさせてくるのだ。
「こんなに人が死んで、街が燃えて……これが、本当に起こったんだよね。」
君は写真の中の焼跡に目を留める。
僕は曖昧に頷いたけれど、正直、実感も興味もなかった。死者数、被害地域、焼けた建物、焼けずに遺った建物――情報の羅列の前では、何かを思うふりすら億劫だった。君が泣きそうな目をしてそれを見ていたから、余計にそうだった。
僕はこの時代に生まれて、コンビニの大きな弁当を無遠慮に食べて、放課後には銃を撃ち合うゲームもして、夏休みの宿題を地獄と称して後回しにしている。それだけの自分が、どうやって、八十年も前の血と肉と炎にリアルな感情を持てばいいのかわからない。
君はそうやって向き合おうとしているけれど、僕はあくまで同じポーズをしているだけだ。
それでも、一つ思うことがある。
例えば、もし、君が戦時中に生まれていたらどうだろう。君はきっと、誰よりも真面目に、誰よりも誠実に、そうして、国のために生きてしまう。行軍訓練も、標語の唱和も、きちんとやってしまう。男の子だったら軍隊に、女の子だったら工場に。課せられるのがどのような任務であれ、君なら正しいと思って遂行する。時代の掲げる善に、君は傷つきながらも従ってしまう。戦わされてしまう。
君の瞳を見ながらそう考えて、喉の奥がぎゅっと詰まるような感覚がした。
僕の祈りは、平和とか、反戦とか、綺麗な標語の形を為せていない。平和教育で学んだ知識の中に属さない。誰かの死を繰り返さないという正義にも全く関心がない。
ただ、君みたいな子が、誰かを殺す未来は見たくない。それが嫌だと思った。それだけだった。僕がこの展示会に来たのも、今日という日に意味を感じようとしているのも、君がここにいるからだ。君が真っ直ぐで綺麗だから、僕はその純真が傷つく未来を避けたいと思っている。それは、理屈でも思想でもない、幼稚なエゴイズムだ。
誰も死ななければそれでいい。
君が死ななければもっといい。
君が誰も殺さなければ、それがいちばんいい。
帰り道、駅までの地下道で、君は「どうだった?」と静かに聞いてきた。
僕はちょっとだけ考えて、それから答えた。
「特になんとも。でも、君は僕の代わりに色んなことを感じてくれてると思ったよ。」
面白くも正しくもない感想だ。
ただ、それは、何よりも正直な僕だけの祈りだ。
形骸 ゆいつ @UltimateFechan
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