【複雑化】行政や企業は手続きをわざと複雑にしているのではないか?
晋子(しんこ)@思想家・哲学者
行政などの手続きがめんどくさいのは「そのように仕組まれている」からではないか?
「仕事を減らしたい」──そう考えるのは、どの職場でも自然なことだ。とくに人手不足や予算縮小が続く現場にとって、業務量の削減は切実な課題である。しかし、その手段として「意図的な複雑化」が選ばれているとしたらどうだろうか。
本来、効率化とは手続きや業務を“わかりやすく、簡単に”することによって、労力や時間を削減する取り組みである。しかし一部の官公庁や大企業では、その真逆の手段がとられている。つまり「手続きが面倒くさければ、市民や客の方から離れていくだろう」という、半ば受動的な客避け戦略である。
例えば、ある行政手続きの話だ。申請には複数の書類が必要だが、その条件は極端に細かく、しかも提出のたびに微妙に異なる。他部署で発行された書類を別の窓口に提出し、さらにそのコピーを第三の課で確認させる。窓口では丁寧な言葉遣いで対応してくれるものの、具体的な説明はなされず、最終的には「詳しくは担当課に聞いてください」と回される。こうした対応が何度も繰り返されるうちに、市民や利用者は疲弊し、「もういいか」と諦める。
このような構造は、外から見ればただの非効率に見えるかもしれない。しかし中の人間は、無意識か、あるいは意図的に、それを“抑止力”として活用しているのである。つまり、「要望は断れないが、面倒にすれば減るだろう」という、責任を負わずに案件を減らすための戦略だ。
これはいわば、制度の顔をした“静かな拒絶”である。誰かに「来るな」と言っているわけではない。しかし、「来ること自体が苦痛になるように仕向ける」ことで、自然と件数を減らしていく。そうすれば表向きには問題が起きない。「問い合わせは減った」「来訪者も減った」「トラブルも少ない」と、数字の上では改善されたように見える。
だがその裏で失われているものはあまりにも多い。まず、市民や利用者の「信頼」が確実に損なわれる。「何を聞いてもはっきりしない」「結局たらい回しされるだけ」「ミスをしたのに謝罪もない」──そうした不満は蓄積され、行政や企業に対する“感情的な離反”を生む。そしてそれは一度起きれば、簡単には戻らない。
さらに深刻なのは、「本来救われるべき人」までもが、制度から排除されることだ。複雑さによって生まれるのは、“声の大きい人間しかたどり着けないサービス”である。時間とエネルギーに余裕のある人、自分で調べて食らいつくことのできる人は、なんとか目的を果たす。だが、そうでない人──体が不自由な人、制度に慣れていない高齢者、精神的に疲れている人──は、最初の段階で脱落してしまう。
それは、「弱い人から順に脱落していく仕組み」であり、本来、すべての人のために存在すべき制度が、逆に弱者を締め出す装置になってしまっていることを意味する。
皮肉なことに、このような“複雑さによる客の削減”は、職員にとっても結局は損となる。来訪者は減るかもしれない。しかしその代わりに、怒りや不満を抱えてやってくるクレーム対応が増える。問い合わせは減らず、むしろ「説明不足」を訴える人が後を絶たない。しかも、職員自身も「この制度、正直よくわかっていない」という状態に置かれ、説明に苦しみ、精神的に摩耗していく。つまり、「複雑にすれば仕事が減る」と思っていたはずが、実際には「質の悪い仕事」が増えていくのだ。
ではなぜ、こんな非効率で損な構造が続いてしまうのか。
一つの理由は、「複雑な方が頭がよさそうに見える」という誤解である。組織の中には、「これは専門的な業務だ」「外部の人には簡単に理解されては困る」といった発想が根強く残っている。複雑であることは、重要である証。わかりづらさは、信頼感につながる。そんな思い込みが、制度の“難解さ”を温存させる。
さらにもう一つの理由は、「責任を分散させたい」という心理である。誰かがミスをしたとき、「自分一人の判断でやったのではない」と言えるように、制度をわざと多層構造にする。チェックする人を増やし、承認プロセスを重ね、曖昧な文言を残しておく。こうすることで、判断の失敗があっても誰か一人に責任が集中しないようにする。だがそれは同時に、誰も責任を持たない制度を生み出し、利用者にとっては“誰に聞いても答えてもらえない”という状況を作り出す。
結局、意図的な複雑化とは、「逃げ」である。断る勇気がないから、面倒にして離れてもらおうとする。その場の穏便を選ぶことで、長期的な信頼や効率を犠牲にしている。それは、仕事を減らしているのではなく、“雑音のような混乱”を増やしているにすぎない。
本当に仕事を減らしたいなら、制度は明確でなければならない。申請条件は一目でわかるべきであり、問い合わせをしなくても自己完結できる情報設計が求められる。フローは自動化され、窓口は一元化され、無駄な中継は排除されるべきである。利用者がスムーズに目的を達成できる構造こそが、職員の負担を減らす“本当の効率化”なのである。
複雑にすれば、確かに人は減る。
だが、それは一時しのぎに過ぎず、自分たちの首を絞めていることに気づかなければならない。制度とは、使われて初めて価値がある。拒絶のための複雑さではなく、受容のための明快さを目指すべきだ。
【複雑化】行政や企業は手続きをわざと複雑にしているのではないか? 晋子(しんこ)@思想家・哲学者 @shinko
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