最終章そして、光は彼を照らした
空白だった「名前」
新しい命が誕生する日。
午前3時。美月の陣痛が始まり、病院に着いたのは夜が明ける前だった。
助産師が言った。
「子宮口、全開です!いきんで!」
美月の手を握る蓮の額には汗がにじんでいた。
紬光を抱いたときよりも、なぜか胸の奥が熱かった。
そして午前6時42分。
「おぎゃあっ!」
泣き声が響いた瞬間、蓮の目から涙が溢れた。
「……ありがとう。ありがとう……」
男の子だった。
ふにゃふにゃと泣きながら、蓮の指をぎゅっと握った小さな手。
彼の心の、空白だった“何か”が、満たされていくのを感じた。
⸻
二 タイガの涙
出産の翌週、蓮はある決意を胸に、施設時代の仲間・タイガを訪ねた。
「俺、正式に父親になったよ」
タイガは何も言わず、しばらく黙っていた。
やがて、缶コーヒーを渡しながら言った。
「なあ、蓮。あの頃、俺たち誰も“自分の未来”なんて信じてなかったよな。でもお前……ちゃんとやりきったな」
蓮は笑った。
「まだ途中だよ。ただ、“もう俺は逃げない”って決めただけ」
タイガの目に、涙が浮かんでいた。
「俺も……俺も家族、作ってみたくなったわ」
蓮は黙って、彼の肩を叩いた。
⸻
三 名前の意味
赤ん坊には、名前がまだなかった。
出生届の提出期限が近づく中、美月が言った。
「あなた、決めてあげて」
蓮は夜遅くまで紙に向かい、ふと筆を止めた。
「陽翔(はると)ってどう?」
“陽”はあたたかさ、“翔”は自由な翼。
かつて自分が持てなかったものを、全部込めた。
「この子には、生まれた瞬間から“愛されてる”って感じてほしいんだ」
美月はその言葉に、涙をこぼしながらうなずいた。
⸻
四 母の面影と、許し
春の日。
蓮は、陽翔を連れて一本の古い桜の木の下に立っていた。
そこは、かつて母と待ち合わせをした場所。
「なあ、母さん。俺、あんたのこと、ずっと許せなかった。
でも今なら分かる。あんたも、“親になること”が怖かったんだろ」
陽翔が小さく手を動かし、空を見上げた。
「……もう、いいよ。俺は俺の道を、ちゃんと生きてる。
だから母さんも、どこかで安らかにいてくれたらいい」
風が吹いた。
桜の花びらが、陽翔のほっぺたに舞い落ちた。
蓮はそっと微笑んだ。
⸻
五 “再生”の証
ある日、蓮は紬光と陽翔、そして美月と手をつないで歩いていた。
ふと、紬光が聞いた。
「パパ、昔はすっごく悲しいことがいっぱいあったの?」
蓮は少し考えて、答えた。
「……うん。たくさんあったよ。でもね、悲しいことがあったから、今がある。
悲しみを知ってるから、人に優しくなれるんだ」
紬光は静かに頷いた。
そして蓮は、美月の手を握り、そっと言った。
「ありがとう。君がいなければ、俺はここまで来れなかった」
美月は笑いながら言った。
「こっちこそ。あなたがいたから、私も“母親”になれたんだよ」
⸻
エピローグ
陽翔の1歳の誕生日。
家族写真の中、蓮は優しく微笑んでいた。
右に美月、左に紬光。膝の上には陽翔。
その表情は、かつて誰かに「生まれてきてよかった」と言ってほしかった少年のものではなかった。
今や彼自身が、その言葉を伝える側になっていた。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
陽翔が笑った。
紬光が歌った。
美月がケーキに火を灯した。
あの日、失われた光は──
今、彼自身の中にあった。
⸻
◆ 完 ◆
『そして、光は彼を照らした』
希望を探し続ける少年 稲佐オサム @INASAOSAMU
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