[短篇]玄武門の変――「貞観の治」へと続く、血にまみれた幕開け
アレクシオス˙コムネノス
盛世の幕開け
「
慎重さとわずかな高揚がその語気に混じっていた。
「引っ込め。」
「
道は、息を呑むような静けさに包まれていた。
夜が白みはじめ、霧がゆるやかに這うように漂っている。
静まり返った
その一音一音が、
数日前、ある密報が
皇太子・
「殿下はすでに、皇太子殿下と
「
心には既に覚悟を決めていながらも、なおこの謀臣の口から、その意思をはっきりと聞き出したかった。
血に手を染める覚悟が、本当にあるのかを――。
「かつて申し上げた通りにございます、殿下。時は――参りました。」
「…………」
「迷われてはなりませぬ。」
「今日という日は、殿下が討たれ一門が滅びるか、
それとも彼らの血筋が絶たれるか、そのいずれかです。」
「――承知している。」
血のつながりは既に燃え尽き、灰となって風に舞い、
今やその眼に映るは、野望と理想――ただそれだけだった。
「計画通りに動け。
……どうすべきか――もはや、迷いはない。」
その言葉は、一つの釘が心の奥深くに打ち込まれたかのようであった。
思い出す――あの夜のことを。
兄弟が血を交えるという最悪の結末すらも、あらゆる変数を想定し、予め演じてみせた。
それは作戦ではあったが、同時に彼自身の運命を試す儀式でもあった。
それは、いずれ炎となって噴き出す運命にあった。
いま、すべてがついに終局の時を迎えようとしている。
勝つのは誰か――すべては、この一瞬に懸かっている。
(
皇太子たる
私が奏上したあの女の件について、世間の人々はもちろん、
ましてや、名指しされた
彼は遠くを見据えていた。
自ら張り巡らせたこの局、その最たる誘いは――
皇太子と
二人を宮中に引き入れ、死地へと追い込むための一手だった。
今朝、皇太子と
絶好の機会だった。
彼は
二人が宮中へ至る唯一の道――
刃を交えるその瞬間を、静かに待ち受けるために。
「……ふぅ……」
ほんの一瞬、時が巻き戻る。
まだ兄弟三人が幼かった頃――あの無邪気な日々が、脳裏にふっと蘇る。
「おい、
「え? 父上はこんなふうに引いてたけど?」
「父上はもう年配だし、僕らよりずっと腕力があるからそれでいいけど、
今の僕たちには向いてないよ!」
「うーん……でも僕、それしか知らないし……」
「しっかり立てって! 僕が手本見せてやる!
……ほら、ちゃんと集中して……体はぶらさずに安定させて……
力は腕じゃなくて、背中から引くんだぞ……よーく見とけよ……!」
「せいやっ! ――ほら、真ん中にバッチリ命中だ!」
「さあ、次はお前の番だ!」
「兄さん、なんでそんな引き方わかるの?」
「父上のやり方を見てさ、自分に合うようにちょっと工夫しただけ。
観察するって、すごく大事なんだぞ、
そのときだった。
「
「え、えっと……兄上……」
「何だよその態度。
「……うん……」
「なら、素直に言えばいいじゃないか。
俺が教えてやるよ。いつだってな。」
「……でも、僕は庶子だから……なんか、その……」
「何言ってるんだよ。庶子だとか関係ない。
お前は、俺の大事な弟だろ?」
突然、強い風が吹き荒れ、旗が大きくはためいた。
その音が、
(……私はまだ、昔の癖を引きずってるな……)
思いは、父・
「……
だが、兄・
皇太子としての自身の威信が、秦王・
皇太子という立場にとって、これは決して好ましい状況ではなかった。
「
彼もまた、かつてのような怯えた少年ではなかった。
三人は皆、変わってしまった。
時の流れが、すべてを変えてしまったのだ。
「兄上……前線からの密報です。
おそらく父上は、兄上を派遣されるかと。ならば、私もご一緒に――」
「
今は体を休めることだ……次は私の番だ。
皇太子である彼にとって、
「皇太子殿下……
御決断は、あまりに遅れてはなりませぬ――
国の行く末に、私情を差し挟むべきではございませんぞ。」
――重臣たちが日々囁く進言が、
一歩、二歩……そしてふと足を止め、
彼は一度だけ深く息を吸い、まぶたを閉じると、弟の肩をかすめるようにしてその場を離れた。
残された
権力の座を巡る道に、もはや情や絆の居場所などない。
そこにあるのはただ、勝者と敗者――それだけだ。
大唐の帝座は、万人の志を焚き上げる焰であり、すべての絆を焼き尽くす火でもある。
「九五の尊」と称されるその玉座に座す者は、すなわち孤にして全――
(玉座を継ぐ血に生まれたことは、果たして栄光か、それとも呪いか……
天に君臨する者にも、孤独という病は、決して癒えぬのかもしれぬ……)
すると、馬が突然、何かに怯えたように鼻を鳴らした。
同時に、足音が一気に彼のもとへと駆け寄ってくる。
「
「どうした?
「
だが
「……やめておこう。たとえ兵を動かすにしても、
それは時が満ちてからだ……皇太子と
「すでにかなり近づいております。あと数分で
「兵をしっかり配置しろ……あいつらが門をくぐったら、
すぐに門を閉じろ……躊躇うな……」
「はっ!」
その甲高い音の中、
「殿下……皇太子殿下と
殿下には皇位を奪うおつもりがあると、陛下に申し立てておられます……
「……ついに来たか、この時が。」
「……殿下?」
「いや、なんでもない……私が陛下に、直接申し上げよう。」
その時、またしても急ぎ足の足音が、李世民の耳に届いた。
「
「よし……開け!」
やがて、皇太子・
「ガチャン」
背後で宮門が轟然と閉じられ、その音が静寂を切り裂いた。
その一瞬、李建成と李元吉は何かが狂っていることに気づいた——だが、すでに遅かった。
「やれ。」
短く呻いた彼は、即座に馬首を返し、側門の方へ逃れようとした——
その瞬間——
「シュッ!」
「ぐっ……!」
放たれた一矢は正確に
「……見事な……矢さばき……やるな……
一方、
だが、それを許す暇もなく、駆けつけた
「殿下!
「……そうか……」
「殿下……?」
「あの二人の首を刎ねて晒せ。
つい先ほどまで確かに胸の内にあった何かが、音もなく消えていた。
それが人の心だったのか、それとも——
だが、何であれ——すべては、終わったのだ。
この壮絶な場面において、
まもなく、
そして、新たな太子が発した最初の詔は——
「
この血に塗れた政変の終焉とともに、静かに始まったのである。
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