第23編 君のまなざし

 俺は、ユカと付き合ってもうすぐ2年になる。

 最初に出会ったのは、大学のサークル。おっとりした雰囲気で、でも芯は強い。よく笑う、まっすぐな子だった。


 付き合ってからのユカは、甘え上手だった。腕を組んできたり、電車で寄りかかってきたり、まるで猫みたいに。俺もそういうのが嬉しくて、少しずつ甘やかすことを覚えていった。


 だが、最近……ユカが、なんだか変だ。

 違う。外見が変わったわけじゃない。髪型も、口調も、好きな食べ物も同じ。けれど、何かがズレている。


「今度の休み、水族館いかない?」


「え? この前も行ったばかりじゃん」


「そうだっけ?」


 いや、あれはユカが楽しそうにペンギンのぬいぐるみを買った日だった。間違えるはずがない。

 他にも、細かいことだが、紅茶に砂糖を入れるようになったとか、犬が好きになったとか。


 そんなの、変化の範囲内だと言われればそれまでだ。でも、俺は気づいていた。

 ユカは、ユカじゃない。



 俺の疑念は、ある夜の出来事で決定的になった。


「……ねぇ、今日、泊まってっていい?」


 ユカがそう言ったのは、梅雨入り間近の蒸し暑い夜だった。

 その夜、俺たちは久しぶりに身体を重ねた。


 肌の柔らかさや、癖になっていたキスの仕方は変わらなかった。でも、どこか違った。

 終わったあと、俺はそっと尋ねた。


「なぁ……お前、本当にユカか?」


 彼女はしばらく黙っていた。

 やがて、小さな声でこう答えた。


「……ごめんね。気づいてたんだね」


 そうして、全てを語ってくれた。


 ――彼女は、ユカの妹だった。


 風邪をひいた姉の代わりに、一度だけデートに出た。

 でも、そこで俺があまりに優しくて、楽しくて、どうしようもなく惹かれてしまったと。

 姉に恋人がいると知っていながらも、止められなかったと。


 そして――ある日、姉がその気持ちに気づき、怒鳴り合いになり、勢いで屋上から突き落としてしまったのだと。


「ごめんなさい。死んでしまったのは……ユカのほう」


 妹は震えながら言った。


「でも、私がユカとして生きるって決めたの。あなたとずっといたかったから。……ごめん、本当に、ごめんなさい」


 俺は言葉を失った。

 けれど、涙を流すその顔は、たしかにユカだった。

 そしてその晩、俺たちは朝まで泣いた。


 罪の意識と、愛しさと、憎しみと……すべてを抱きしめながら。

 翌日、彼女はこう言った。


「私、罪を償ってくる。全部話してくる」


「やめろ。捕まったって意味がない。俺が、俺たちが、墓の前で手を合わせればそれでいいんだ」


 彼女は泣きながらうなずいた。

 俺たちは、それからも恋人として生きることにした。

 名前も、過去も、すべてを引き受けて――。


 

 それから半年。

 俺とユカ――妹は、引っ越して新しい街で暮らしている。

 どこにも彼女の罪は記されていない。俺たちは静かに暮らしている。


 時々、ユカは夜中に悪夢を見る。誰かに追いかけられている夢。

 俺は何度でも抱きしめてやる。


「もう大丈夫だよ」って。


 ただ――そんな夜のあと、ふとした違和感が胸をかすめる。

 髪の結び方。ドライヤーの仕方。紅茶の温度。

 いや、そんなのは誤差だ。

 


 でも、一度だけ、こう言われたことがある。


「……ねぇ、あなた、本当に気づいてなかったの?」


 その時のユカの笑みは、どこか……優しくて、怖かった。

 俺は、何も言えなかった。


 

 そして、今日。

 彼女のバッグの奥に、小さな手帳を見つけた。

 何気なく開いたそこには、こう書かれていた。

 

 ――あの日、屋上から落ちたのは、私じゃない。

 ――ユカは、妹に成りすまして生きていた。

 ――でも私は、ユカのふりをして生きていくと決めた。

 

 手が震えた。

 いったい、どっちがどっちなんだ?

 殺したのは……誰?

 愛していたのは……誰だった?

 

 彼女はもういない。

 でも、“彼女”は、今日も隣で微笑んでいる。

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二千文字の残響~掌に収まるミステリを。~ 積戸バツ @Tsumito_Batsu

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