徒花事案報告ファイル―オオカミのひとりごと―

時雨オオカミ

オオカミのひとりごと

 しゃきん、と。


 鋏を動かすたびにぼとっと花が落ちる。しゃきん、しゃきん、鉄が合わさるたびにはらはらと葉が落ちる。


 青い薔薇園の中で剪定作業をしていると、だんだんと体が傾いて黒髪が首筋に落ちてくる。少し髪が伸びたかもしれない。しゃきん、と無造作に伸びた分を切り落として、分離した紙束が塵と消えるのを見送った。


 この学院に来てから、僕は人間ではなくなった。

 元々父から受け継いでしまった呪いがあるから、この世界には存在しない御伽話の中の獣人のような姿になってしまった日からずっと、僕は人間じゃないと定義されてきた。


 呪いで巨大なオオカミに変身してしまった父も、父を止めるために相打ちで死んだ母も、一気に家族を失って得たのは裕福な暮らしから差別対象になるという生活の落差。

 オオカミの耳と尻尾を見られたら呪いが「移る」だなんて思われて石を投げられるからフードのある服は手放せなくて、でも服を新調するほどのお金だってなくて、スリに手を出した僕は捕まって、めったうちにされて、そして真っ赤な貴族の女性に救われた。


 彼女はある学院で働かないかと僕を誘ってくれて、僕はその手をとった。お腹が空いていた。ずっとずっと。この隙間が埋まってくれるのならと、真っ白なその手に僕の小汚い手を乗せて。


 果たして、その手を取ったことは失敗だったのかもしれない。

 だって彼女も人間ではなかったから。


 彼女は真紅。

 この聖ローズベル学院、神聖魔法学科と呼ばれる場所では「真紅の貴婦人」と呼ばれているとんでもなく性格の悪い女だったからだ。


 学院に足を踏み入れて、彼女に首輪をかけられた僕は人間から飼われるオオカミになった。


 悪さをするオオカミ。


 それが今の僕の名前。

 本当の名前はもう、ほとんど思い出せない。取られてしまったから。

 僕の役目はトリックスター。学院の中で気まぐれに過ごして、悪戯をしてみたり、怖がらせてみたり、はたまた生徒と仲良くなってみたり? することだ。


 はじめのうちは生徒に紛れて過ごすのも楽しかった。

 けれども、次第にそれは絶望に変わっていった。

 僕がもはや人間でないことが分かると、誰もが顔を強張らせて怯えてしまう。厄介者扱いされたり、なにか事件があるとなにもしてないのに僕が犯人だと決めつけられてしまったり、そんなことばっかり起こる。


 だって僕は「悪さをするオオカミ」だから。

 そういうものだから、悪さをしていなくても、悪さをしたと定義される。


 友達ができても、最後には僕から離れていく。

 だから次第に諦めた。化け物となんて誰も仲良くしたいわけがないのだから。


 この境遇になってから真紅の貴婦人を恨んでいたこともあるけど、彼女が望むのはその恨みを彼女自身にぶつけることだと分かってからはほとんど気にしないように尽力している。

 彼女は死と復讐、破壊を司る女神。特に復讐の物語を好む。それは彼女自身が登場人物となることも厭わない。むしろ喜ぶ始末だから、相手にするだけ無駄なんだ。


 今日も青い薔薇園を綺麗に手入れして、無駄な花や葉を切り落とす。

 無駄花。果実をつけることもなく、咲いた意味のない花。薔薇に果実はないけれど、景観の邪魔になる花はどうしても存在する。それこそが徒花。


 僕らはみんな、そんな「徒花」としてこの学院の中に咲いている。

 なにも成すことのできないもの。生きている、なにかを成すことのできる人達を害して、足を引っ張ることしかできない存在。切り落とされて当然の存在として。


 しゃきん、しゃきんと切り裂いて、落ちた花を拾って見つめる。

 ああ、哀れだね。本当に。そうして同情をしてあげる。僕には誰も同情してくれないから、せめて僕だけは切り落とした花の数でも覚えていようと数を数えながら。


 そんな毎日がずっと続くと思っていた。

 あの女の子。アリスと出会うまでは。


 異世界からやってきた魂に肉体を乗っ取られていた少女は、他の神聖魔法学科の人達によってその魂を救われ、目覚めた。

 編入生として学院生活をするようになった彼女は、いつのまにかよく目にするようになって……ある日から、どうしてか僕は懐かれた。


 他の生徒達にもそうだけれど、僕は無駄な死人が出るのが嫌いだ。だから、防げるタイミングであるなら徒花事案に脅かされる生徒を助けてあげることがある。そうしてたまたまアリスという名の彼女を助けようとした。


 結局助ける前になんとかなったみたいだけれど、運のいい少女だった。

 底抜けに明るくて、金の髪がふわふわしていて夢見心地ののんきな女の子だと思った。せっかく助かったのに、あんなんじゃすぐに死ぬだろうだなんてことも思った。


 けれど、彼女はいつまでも死ぬことはなかった。

 徒花事案との遭遇率が高いのに、彼女はふわふわと浮いた羽根を手で掴むことが困難なようにするり、するりと死の危険を回避していった。おまけに、何十年も原因が解決されずに徒花事案として残り続ける現象まで解決していくことさえあった。


 彼女はいつでも話の中心だ。

 主人公と呼ばれる存在がいるなら、きっとあんな子のことなんだと思った。


 いつのまにか毎日彼女を目で追っているようになっていて、危なっかしいことをするたびに大丈夫だと分かっていても助けに入って話すことが増えた。


 彼女はいつも僕のことを「猫耳さん」だなんて呼んで、まるで名前を覚える気なんてない。ひどい女の子だった。自分勝手で、のんきで、人の話を聞かないから悪いところばかり見えるけれど、なぜか話すのが嫌じゃない不思議な子。


 友達を諦めてから随分と経って、もう希望に縋ることなんてないと思っていたのに、僕は友達だと言われて舞い上がる心を恥じた。


 瞳の中に見えるキラキラとした希望の光は僕には眩しすぎる。

 僕までその光に焼かれてしまうんじゃないかと思うほどに、強い、強い光を持って生まれた主人公みたいな女の子。


 きっとこういう子は光の道の上を歩きながら、完全な御伽話の中で幸せになるのだろう。悪役として定義され、固定された僕とは違う。


 なにも成せない徒花となった僕がそばにいたら、彼女の花もきっと一緒に枯れてしまう。離れたほうがいい。そう思っていたのに、彼女……アリスは僕の手を離してはくれなかった。僕自身も未練がましく縋り付いてしまっていたようなものだ。


 呪いでオオカミの耳と尻尾が生えて、差別対象として迫害されていた僕に差し出された手は、いつのまにか真紅の貴婦人のものではなくて、水色と白の制服を身に纏った小さな主人公のものにすげかわっていて、僕はその手に自分の手を恐る恐る重ねて輝くその瞳を見上げていた。


 アリスは傲慢にも僕に勝手に名前をつけた。

 いわく、チェシアと。


 僕にだって本当の名前はあるんだからなんて言ったけれど、本当はほとんど自分の名前も思い出せなかったから、チェシアは僕の今の名前になった。


 けれど、こればかりは譲れないとアリスに忠告する。

 僕にばかりかまけているとよくない。取り返しのつかないことになる。


 理不尽な死が起きる、徒花事案だらけのこの学院で。

 徒花事案である僕に入れ込むのは間違いなく良くない方向に向かっていると感じたから。それでも彼女はなにも憂いなどないとばかりに僕に笑いかけて言った。


 僕と真紅の貴婦人の関係をこっそり教えていたからか、あの復讐の女神にこれ以上ないほどの悪戯を仕掛けてやりましょう! だなんて。


 一歩間違えば死ぬ。僕もろともに。

 僕の知っていることを全部話して、彼女は一蓮托生の仲になることを臨んだ。


 失敗したらもう二度と彼女は御伽話の中の、なにもかも上手くいく主人公には戻れないだろう。


 僕らと同じ徒花になりかねない、危険な賭けの誘いだった。

 断ればよかったのに、握られた手を振り払えなかったのは僕の弱さだ。


 彼女は言った。

 たくさんの人が徒花事案で悲しんでいる。

 外の世界から、この世界を虚構のように観測することができるのならば、外の世界でこの世界についての本を作って、書き換えてしまえば世界に干渉することができるんじゃないか? 


 そんな馬鹿なと思うような荒唐無稽な計画だった。

 書き換えた物語を「めでたしめでたし」の魔法の言葉で閉じてしまえばそれ以上勝手に物語が増えることはない。物語が増えなければ、それ以上の悲劇は停滞し、起こり得ない。


 みんなに幸せを。

 馬鹿みたいなその賭けに、僕は乗っかった。


 手と手をとって異世界への穴へ足を踏み入れる。

 一歩間違えば僕らまとめてセットの徒花事案として再定義されてしまう恐れがある中の行動。


 諦めなければきっと叶う。

 そんな甘い言葉に誘われて。


 そうして夢のような御伽話の国から抜け出してきた僕らは今も本を閉じるためにペンを執る。


 未知と恐怖に立ち向かい、刈り取られる恐れのあったみんなの未来を創り上げるために。



「チェシア、チェシア、わたしのチェシア!」

「どうしたの、僕のアリス」

「それはなにを書いているの? いつものとは違うわよね?」

「ただの日記だよ。君と一緒さ」

「ズルい! ズルいわ! あなたはわたしの日記を覗き見するのにわたしには見せてくれないの?」

「僕はそういう徒花事案だったからね。見せるのは……恥ずかしいからちょっと嫌かな」

「わたしだって恥ずかしいのに!」

「君に恥ずかしいなんて気持ちがあっただなんて、これは驚いたね」

「もう〜!」


 身を寄せている、本作りに協力してくれている人は僕のことを主人公として見てくれているようだけれど……やっぱり、僕にとっての主人公はアリス。


 彼女ただ一人だ。

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