第2話
第三章:刺殺という名のラブレター
「『私のために死んで』って、本当に言われたらどうする?」
放課後の図書室。陽太は、窓際の席で本をめくる青木に問いかけた。夕暮れの光が、青木の顔に柔らかく射し込んでいた。
「言われたら?もちろん喜んで、だよ」
青木はページをめくる手を止めずに答えた。
「本気で言ってるのか?」
「うん、本気。本気で誰かに全てを捧げたいと思ったこと、ないの?」
青木の声には、冗談や気負いの気配がなかった。あまりに自然すぎて、陽太は言葉を失った。
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青木が”彼女”と出会ったのは、夏休み前だった。
図書館で出会った、ひとつ年上の高校生。名前は高原真帆。髪は長く、肌は透けるように白い。彼女は「文学部志望だけど、今は高校を休学中」だと言った。
初めて話したその日、青木は彼女が読み終えた本――三島由紀夫の『春の雪』をそっと借りた。そこに挟まっていたメモには、こう書かれていた。
「美しい死に方を、あなたは信じますか?」
それが始まりだった。
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「今の時代、好きな人に”生きて”って言う方が多い。でも私は逆。『死んで』って言えるほど、誰かを想い抜きたい」
真帆は、ある日ぽつりと言った。
「それって……自己中心的な願いじゃない?」
青木がそう返すと、真帆はかすかに微笑んだ。
「ううん、自己犠牲と自己愛は紙一重なの。でも、私がこの世界からいなくなったあとも、誰かの心に傷跡として残るなら――それは永遠よりも確かでしょ?」
彼女の言葉は、青木の胸に深く突き刺さった。そして彼は、自然とある決断を下していた。
「じゃあ、僕がその”誰か”になるよ」
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2学期が始まってから、青木は毎日のように真帆に会いに行った。彼女の部屋は、小さな古アパートの一室。壁には無数の詩と新聞の切り抜き、そして「死に方願書」の控えが貼られていた。
「“刺殺される”って、普通の人から見たらただの猟奇殺人だよね」
青木がそうつぶやくと、真帆は静かに頷いた。
「でもそれを”愛”と認識する二人がいれば、立派なラブストーリーになるの」
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ある冬の日、真帆は一通の封筒を青木に渡した。中には小さな短刀と、真帆が書いた遺書の下書きが入っていた。
「まだ誰にも出してない。これはあなたが、本当に望むならの話」
青木は封筒を両手で持ち、しばらく黙っていた。そして、目を上げた。
「ありがとう、真帆。僕、君の”ために死ぬ”のが、怖くなくなったよ」
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1月、青木は「最終確認面談」を受けた。
山田先生は静かに青木の願書を見つめ、「どうしても、刺殺なのか?」と尋ねた。
「はい。僕は、人を愛して、その人の希望で死にたい。それが、僕にとっての最も”意味ある死”です」
青木の声は、教室の隅にまで響いていた。
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そして、3月の卒業式が近づいたころ。
青木は突然、学校を欠席し始めた。担任やクラスメイトが連絡しても、返事はない。
陽太と美咲が真帆のアパートを訪ねたとき、部屋はすでにもぬけの殻だった。机の上に残されていたのは、短いメモと、青木の願書の写し。
「好きな人の希望を叶えて死ぬ。これ以上の生き方は、僕にはなかった」
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春、青木健の訃報がニュースになることはなかった。ただ、地元の警察署に「未遂事件」として記録された刺傷事件がひとつ。
加害者の女性は、自らも手首を切り、精神鑑定を受けていたという。
その名前に、「高原真帆」はなかった。
第四章:最後の願書
4月。陽太は再び、校舎の掲示板を見上げていた。
新年度の「死に方相談会」の張り紙が、静かに風に揺れている。
「“死に方”って、生き方の裏返しなんだな……」
隣に立った美咲が、そっと言った。
「うん。でも、青木は幸せだったのかな」
「少なくとも、あいつは嘘をつかなかった。俺には、それだけで眩しかったよ」
陽太は青木の最後のメモを思い出していた。彼は結局、自分の願いを貫いたのだろうか。それとも、別の形で生を全うしたのだろうか。
美咲が振り返る。
「陽太は今年、何て書くの?」
陽太は少し考えてから答えた。
「『誰かのために生きて、誰かのために死ぬ』……かな」
「それって、青木くんと同じじゃない」
「いや、違う。俺は”生きて”も入れた。死ぬ前に、ちゃんと生きたいんだ」
美咲は微笑んだ。
「それが一番、陽太らしいね」
二人は静かに校舎を見上げた。新しい一年が始まろうとしている。この学校では、また新たな中学3年生たちが「死に方」について考え始める。
陽太は思った。青木が教えてくれたのは、死に方ではなく、生き方だったのかもしれない。自分の信念を貫くということ。誰かを愛するということ。そして、その愛に嘘をつかないということ。
風が吹いて、掲示板の紙がひらりと舞った。
新しい春が、静かに始まっていく。
死に方の願書 奈良まさや @masaya7174
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