第三話 焔が呼ぶ、あのひと 02

 そんな時――こんな声が聞こえた。


 ここで、死んだ方がいいんじゃない?


 …………そうだよ、それがいいかもしれない。

 だって、疫病神が消えたら……みんな喜ぶんじゃない?

 知らず知らずのうちに、口の端が上がっていく。


 だってもう、充分頑張ったじゃない?

 もう、いいよね?


 もうこんな風に、誤魔化しながら生き続けるのをいつまで続ければいいの?

 それなら……こんなチャンス逃すわけにはいかない。きっと私は人じゃないんだ。

 だからここでもう終わらせよう。


 きっと天国にも地獄にも、行けないだろうけど。

 私の縺糸れんしも、視界も、頭も、耳も全身も。

 ずっと地面にしがみついている腕も。

 もう――痛くなかった。


       *


 風はとても凪いでいて、まるで私の思いを肯定してくれているみたいだった。

 いつもはうるさい縺糸れんしも、風と同じように凪いでいる。

 もういいや。ここで退散しよう。


 私が手を離そうとした瞬間――足音が聞こえた。

 すごく急いでいるような、そんな音が。

 そう、誰でも聞いたことのあるような――まるで私を日常に戻そうとする、そんな音だった。


「諦めるな!」


 声が聞こえた。

 どこか懐かしくて、暖かくて。

 だけど、私の全てを揺らす――そんな声が。


 まるで私の内心に異議を唱える声に、私は全身がふっと開いた。

 全てが開いた私は、手もそのまま開いてしまった。


 体が傾く。

 ふっと――穴に落ちていく。


 でも、知りたい。

 あなたは……誰?

 どうして、ここにいるの。

 私なんて――放っておいていいはずなのに。

 死ぬのが、遅かった……くらいなのに。


 どうして、そんなに必死なの?


 また内心が届いたかのように、温もりが――ううん、それよりも強い焔の熱が手首に巻き付いた。


「二年三組十四番、榊風華で間違いないな?」

「あ、あなたは」

「手首を掴め」


 私は反射的に、彼の腕を掴んだ。

 一体……何が起こっているの?

 この人は、何をしてるの?

 この焔気えんき、やっぱり――あの時の人だ。

 私が病院帰りに転びそうになった時、助けてくれた人。


 どうして、あなたがここに?

 どうして……また助けてくれるの?

 みんなを、優先しなくていいの?


 だって、私は――人殺しなのに。


 胸中が疑問で埋め尽くされ、ふっと日常に戻された瞬間――縺糸れんしが波打った。

 彼の肌から漏れる焔気が、私の肌にまとわりつく。

 私の縺糸が疼きとともに痺れを感じ、圧迫されていく。でも――嫌じゃない。

 これ、前と同じだ。私が彼の焔気に翻弄され、目を離せないでいると、彼はこう呟いた。


「目覚めろ――黒縁こくえん


 彼の言葉で、黒い棒状の何かが飛び出して地面に刺さった。

 きっと焔身具えんしんぐだ。

 私からは何も見えないけれど、焔気がそれを物語ってる。


 そう――それは焔気を持つものにしか扱えない、ほむらの武具。

 それは黒いもやを漂わせているにもかかわらず、どこか心惹かれるものがあった。見えないはずなのに、そこにあるだけで焦がれてしまう。

 そう、まるで私の手首を掴んでいるこの人みたいに。


「結び、守れ。――操式そうしき、起動」


 彼の詠唱でそのもやは、まるで蛇のようにこちらに伸びてくる。

 ううん、きっとロープなんだろうけど、そうは思えなかった。

 それはするすると私の腹部にしっかりと巻き付いて、縛られていく。


 そして彼にもロープが頑丈に、結ばれていく。

 そのロープはきっと彼の焔気そのものだ。

 こんなに黒くて禍々しくも見えるのに、どこか温かい。


 なぜかとても、懐かしく感じる。

 これでしっかり固定されたんだなって思った瞬間、彼が言った。


「いいか、せーので力を地面についてる手にも力を入れろよ」


 私は頷く。


「せーの」


 そして彼は私を引っ張り上げる。

 私も地面についてる手に、しっかりと手を込めて彼のいる地上へと向かう。

 引っ張り上げられた瞬間、私はその勢いのまま、彼の胸へと飛び込んでしまった。


「よく、頑張ったな」


 彼は私が飛び込んでしまったことを意に介さず、そう声をかけてくる。

 息が上がって返事が出来ない。

 彼の体からねつが伝わってくる。


 私は……やっと帰ってきた。


 命には今でも……愛着は湧かないけれど。

 それでも――知りたいものが、できた。

 この懐かしさは、どこから来るんだろう。


 それを、知りたくて。

 ただ……それだけのために。

 だから、どうしてもこの手を――離せなかったのだ。

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【現代異能恋愛】焔の契(ほむらのちかい)〜硝子細工の乙女と不器用な黒焔使い〜【あらすじに用語掲載】 水銀あんじゅ @anju06_Hg

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