第三話 焔が呼ぶ、あのひと 01


 旧校舎を不気味と称するか、静かで落ち着くとするかはその人次第だと思う。私は後者だけど。私は縺糸れんしの疼きがひどくなる前に旧校舎に滑り込んだ。案の定、静かな空気が私の体にまとわりついて、肌のピリつきが穏やかになってきた。


 旧校舎は学期に一回程度だけど、移動教室の時とか部活動で使うことがある。私の所属する天文学部の月一回の催し、星見会の炊き出しの材料を置かせてもらうこともある。


 ここの廊下は時々ギシギシと音が鳴るけど、この古びた雰囲気は嫌いじゃない。むしろ新しくて、身の置き場がない校舎よりも肌馴染みがいい。


 私は以前の理科室に入った。旧理科室は、背もたれがない木製の椅子が黒色の実験台の上に置かれていて、中学校の理科室を思い出した。私は後ろの古い机や椅子が積み上げられている隅に座った。


 思ったより早く縺糸れんしの疼きが治ってきた。やっぱりここにいて正解だったみたい。誰もいないから、焔気に体が左右されることはなくて、回復も早そうだ。午後はサボりになっちゃったけど、体調がよくないって言えば、目を瞑ってもらえるはず。きっとみんなも証言してくれると思うし。


 その時、反射的に体がビクッと震えた。

 ……え、この音もしかして?

 私はまさかの音に耳を澄ませた。

 この緊迫感を感じるのに、動かなきゃって思わせる音って……


焔災えんさいアラームだ……」


 旧理科室に自分の声が響く。

 誰もいないからこそ、余計に私の言ったことが事実だと証明している気がした。 ……きっとこれのせいで、変な雰囲気だったんだ。


 焔災アラームは、焔気えんきの暴走でストレス災害が起こった時になるアラームだ。この音でみんな避難したに違いない。私は見当違いの方に来ちゃったけど。本当は合流して避難がベストだけど、縺糸がまた疼きはじめて体がうまく動かない。


 縺蜜れんみつは人々の不安に左右される。焔災自体は近くじゃなきゃ別にそこまでだけど、人々の不安には影響を受けやすい。だから私がここにきたのは、結果オーライかも。一緒に避難してたら足手纏いになってたかも。こういう時は自分の非力さを痛感して本当に嫌になる。どうして私って、こうなんだろう。


「ここでおとなしくしてよ。静かにしてれば、問題ないよね?」


 不甲斐なさを誤魔化すように呟くと、膝を抱えて顔をうずめる。

 顔の体温が膝から足に伝わっていって、ちょっとだけ安心した。


「良かったんだよ、これで……」


 私は嵐が過ぎ去るのを祈って、そのまま目を閉じた。

 

       *


「嘘、寝ちゃったの?」


 私はハッと顔を上げる。少し休もうと思っただけなのに、本気で寝ちゃったみたい。だけどそのお陰で頭は前よりはスッキリした。目の焦点もしっかりと合って――


「え、まさか……」


 休んだはずなのに、目の前が歪んで焦点が合わない。

 何回まばたきしてもそれは変わりない。

 ううん、むしろひどくなっていく。

 まるでゲームの画面酔いみたい。

 ふらふらと目の前が勝手に揺れる。

 私は――止まっているのに。


 まばたきとリンクして、頭がミシミシと軋む。

 ぎゅっと金属みたいに冷たくて重いものに、締め付けられてるみたい。

 その軋みに呼応するように、妙な音も聞こえてきた。

 体に響く高音は、耳だけじゃなく全身に突き刺さる。

 骨まで、砕けそうだ。


 だけど……一番おかしいのは、そこじゃない。

 何故か――地面が沈んでいく。しかも一部分だけ。

 まるで泥のように。

 地面が柔らかく、そして重くなっていく。

 私はなんとか、まだ固い地面に両手をつく。

 落ち切った地面の様子を見る余裕はない。


 この現象は――焔災えんさい特有の現象だ。

 きっと外では風が竜巻のように様々なものを巻き込んで、走り回ってる。

 その空気が逆流を起こして、物を吸い込んだり、巻き上げたりと忙しいはずだ。

 私はなんとか首を動かして、遠くなった窓に目を向ける。

 窓はガタガタと音を立てている。

 風で揺れる間に、木枠が重い音をあげる。

 悲鳴みたいにガラスが鳴って、私の胸も軋みそうだった。

 この焔災は、人々のストレスが膨れ上がって起こるものだ。

 だから人々のストレス値が下がれば、騒ぎも収まるはず。


 でも私の腕は――絶対に持たない。


 だって、ここに私がいるなんて、誰も知らない。

 こんなことなら学校に、戻らなきゃよかった。

 どうしてこんなことに、なっちゃったんだろ。


 私って……本当にバカだ。


 大人しくしてれば、焔災の餌食に見舞われることも……なかったのに。

 でも、このストレスに晒されて、いつも苦労しているのは誰?

 そう――私たち縺蜜れんみつだ。


 負の感情、つまり縁象えんしょうの数値が上がっていると、体感でわかっても無碍むげにされやすい。

 どれだけ縺糸れんしが過敏でも――気のせいだって、繊細すぎるんだって、笑われる。


 私だって、鈍感でいたかった。

 みんなみたいな……多数派で、いたかった。

 好きでこんな体に生まれたんじゃない!

 なのにずっと、生まれてから爪弾きにされる人生なんて、嫌に決まっているじゃない!


 なのに、どうして……そんなに面倒臭そうな顔で見てくるの?


 私の脳裏に、俊一郎しゅんいちろうさんや、唯夏ゆいかさんが亡くなった時のことが思い浮かぶ。

 私は養子だったから、俊一郎さんの親戚にも、唯夏さんの親戚にも煙たがられた。

 だから私は十歳で、児童養護施設に行くと決めた。


 だって……そうしないと、みんなが困るから。


 実の親も死んでるし、里親も殺してしまったから。

 疫病神は疫病神らしく、せめて静かにしてよう。

 ずっと埋没しながら生きてきたのに。

 ずっとこれでも普通に見られるように、一秒一秒耐えて来たのに。


 ……こんなところで終わるの?


 いつの間にか濡れている頬が、冷たくなっていく。

 頬から溢れる雫は、どん底に落ちていった地面の中に吸い込まれていく。

 こんなこと考えたら、焔災がひどくなるって分かってる。

 でもそれでも、だからこそ――ますます頬は濡れ続けた。

 まるで洪水みたい。

 腕の感覚が、無くなってきた。

 もう何も考えられない。

 

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