7 通話

 業務が一段落した頃を見計らい、養老彩美は個人用の携帯電話を使って彼に電話をかけた。

「私よ。この間はありがとう。色々と助かったわ。……そうね。ちょっとしたトラブルはあったけれど、概ね上手くいったわね。……そのことなんだけれど、延期にしてた例の彼女の件、明日の午後にしても構わないかしら。できるだけ早い方がいいのよ。ええ、お願い。……あら、この私に見返りを求める気?嫌な男ね。まあいいわ。ちょうど科捜研から結果が届いたところなの。三日前に自宅で殺された深冬麗香の死体のそばにあった林檎の分析結果が出たのよ。あなたには特別に教えてあげる。思った通りだったわ。林檎の実の成分は百パーセント、誰かの血液だった。ただし普通の人間のものじゃない。この林檎には吸血鬼の血液がたっぷり含まれている。ご存知の通り、降魔産の吸血鬼は遺伝子操作の影響で同族の血を大量に摂取すると高確率で死に至るわ。深冬麗香……旧姓、冴羽さえば麗香は降魔郡の出身よ。冴羽家は降魔氏とともに日本に移住した吸血鬼の一族、つまり彼女もれっきとした吸血鬼。誰かが血液でできた林檎を深冬麗香に食べさせて彼女を殺したの。……ええ。そう。私も同じことを思っていたのよ。待って。今、資料を出すから」

 彩美は片手で机の下の引き出しを開け、中から分厚い一冊のファイルを取り出すと、机の上で大量に付箋が張られた箇所をぺらぺらとめくっていった。

「二〇〇〇年十月の落合幸恵。二〇〇一年二月の深冬佐紀。もちろん年は信用しないで。このまちの記録は吸血鬼の寿命の長さを誤魔化すために、ほとんどが改ざんされているんだから。で、<林檎の裁き>で死んだこの二人のことだけど、彼女たちが死んだ時にも今回と同じ林檎が使われたということが考えられるわ。落合幸恵も深冬佐紀も降魔郡出身の吸血鬼だった。それなのに<林檎の裁き>で、毒で死ぬはずのない彼女たちが毒林檎を食べて死亡した。当時は二人が疑われていたような吸血鬼ではなく人間だったために死んだとされて、<裁き>を命じた執行官が冤罪の責任を取らされて辞任した。でも彼は間違っていなかった。二人が吸血鬼であることを知っていた人物が、<裁き>に使う毒林檎をこっそり血液入りのものとすりかえて二人を殺したのよ。そしてそいつは今度は同じ方法で深冬麗香を殺害した。見た目は林檎、中には血液たっぷりのフレッシュな道具でね。………ええ、そうよ。私たちにはやることが山積みね。でもお互い一番知りたいことは一緒でしょ。誰が彼女たちを殺したのか。残念ながら落合幸恵と深冬佐紀はあの女には殺せないわ。彼女たちが死んだ時、毬花はまだ生まれてもいなかったんだから」

 その時執務室のドアがノックされ、方波見圭人が顔を覗かせる。

「あとでかけ直すわ。……ええ、よろしく。それじゃ」

 彩美は電話を切ると圭人を見た。

「どうかした?」

「黒須こばと新聞の狩野さんから電話がありました。亡くなった深冬麗香さんの件でお話したいことがあるそうです」

「そう。秘書にスケジュールを確認させて午後どこかで時間を作るよう言っておいてちょうだい。それから麻生眞蓮を悦司えつじのところに連れて行くって話、麗香の死で延期していたけれど、明日にすることにしたから彼女にはそう連絡しておいて。あともう一つ。麗香の訃報が突然飛び込んできたものだから、結局あの日落合亜貴とはじっくり話せていないの。彼ともう一度会って話せるように時間と場所を調整して。夕食でも構わないわ」

「承知しました」

「ねえ。圭人」

「はい」

「犯人は誰だと思う?」

 圭人は少し目を丸くして彩美を見つめた。

「どうしたんですか急に」

「ただ質問しているだけよ。彼女を殺したのは誰かしら」

「それをこれから調べていきましょう。彩美さん」

「……そうね」

 彩美は背もたれに身を預け、じっと資料に目を落とした。

 落合幸恵と深冬佐紀は、その昔このまちで吸血鬼の疑いをかけられ、毒林檎で死ぬかどうかで人間か吸血鬼であるかを見分ける<林檎の裁き>にかけられた二人の女性だ。人間ならば林檎を食べた時点で毒により死に、吸血鬼であれば死なずにその後処刑される、どちらにしても死しか待っていない地獄の刑罰、その犠牲になった主婦。人々は毒林檎で死んだ彼女たちを人間であると信じた。だが実際のところ、二人は吸血鬼だった。二人とも毒で死ぬはずはなかった。にも関わらず二人は命を落とした。真っ赤に色づいた林檎によって。

 落合幸恵。落合亜貴の母親。

 深冬佐紀。深冬環の母親。

 自分は闇の中に生きているのだと彩美は思った。この地を包み込む、深くて暗い血みどろの世界に。

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毒林檎と吸血鬼 総角ハセギ @23-agemaki2

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