第7話 ひみつのおはなしノート~実家から届いた小さい頃のノート。忘れていた“つくる心”~

 カップに口をつけたけれど、コーヒーの味は苦い泥水みたいに感じた。パソコンの画面には、白いキャンバスのように空欄のプレゼン資料が広がっている。気分転換に淹れたコーヒーは既に4杯め。胃が痛くなってきて、お腹を押さえた。


「新しい広告キャンペーン案を考えてほしい」——上司にそう言われてから三日。出てくるのは、どこかで見たようなありきたりのコピーや構成ばかりだ。


『桜井さんの案は、いつも無難だね』


 前回の会議で言われた言葉が、何度も頭の中で反響していた。


 ため息をついて視線をずらすと、部屋の片隅に置いた観葉植物の葉が揺れている。エアコンの風だ。水槽の中では、ネオンテトラが小さな光をまとって泳いでいる。在宅勤務期間に頑張って作った癒しの空間のはずなのに、今日は目に入るだけで心が重くなる。


「……考えるの、面倒だわ」


 小さく呟いて、またマグカップに口をつける。


 大好きだったおしゃれな日用品雑貨のメーカーに転職して3年、広告企画グループに移動して、企画も任せられるようになったのに。楽しいよりしんどいが勝って、延々と続く単純事務作業が嫌で転職したはずの前職に、戻りたいような気持ちさえわいてきていた。 


 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。宅配便だった。伝票の差出人を見ると、実家の母の名前が記されている。何の荷物かとスマホを開くと、忙しくて確認出来てなかったけど、昨日連絡が来てた。


『実家の断捨離中。優美ちゃんの小さい頃の荷物も整理したいから送るね!』


「……そのまま置いといてくれればいいのに」


 ため息をついて、しゃがみこむ。仕事で手一杯なのに、どうしてこのタイミングで。


 届いたダンボールを開けると、古いアルバムや文庫本、子どもの頃に集めていたキャラクターグッズなどが詰め込まれていた。――『懐かしいでしょ』と母の字で書かれたメモ用紙と一緒に。


 懐かしい、よりも「いらない」でいっぱいだ。忙しいのに、どうしてこんなガラクタを送ってくるの、お母さん。


 苛立ちのまま、要らないものを分別しようと手を伸ばす。すると、その底に、くたびれたノートが一冊まぎれていた。


 表紙には、色鉛筆で描いた虹色の文字。


 『ひみつのおはなし』


 手が止まった。


 ページを開く。拙い字で綴られた、子どものころの物語。「小人のくに」「くもをはしるユニコーン」「さかなとおしゃべり」——稚拙な絵とともにノートの隅から隅まで、文字がこれでもかと詰め込まれていた。


『こびとは 茶色い 大きな山に出会った。 登ってみたら、それは動いた。 山は言った。僕の名前は柴太郎。 山は 犬 だったんです!』


 『柴太郎』というのは、私が実家で飼っていた柴犬の名前だ。 柴太郎の似顔絵と、その上に登った小人の絵が描いてある。


『ゆーみんはユニコーンにのって、雲をかけて虹を越えて、友達を探す旅をしています。素敵なお友達がいると、角が光ります』


 ユニコーンに乗った女の子のイラスト。 『ゆーみん』は、私の小さい頃のあだ名。ってことは、この女の子は私なのか。当時流行っていた少女漫画の絵柄の影響か、目が顔の半分を占めている。 


『教室のすいそうからいなくなった、『しましま3号』は、くうきで息ができるようになったので、外に飛び出して行ってしまったのです』


 『しましま3号』は小学校の教室で飼っていた魚の名前だ。1号から7号までいた。私は生き物係だったから、全部の区別がつくのが自慢だったけど。ある日3号がいなくなってしまった。


 朝登校したら、水槽からいなくなってて、担任の先生に泣いて聞いたら、『――先生も知らない。家出したんだと思う』とか言った気がする。――今思えば、死んでしまって、私がショックを受けないように、そういう言い方をしたのかもしれないけれど。


 だって、教室の水槽から魚が急にいなくなるわけがない。けど、私はその先生の話を真に受けて、こんな話を書いたんだっけ。


 ――何だか、いろいろ思い出してきたぞ。私は夢中でノートをめくった。胸の奥が少し熱くなった。


 あの頃の私は、毎日のように“物語をつくる”ことに夢中だった。誰かに見せるわけでもなく、ただノートの上に小さな冒険を描き続けていた。 大人になってから、そんなに何かに熱中したことは、あったかなあ。


 ふと、机の上の観葉植物に目をやる。——葉っぱの影から、小人が顔を覗かせた気がした。水槽の中では魚が泡を吐き出し、「もう一息だよ」と囁いているように見える。窓の外の雲は、ほんの一瞬、角を持つ馬の姿に形を変えた。


 「……」


 小さく息をくと、思わず笑ってしまった。 

 全部、私の心が見せている風景だ。けれど——なんだか悪くない。


 パソコンの前に戻り、空欄の資料を見つめる。


「小人の目線で日常を大冒険に変える」


 頭に浮かんだ言葉を、勢いのまま打ち込む。


 小人の視点で見ると、机の上のカップだって断崖絶壁だ。観葉植物の葉は森で、水槽の中は海。

 日常の一コマを「冒険」に見立てることで、商品を違った角度から紹介できるのではないか。


 次々とアイデアが湧き上がる。 


「商品をレイアウトした室内を小人が探検する動画」


「住人が留守中に、レイアウトした部屋の中で、観葉植物や熱帯魚がお話している」


「ユニコーンが素敵なお部屋を見つけるために、旅をする連載漫画」


 今まで固くなっていた頭が、まるで解き放たれるように柔らかく動き始めていた。


 午後のオンライン会議。私は恐る恐る、自分の案を共有した。


『桜井さん、何か案はできた?』


 上司の声に、マイクをONにする。ミュートの『切』ボタンを押す手が震えた。――笑われたらどうしよう。


 その時、指先に小人が現れたのが見えた気がした。その子は私の指をつかんで、えいっとマイクのミュートボタンを切った。そして、私ににこにこと手を振って、消えた。私はぱちぱちと瞬きをして、自分の指先を見つめた。 


『桜井さん……?』


 上司の声に、私は咳払いをして、話し出した。……言うしかない!


 「――日常を“小人の視点”で切り取る広告はどうでしょうか。お部屋の中を大冒険の舞台にして、商品の魅力を伝えるんです」


 一瞬の沈黙。また「無難だ」と言われるのでは、と背筋が冷たくなる。


 けれど、次の瞬間。


 「それ、面白いね!」 

 「確かに小人目線って新しい。映像化したらインパクトありそう」


 会議の画面の向こうで、同僚たちが口々に言った。上司も「ようやく桜井さんらしさが出てきたじゃない」と笑った。


 胸の奥が、じんわりと温かくなる。——子どもの頃の私が、背中を押してくれたんだ。


 会議が終わり、改めて母からの荷物を見ると、


『優美の好物の梅シロップも入れるね』


 とお母さん手作りの梅シロップの瓶が入っていた。それをカップに入れて、お湯でわる。 

 小さい頃から大好きな味が、コーヒーで傷んだ胃に染みわたった。


 机の端に「ひみつのおはなし」のノートをそっと置く。余計な荷物だと文句を言ったダンボール。

 けれど、それは今日を特別な一日に変えてくれる贈り物だった。


 「『急がば回れ』ってこういうことを言うのかしら」


 つぶやいて、小さく笑った。


 窓の外の空には、ふわりと白い雲が浮かんでいた。その形は、ほんの一瞬だけユニコーンに見えて、私は小さく手を振った。

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【短編集】今日はソイラテで~彼女たちの少し特別な日~ 夏芽みかん @mikan_mmm

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