第2話「二人の関係」
4月8日 午前6時
カーテンを引くと、朝の光がふわりと舞の部屋に差し込んできた。
「気持ちいい〜……」
思わず声がこぼれる。
軽く背伸びをすると、心も身体もふわっとほどけていくようだった。
朝食を済ませて部屋に戻ると、舞は小さくあくびをした。
ドアには、ピンク色の手書きの張り紙。
《いま着替え中!入っちゃダメ!》
誰が来るわけでもないけれど、なんとなく、それが今日の気分だった。
制服に袖を通し、鏡の前に立つ。
ブレザーにチェックのリボン、フリルのスカート。
「なんか……今日の私、ちょっと可愛いかも」
そう呟いて、小さく笑った。
午前7時30分
家を出て、通学路を歩く。
春の風が頬をなで、桜の花びらがひらひらと舞ってきた。
「わぁ……きれい」
思わず立ち止まり、空を見上げる。
優しいピンクが空に溶けて、心までやさしくなる。
道を歩いていると、すれ違う人たちの声がふと耳に入る。
「あの子、可愛い……」
そんな言葉に、舞は振り返ってにっこり微笑んだ。
その笑顔に、また別の声が聞こえる。
「笑った……!」
「めっちゃ可愛い……」
どこかくすぐったくて、でもちょっとだけうれしい。
舞はまた、ひとりでふふっと笑った。
午前7時40分
ふいに、春風が強く吹いた。
スカートがふわりとめくれて、舞はあわてて押さえる。
「ひゃんっ!」
赤くなって周りを見渡し、顔を両手で覆った。
「恥ずかしい……」
気を取り直して歩き出すと、今度は鼻がムズムズしてきた。
「くしゅんっ!」
と、くしゃみがひとつ。
「花粉、まだ飛んでるのかな……」
午前8時
ようやく高校の正門にたどり着くと、新入生の波の中でひときわ目立っていた舞に、周りからまたささやきが聞こえてきた。
「新入生かな……」
「すっごい可愛い子いる……」
そんな声を聞きながら、舞は胸が少し高鳴るのを感じていた。
クラス発表の掲示板には、
「1年1組 女子5番 桜野 舞」
と書かれていた。
そしてそのすぐ近く。
「男子2番 石神 雄汰」
舞の目が丸くなった。
「えっ!? いたの!? 同じ高校に……!?」
4月2日、あの日の出会いが、舞の胸によみがえる。
入学式を終えて帰ってきた日のこと。
制服を脱ぎ、私服に着替えた舞は、部屋の椅子に腰かけていた。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、心の中を占めていたのは、ひとりの男の子のこと。
石神雄汰――あのとき、偶然出会った彼。
「どうしてだろう……あの人のこと、ずっと考えちゃう……」
頬杖をつきながら、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。
すると、不意に鼻がムズムズして――
「くしゅんっ!」
舞は小さなくしゃみをひとつ。
「……あれ? もしかして……」
誰かが自分のことを考えてるって、そういうときにくしゃみが出るって、昔聞いたことがある。
「……まさかね。でも、もし、もしそうだったら――」
舞はそっと、胸に手を当てた。
「……あれ、私、いま何を期待してるんだろう……?」
~その夜~
ベッドに潜り込んだ舞は、天井を見つめながら思った。
「……よし、明日こそ……石神くんと、少しだけでも話してみよう!」
自分の気持ちに気づき始めたばかりの舞は、まるで春風に背中を押されるように、小さくうなずいた。
4月9日 午前6時30分
朝の陽ざしが差し込むなか、舞は少し慌ただしく朝食を終えた。
制服に着替えながら、時計に目をやる。
「わっ……もうこんな時間!?」
慌てて靴を履き、家を飛び出した。
駅までの道を急ぎながら、舞は息を整える間もなく走り続ける。
(遅刻しちゃう……初めてのホームルームなのに!)
午前8時15分
校門を駆け抜けて教室に向かうと、どうやらギリギリ間に合ったようだった。
「……よかった、まだ始まってない……」
安堵の息をつきながら、舞は黒いローファーを脱ぎ、赤い上履きに履き替える。
教室のドアをそっと開けて中へ入ると、生徒たちはまだ静かに席で待っていた。
舞は自分の席へ向かい、カバンをおろして椅子に腰を下ろす。
ほっとしたのもつかの間――
「……くしゅんっ!」
小さなくしゃみが飛び出た。
慌てて両手で口元を覆ったけれど、まわりの何人かがこちらを見てくる。
一瞬、気まずくなりかけたが――
「……今の、めっちゃ可愛かった……」
「うん、やっぱこの子、クラスで一番可愛いんじゃない?」
そんな声がヒソヒソと聞こえてきて、舞はこそばゆい気持ちになりながらも、そっと笑った。
1時間目──自己紹介
担任の先生が前に立ち、自己紹介が始まった。
ひとり、またひとりと名前を言っていき、舞の番が近づいてくる。
(はぁ……緊張する……)
そして、ついに舞の番。
名前を呼ばれて立ち上がると、ちょうど窓から入った風が、舞の髪をふわりと揺らした。
それに合わせるように、クラスから小さな声が漏れる。
「……すごく、きれい……」
「モデルさんみたい……」
舞は前を向いて、笑顔で言った。
「初めまして。桜野 舞です」
「えっと……よく“可愛い”って言われます」
「でも、仲良くしてくれるだけで、わたしは本当にうれしいです」
「どうぞよろしくお願いしますっ!」
明るく、でもどこか照れくさそうに笑う舞に、教室全体がやわらかい空気に包まれる。
「かわいい……」「やばい……」
そんな声が自然とあちこちから漏れていた。
休み時間
「ねえ、あなた……可愛いね!」
前の席の女の子が話しかけてきた。
「ありがとう。わたし、よく“可愛い”って言われるんだ♪」
「へぇ~そうなんだ。見た目だけじゃなくて、声も可愛いし……」
「それに、わたし……中学では学年1位だったの」
「えっ!? ほんとに?」
「うん! 勉強だけじゃなくて、運動も得意なの。100メートル走も1位になったことあるよ!」
「すごいね! 文武両道じゃん!」
「えへへっ、ありがと♪ わたし、笑顔も得意だから!」
「えっ、じゃあ見せて?」
「うん、見せるねっ。ふふっ♪」
ぱっと咲いたような舞の笑顔に、相手の子が顔を赤くする。
「か、可愛すぎる……っ!」
「ありがと~。あ、ごめんね!」
「わたしの笑顔、キュンとしちゃった?」
「ちょっと……ドキドキしちゃったかも」
「わたしも言われると、ますます笑顔になっちゃうよ♪ ふふっ!」
ふたりは笑い合いながら、すっかり打ち解けていた。
「……くしゅんっ!」
突然のくしゃみに、心配そうな顔が向けられる。
「大丈夫? 風邪じゃないの?」
「ううん、大丈夫。花粉症なの」
「ああ、そうなんだ。今、花粉すごいもんね」
「うん、気をつけてね!」
「うん、ありがとう!」
少しだけ、春の空気が重く感じられたけれど、やさしい会話に心がほどける。
「ねぇ、今度の日曜日、遊びに行かない?」
「えっ? うん、行きたい!」
「よかった♪ じゃあ、4月13日、わたしの家に集合で!」
「うん、楽しみにしてるね!」
~放課後・帰り道~
帰り道、舞は空を見上げながら、小さくため息をついた。
「はぁ……わたし、なんで花粉症なんだろ……」
独り言のようにぼやいたその直後――
「くしゅんっ!」
またもや可愛いくしゃみがひとつ。
「はぁ……まだ出る……」
桜が舞う並木道を歩きながら、舞はそっと自分の胸に手を当てる。
(石神くん……今日、少しでも話したかったな……)
4月10日 放課後
教室を出て、下校しようとしたそのとき。
校舎の外、すれ違った男子生徒の姿に、舞の足がぴたりと止まった。
――石神くん。
間違いない。あの日、出会ったあの人。
「石神くん!」
思わず声をかけると、彼は立ち止まり、こちらを振り返った。
「ん……? どうし――……えっ、えぇ!? さ、桜野!?」
舞はにこっと笑って、軽く手を振った。
「そうだよ。びっくりした?」
「いや、だって……同じ高校だったのか!?」
石神くんは目を丸くしている。
「ふふっ、気づかなかったんだね。わたし、入学式のときからいたのに」
「マジか……なんで全然気づかなかったんだろ……」
彼が少し照れたように頭をかく。
舞は、そんな彼の仕草がどこか可愛くて、思わず微笑んだ。
「なんか……石神くん、かっこよくなったね」
「えっ……?」
石神くんが、きょとんとした顔をする。
「ごめん、急に。変なこと言っちゃった?」
「いや……なんか、桜野が笑ってるの見てたら、こっちも笑えてきた」
「……ねぇ、石神くん」
「4月8日、わたしのこと……考えたりしてた?」
突然の問いに、石神くんの表情が固まる。
「……え? あ、あぁ……思ってたけど……なんで?」
「ふふっ、やっぱり!」
舞はうれしそうに目を細める。
「どういうこと?」
戸惑う彼に、舞はちょっといたずらっぽく笑って見せた。
「あの日ね、わたし……くしゃみしたの」
「……えっ!? 俺もだよ!」
「同じ日、同じ時間ぐらいに、いきなり“くしゅんっ”って……」
ふたりは顔を見合わせ、ぽかんとしたあと、同時に笑い出した。
「やっぱり、なんか繋がってたのかもね」
「そう……なのかもな」
そう言った直後、またしても舞の鼻がむずむずして――
「くしゅんっ!」
「……っ!」
思わず、石神くんの目が舞を見つめる。
「え……?」
「……今の、すごく……可愛かった」
石神くんの顔が赤くなる。
舞の頬も、ほんのり染まっていった。
「や、やだ……そんなこと言われたら、恥ずかしいよ……」
ふたりは、何も言えずに、顔を赤らめたまま立ち尽くしていた。
桜並木の散歩道、ふんわりと春風が吹くなか、舞と石神くんは静かに並んで歩いていた。
突然、石神くんが少し緊張した声で言った。
「今、話してもいいかな?」
「うん。どうしたの?」
舞は笑顔で彼を見つめた。
石神くんは少し顔を赤らめ、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「俺……ずっと言いたかったことがあるんだ」
舞の胸が高鳴る。
「出会ったときから、ずっと……桜野のことが好きだった」
その言葉に、舞の目が大きく見開かれる。
「え……」
石神くんは照れながらも、まっすぐに舞を見つめる。
「舞の笑顔も、優しさも、全部が好きなんだ」
舞の頬が熱くなる。
「私も……石神くんのこと、ずっと好きだった」
ふたりの距離がぐっと縮まる。
石神くんはそっと舞を抱きしめた。
「これからも、ずっと一緒にいよう」
舞は小さくうなずき、彼の胸に顔をうずめた。
「うん……ずっと一緒に」
暖かな風が吹き抜け、ふたりのまわりの桜の花びらが舞い踊った。
舞は石神くんと一緒に歩きながら、明るい笑顔で話しかけた。
「ねぇ、石神くん!」
石神くんが振り返り、優しい目で見つめる。
「なに?」
「実はね…」
と舞が話そうとした瞬間、くしゃみが出てしまった。
「くしゅんっ!」
石神くんがすぐに心配そうに聞いた。
「大丈夫?風邪?」
「違うの。花粉症なんだ」
舞は少し恥ずかしそうに笑う。
「そうなんだ。今、花粉すごいもんね。気をつけてね」
「うん、ありがとう」
少し歩くと、舞はまたくしゃみをしてしまった。
「くしゅんっ!」
そのくしゃみは石神くんの方に向けられたもので、舞は申し訳なさそうに謝った。
「ごめん、唾飛んでない?」
石神くんは笑いながら答えた。
「全然、大丈夫だよ」
安心した舞はほっと胸をなでおろす。
二人は川沿いをゆっくりと歩いていった。
二人は静かな川沿いの桜並木を歩いていた。
しばらくの沈黙のあと、石神くんが小さな声で話しかけた。
「ねぇ、桜野……」
舞は立ち止まり、少し心配そうに彼の顔を見た。
「どうしたの? 石神くん」
石神くんは俯きながらも言葉を続ける。
「いや、別に……ただ、ちょっと考え事をしてて」
舞はそっと彼の手を握ろうとしたが、彼は少し戸惑った様子で黙ってしまう。
「どうしたの?」
舞は少し強く言った。
「はっ……」
石神くんははっと我に返ったように顔を上げた。
そのとき、舞の目にぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「どうしたの?!」
彼は慌てて彼女を抱きしめる。
「ごめん……黙ってて」
石神くんの声は震えていた。
「私……嫌われたのかと思って……」
舞の声はかすかに震えた。
「そんなことない」
彼は強く抱きしめ返した。
「俺は……ずっと、桜野のことが好きで……好きすぎて……たまらなかった」
舞は涙をぬぐいながら、彼の胸に顔をうずめた。
「私も……ずっと、石神くんのことが好きだった」
二人はお互いの温もりを感じながら、静かに寄り添った。
桜の花びらが、春の風に乗って優しく舞い落ちていった。
二人はゆっくりと歩きながら、互いの気持ちを確かめ合った。
石神くんが少し照れたように口を開く。
「桜野……俺から言わせてくれ。ずっとずっと、君のことが大好きだ」
舞は微笑みながら答えた。
「私も、石神くんが大好きだよ」
手を繋ぎ、並んで歩く二人の周りを、暖かい春の風がそっと吹き抜けた。
桜の花びらが舞い、未来への希望を優しく包み込むように感じられた。
桜の花びらがひらひらと舞い散る中、二人は少しだけ立ち止まった。
舞は石神くんの手をしっかり握りながら、柔らかく微笑んだ。
「これからもずっと、一緒に歩いていこうね」
舞の言葉に、石神くんも力強くうなずいた。
「うん、どんな未来でも君となら怖くないよ」
暖かな春風が二人を包み込み、夢のような時間が静かに流れていった。
未来へと吹き続ける、ふたりだけの夢色の風。
その風は、これからもずっと二人の背中を優しく押していくだろう。
川沿いの道に、春風がそっと吹いていた。
桜の花びらがふわりと舞い、舞の髪を優しく揺らす。
石神の腕の中にいるのに、まだ心が落ち着かなくて。
でも、不思議と怖くはなかった。むしろ、安心できた。
「舞…」
名前を呼ばれて、舞はそっと顔を上げた。
石神の瞳が、まっすぐ自分だけを見ている。
「……さっきの、聞かせて。もう一回だけ」
舞は少しだけ照れながら、笑った。
「……好き。大好き。石神くんが、私のすべてなんだよ」
涙が、またこぼれそうになる。
でもその前に、石神がそっと手を伸ばしてきた。
頬に触れる指先が、あたたかい。
それだけで、心がふわっと軽くなる。
「…俺も。ずっとずっと、舞のこと、好きだった」
「……ありがとう」
それから、ほんの数秒。
石神がゆっくりと顔を近づける。
そして、舞の唇に――そっと、キスをした。
柔らかくて、あたたかくて。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
それは風のように優しくて、
けれど、しっかりと心に残るキスだった。
舞の瞳がうるんで、でも幸せそうに笑う。
「……今の、私の初キスだったんだけど」
「…俺もだよ」
二人は見つめ合って、また笑った。
そしてまた、桜の花が、風に乗ってふわりと舞った――。
未来へ吹き続ける夢色の風 天音おとは @otonohanenoshizuku
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