幕間(第30話AFTER):国家の外側―ソフィアの記憶

「ご苦労様、分隊長。少し現場の様子を見させてもらうわ。何か異常ある?」

「お疲れ様です、オドネル少尉。特に何もありません」


 私よりも年上の、迷彩服に身を包み、自動小銃を携行した男が、きびきびとした敬礼で出迎えた。


 テロ組織を匿う国家への粛清としてアメリカ合衆国がこの国に軍事攻撃を仕掛けた。政権は首脳の逮捕によって崩壊した。だが実際には、政権による強権政治によって抑止されていた武装勢力がここが好機とばかりに勢いを強め始めた。

 合衆国はその勢力への牽制と、地域住民の安全支援として自国軍の派兵を決定した。――私もまたその兵士の一人だ。


(愛国心から入隊したけど、私の仕事は平和の役に立っているのか?)


 陸軍士官学校で地獄のような訓練を乗り越え晴れて卒業。少尉の階級を受任して、この地への派兵任務を拝命した。祖国、ひいては国際社会の脅威たる過激なテロリズム集団から地域住民の安全を守る。初志に叶う誇り高い任務だと、胸が高鳴った。


 ――そう、私は理想に燃えていた。


 私が率いる小隊は、砂と岩の荒れ地の中に孤立するように存在するこの街から、首都へつづく主要ないくつかのルートをふさぐように検問を設置した。武装勢力への武器供給の抑止と、混乱の激しい首都への不審人物の流入の抑制が目的だった。今いるここも、その検問の一つだ。


 祖国、ひいては世界の平和に身を捧げたいと士官学校に入ることを宣言したあの日……。警察官をしていた父の疲れて呆れたような目で放った言葉を、最近はよく思い出す。


「現実はそう単純じゃないぞ、ソフィア」


 通りかかる地域住民の姿が時折見える。立ち止まって、腕組をしてこちらを見やる。刺さるような視線だ。


 ――余計な事をしやがって


 強権的な独裁政権を倒してくれてありがとう、などというような感謝の声はどこにもない。微妙なバランスの上に成り立っていた均衡を崩し、混迷の日々をもたらした者に対する恨み節だけがそこにあった。父の言葉の意味と重さを、思い知らされたような気分になる。

 悪役を倒せば、万事が解決などという程、現実は単純ではなかったわけだ。


(――次の満期で除隊しようかしら)


 街の中に向かう方角を見ると、腰を下ろしている二人の兵士達の姿が目に留まった。――その目の前には子供がいて、頭の上からつま先までを布で覆っている。おそらく、このあたりの女の子なのだろう。宗教上の理由でこのあたりの女性はみなそのような格好をしている。

 一人の兵士が立ち上がり、こちらに駆けてきた。


「失礼します。国連の災害調査員を名乗る人物がいるのですが……」


 ――妙な報告だと思った。


「……あなた、今、あの子供のいる方からやって来たわよね? ……そんな人物、見当たらないのだけど」

「その……、あの少女が、そう名乗っているのです」


 確かに、国連の災害調査員が出入りする通達は受けていて、今日の定例ブリーフィングで、私は事務連絡として周知をした。

 妙に気にかかって、私はその少女の方へ近づいて行った。しゃがんで話を聞いていた兵士が、私に気付き、さっと立ち上がると敬礼をして、脇によけた。


「ねえ、あなたが国連の調査員だって話を、あっちのお兄さんから聞いたんだけど」


 私は片膝をついて、少女に声をかけた。


「あの、日本人の男の人を見かけませんでした?」


 周囲になじむように布を被っているが、覗かせる肌の色を見るに、その中にいるのは……


(――このあたりの子供じゃない?)


 その子は顔を覆う布を手でよけて、素顔を見せてきた。ここより東寄りのアジアの少女――中国人か、日本人とかだ。

 そして、首元からストラップでぶら下がったカードパスを取り出し、私に見せつけてきた。


 ――国連災害疾病対応タスクフォースUNDERT(アンダート) 調査官補 トキコ・カンザキ


 パスに映る顔写真と、その少女の顔は確かに一致している。にわかに信じがたいことだが、どうやら、本当の話らしい。


「あなた、こんなところで何してるの」

「先生と一緒に調査に来たんです。でも、どっか行っちゃって……見ませんでした? 日本人の男の人」


 およそ想定しうる回答から斜め上に外れたその子の回答は、私を混乱させた。


「いや……見てないわ。あなた達、何か分かる?」


 周囲の兵士に目配せをしたが、皆一様に首を横に振った。


「そう……。ありがとう、兵士さん」


 その子は振り向くと、街の中へ続く道を見た。


「先生の気まぐれな散策はいつものことだけど、……どこ行ったのかしら」


 そういって、歩き始めた。


「ちょっとアンタ、一人でどこ行くの! 危ないわよ」


 ――急に突風が吹いた。


「あ」と、その子が呟いたのが聞こえた。


 風が砂を巻き上げていた。そのつむじ風が、そばで昼寝をしていた一匹の野犬に突っ込んでいく。

 野犬が――キャウンと鳴き声を上げながら目の前で切り裂かれるように無数の傷を負った。


「ちょっと、何アレ」


 まるでナイフか何かで切りつけられたかのような……異様な光景。思わず銃を構えたが……その仕業の犯人はいない。砂を巻き上げて吹く風だけがそこにある。今度は、障害物としてこしらえられた砂袋にぶつかると、ずたずたに袋は裂かれ、中の砂を飲み込んだ。


「総員、銃構え! 私が指揮を執る! 周囲を警戒せよ! 敵襲の恐れあり! 異常あれば即時、声を上げろ!」


 私が声を張り上げると「了解!」と兵士たちが銃を構え声を上げる。


 ――視線の端に一人の男が現れた。こちらの警戒に気付いているのか、両手を上げて敵意が無いことをアピールしているようだった。


「そこの男! 止まれ!」


 私は、声を張り上げ、男に声をかけた。銃を握る手が嫌な汗をかいている。


「おーい! ちょっと失礼するぞ! そこの子供に用がある!」


 男が少しずつ……恐る恐る一歩ずつ近づいてくる。


「あ! あの人です! 探してた人」


 少女が、近づいてくる男を指差して、私にアピールした。男に向いていた複数の銃口は、私の合図によって下ろされた。男は、自分への警戒する私たちを刺激しまいとしているのか、慎重にゆっくり近づいてくるようだった。


『悪い悪い、気のいい親父と話し込んじまった』

『先生、どこ行ってたんですか』


 男と少女は聞き慣れない言葉で会話を始めた。おそらく日本語だ。ツンツンとした黒髪で無精ひげ。黒いシャツにずいぶんとくたびれたジーパン姿だった。


『聞き込みだよ。情報は足で稼ぐもんだ。いつも言ってるだろ』


 男が少女の頭に手を置くと、異様な風の動きに目を向けた。


「ちょっとアンタ、この子の保護者? ここがどこだか分かって――」


 最後まで私が言い切らないとこで、男は手のひらをこちらに向けて、静かにするように合図した。


『でだ、時子。見えてるのか?」

『はい。風の力が不自然に集まっています。暴走状態です』


 何かをやりとりしているが、私には意味を汲み取れない。


「よし、特殊災害だ」


 次に男が発した言葉は意味のわかる言葉だったが、あまりにも唐突だった。


「アンダート条約九条により、この場の指揮を俺達が預かる」


 その男はポケットから首に下げストラップのつながったカードパスを取り出して、私に見せつけてきた。


 ――国連災害疾病対応タスクフォース 調査官 キュウサク・キド


 およそ想像もしない状況だった。突然の不可解な事象。そして、いきなり現れた日本人たちは、この状況で現場指揮権の掌握を宣言したわけだ。おそらく、私の混乱を察したのか


「なんだよ、お偉いさん方に教わんなかったのか。アメリカだってちゃんと批准国だろ」

「いや、分かるわよ」


 ――アンダート条約、第九条。特殊災害の発生した現場において、国家の軍隊、警察など武力、行政執行力を持つ組織の指揮権限は、現場に臨場したアンダート職員に委譲されることを規定している。


「了解しました。ソフィア・オドネル少尉、貴殿の指揮に従い、この検問に展開する部隊の指揮権を委譲します」


 私は一歩下がり、皆に聞こえるように権限の委譲を宣言した。


「まぁとりあえず、後ろ下がってろ。人が来ても俺等より前には出すな」


 少女が両の手を上にして胸の前で合わせた。ひらりと身にまとう布が揺れると、その手の上に火が現れた。


(……一体どこから)


 火はゆらゆらと燃えていたのが渦を巻くようにして球体へと変わり、ヒュっと宙に飛び出していった。そして、渦巻く風に向かっていく。――まるで何かにぶつかったように火の玉が弾けた。

 追撃するように、もう一弾。

 風の勢いが弱くなったのか、巻き上げている砂の量が減っている。


「……何がどうなってるのよ」


 少女が両手を前に突き出した。

 ちょうど、渦巻く風が炎を巻き上げ始めた。人の身長くらいの炎の渦だ。ゴオオと音を立てて火の粉を散らしている。


 ――そして、霧散するように炎は消え、風も突然止んだ。巻き上げていた塵が、ぱらぱらと地面に落ちていった。


「鎮圧完了です」

「ほい、お疲れさん。状況終了だ。通常体制に戻ってくれ、少尉殿」


 右手をヒラヒラさせるように示して、その男はぶん取った指揮権をあっさりと返却してきた。


「ねえ、一体何がどうなってるのよ。説明してくれない?」


 分からないことがいくつも重なった私は、とにかく言語化された説明を欲した。腰に手を当てて、その男はニカッと笑った。


「はは! わりいな。規則で教えてやれねえんだわ」


 笑った口元を少し引き締めた。


「でも、これが現実だ。世の中そう単純じゃないのよ」


 まただ。かつての父の言葉と同じその言葉だ。呪いのように最近の私の頭の中に響き続けるその言葉が、私の心臓にグッと握りつぶすような圧力をかけた。――反射的な防衛本能が、私の底から声を引きずり出した。


「ああ、もう! 何よ! どいつもこいつも、私を何も知らない子供扱いするわけ?!」


 つい、感情的になって声を荒げてしまった自分に、ハッとした。周りの兵士の視線が、私に集中していた。


「……ごめんなさい。ちょっと取り乱したわ」


 男は少し目を細めて、心配したような顔を見せた。少し間合いを私に詰めて、ギリギリ周囲に聞こえないくらいの声量で、ぼそりと話を続けてきた。


「姉さん、なんか……今の仕事、迷ってやってない? 現実見せつけられて、持ってた理想がガラガラと崩れ去って、まさに身の振り方に悩んでるみたいな」

「いきなり何よ。別に……」


 つい、目をそらした。


「ははん。図星か……」


 その言葉で反射的に視線を戻した。男は口元に手を当てて、少し考えるような仕草を見せていた。


「……そういうヤツのほうが信用できる。俺の下で働かない? 本当の世界の問題ってヤツを見せてやるよ」

「何言ってるの? 訳が分からないんだけど」

「まぁ、その時がきたら、よろしく振舞ってくれや。……じゃ、俺らはもう行くわ! 邪魔したな」


 そういって、調査官を名乗った男は片手を上げて別れの挨拶をすると、少女がぺこりと一礼をして、男の後をパタパタと駆けてついていった。


 ――その奇妙な出来事から一週間後に、異動辞令が出た。

 国連災害疾病対応タスクフォースUN-DERTへの出向。

 私は、大急ぎで荷物をまとめ、小隊指揮の仕事を後任の少尉に慌ただしく済ませ、訳も分からないまま祖国へ帰還した。


 ――あの男と、少女に、ニューヨークにあるアンダートのオフィスで出迎えられた。


「よう、姉さん。よく来てくれた。歓迎するよ」

「いらっしゃい、あの時の兵士さん」


 男はニヤニヤと笑っていて、掴みどころのない印象を再び私に焼き付けた。少女の方は、おそらくティーンエイジにはなっているだろうが、年不相応に落ち着き払っている。


「ねえ、何がどうなってるわけ? この異動、あなたの仕業なの?」


 私の開口一番の質問に、男はニカッと笑った。


「ようこそ、アンダート……改め、理力情報監察統合局FIONAへ。今度はちゃんと教えてやるよ。世界の『本当の問題』ってやつを」


 ——あの出来事は、もう七年も前のことになる。


「大丈夫か? 与作、立てるか?」


 地に腰を下ろしている与作に、エリアスが手を伸ばした。荒れ狂う炎は見る影もなく、時子が呼び出して炎に浴びせた水が蒸気となって、あたりに白いもやを作っているようだった。


「……ああ、心臓が破れるかと思ったぜ」

「こんなギリギリの悪霊払いは私も初めてだったよ」


 エリアスの手を借りて立ち上がる与作の横で、ミリナが大地に突き立てた槍に寄りかかるようにして笑っている。


 ――見える者たち、理術士の手によって、今回の理素暴走も鎮圧された。


 久作先生があの時言っていた「本当の問題」、それはまさしくこの理素暴走から来る災害のことだった。理力のない私には、変わらずその「姿」は視えない。……しかし、「現実がそう単純じゃない」ということは、おかげで今ははっきりと見えている。


「少し進んで、この先で休憩しよう」


 ウルマンの号令で、皆が歩きだした。


「どうしたの? ソフィア」


 時子が振り返って立ち止まり、私の方を振り返った。その声で私はどうやら、ふいに昔のこと思い出して、ぼうっとしていたことに気が付いた。


「……いや、なんでもないわ。」


 ――アンダート、もといフィオナへの出向中に、軍の契約は満期になった。そこで軍からは除隊して、今度はアンダートと正規雇用契約を結んだ。あの派兵から後は、ずっと世間の影で、現実の裏にある問題の対処に奔走し続けている。そして、今に至っている。


「まぁ、同じ体を張る仕事でも……兵士やってた時より、今の方が迷わないわね」


 この世界の視えざる姿を知る理術士たちの背中を追って、私もまた歩き出した。

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