第32話:大地の声、そして告白

 ――夜明け前。


 あたりは暗く、ウルルに続く道は、まだ夜の闇の中にあった。先導のアナング族の若い男、そして、ウルマンが松明を持ち、与作たちを導いた。


 最初来た時には横目で見送っていた、「立ち入り禁止」の看板が現れ、先導の若い男は当然のようにその横を通り抜けた。皆がそのあとを続いた。


「私の案内はここまでです。急な斜面だ。足元には十分気をつけて」


 先導するアナング族が立ち止まった。松明に照らされた地面は、傾斜をつけ始めている。赤土色の岩肌が足元から上に伸びていくように視野に映った。


「案内感謝する。族長にもよろしく伝えてほしい」


 ウルマンが礼を述べ、歩みを進めた。ウルマンの後ろをミリナが歩き、時子、与作、そしてエリアスがその後に続き、最後尾をソフィアが歩いた。


 ウルルの登山道は暗がりの中にあって先がよく見えない。ウルマンが持つ松明の光、そしてソフィアが用意した支給品のヘッドライトの明かりを頼りに、足元を見る。実際はそんなことはないはずだったが、体感では垂直に近い壁を登ろうとしている。そんな錯覚を与作は覚えた。

 一歩ずつ、前に出したしっかりと足を置けることを確認したら、ゆっくりと重心を移す。ただ一歩進むだけなのに神経を使う。


 ――ふいに、出した足が急に深く沈み込むような段階がやって来た。


 与作は少しバランス崩しかけて、「おっと」と声を漏らして持ちこたえた。


「着いたぞ。ここがウルルの頂だ」


 ウルマンが旅の終点にたどり着いたことを告げた。


 遠くの空が白み始めている。広大な原野はまだ、黒い影の中にあった。

 ヤクチャラ族の集落を出て以来、毎日同じリズムで旅の日々は始まっていた。今日もまた、自分たちはずいぶんと早起きをしているものだと、与作はまだ眠ったままの世界を前にして思った。

 登山道の終わりから少し進み、ウルルの中央に位置するところをミリナが位置取った。


「じゃ、始めようか」


 ミリナが槍を両手に目の前に石突をトンと下ろした。松明の明かりがミリナの顔に施された白い塗料の紋様を照らした。

 太陽がやってくる東の方角を見据え、ミリナはすっと目を閉じた。静かな世界の中で、すうっと彼女の息を吸う音だけが聞こえた。

 そして、夜空に吸い込まれるように歌が響き始めた。


 

 ――呼応するように黄色い光の粒が現れるのを与作は見た。

 与作が「おい、あれ」と言って指で指し示すと、エリアスと時子は首を縦に振り、ソフィアは首を横に振った。

 徐々に光の粒の量は増して、ミリナの目の前であたかも惑星とそれを取り巻く無数の衛星のような並びを取り始めた。


 静かにミリナが歌を終えると、再び静寂があたりを包んだ。

 正面の空は太陽の気配をにじませた橙色が強くなっていた。


「祖霊が歌に応えたぞ」


 ウルマンが光の集まりを見て静かに言った。


「……その光、何か喋ってる」


 全員が時子を見た。当の本人としてはただ事実を述べただけだった。他の人間のリアクションが意外だったようで、きょとんとした表情を見せた。


「……俺、聞こえないんだけど」

「僕もだ」


 与作、そしてエリアスが同調するように訴えた。


「ちょっと待って」


 時子が光に掌を向けるように手を伸ばした。長い髪がふわりと立ち上がった。

 光の粒が時子を囲うように現れた。その粒が、目の前の光の集まりの一点に吸い込まれるように凝集し始める。


 ――光が密集し、どんどんその輝きが強くなっていく。

 与作とエリアスは理素暴走とはまた違う感じで理素が集まっていくのを感じていた。


「なにこれ……、すごく変な感じ」


 ソフィアは見える訳では無いが、体がビリビリするような感覚を覚えて、その場にしゃがみこんだ。


 そして、光の集まりはいよいよ飽和を迎えたかのようで――まばゆい光が放たれた……与作はそんな感覚を覚えた。


 ――カンガルー、エミュ、トカゲ……そして人間、多くの生物がぼんやりとした輪郭を形どって宙を泳ぐように漂っていた。


「「すごい」」


 与作とミリナの声が重なった。エリアスも呆気にとられるように、その魂の数々を仰ぎ見ていた。


 人間の姿をした光、一人の女性が与作たちの目の前に降りてきた。右足を前に、そして左足をその後ろに並べるように。両手を左右に優雅に広げ、おおらかで悠然とした雰囲気を、見るものに印象付けた。


『わが子孫達、そして異国の子らよ、よくぞここへたどり着いた』


 声が聞こえているが、その女性が口を動かして言葉を発しているわけではなかった。


「……この声、もしかして理素魔像の視覚感応みたいに、声が聞こえてるんじゃなくて――直接感じてるのか」

 エリアスは、自分に言い聞かせるように言葉を発した。

 女性は少し浮いたように、ミリナの前に留まった。


「女の人がひとり来たんだけど」

「ああ、僕もそう見える」


 与作とエリアスは顔を見合わせた。これまで見てきた理素魔像はことごとく違うものを見ていたので、ここに来て同じものが見えているというのが不思議だった。


「私にも見える。多分、理素の方が意識的に、あの形をとってる」

 

 時子が一言だけ口を挟んだ。

 ウルマンもまた呆気にとられていて、少し口を開いた表情をしていた。しかし、ハッと我に返り、気を引き締めると、普段通りの冷静な面持ちを取り戻した。


「偉大なる祖霊よ、我らの祈りを受け入れてくれて感謝する」


 女性は穏やかな表情を見せ頷いた。


『歌の巫女よ、お前の歌は確かに大地に届いた』

「あ……ありがとう」


 困惑しつつミリナが言った。


『そして、異国の子らよ。なにゆえ大地の声を聞きに来た』


 女性と与作の目が合った。決して威圧するような素振りは見られない。しかし、圧倒的な迫力を、視線を合わせた途端に受け取った。少なくとも、普通の人間と対峙している感覚とは、まるで異なっていた。

 与作は、一度だけ深呼吸をして、努めて平静な調子を保つことを心掛けた。


「祈りを捧げに来た。理由は分からねえが、そうする必要があったらしい」


 与作は目を逸らさず、女性に言葉を返した。

 すると、女性は、その与作の視線を真っ向から受け止めるかのように、じっと見つめ返した。そして、与作がごくりと唾を飲み込んだところで、少し口元を緩め、静かに頷いた。


『……祈りとは信じ、差し出すことだ。分からずとも進む者には、道が開かれる。今はそれで良い』


 女性は、次に時子を見た。――おや、と呟いた。時子もまた、女性の意識が自分自身に向いたことに気付いた。


『お前は……すべての始まりの祖霊――虹蛇なのか?』


 与作には、言葉の意味自体は分かるが、意図の分からない内容だった。なんとなく腕を組み、首を傾げた。一方で、時子は目の前の存在の質問に表情を変えず、いつも通りに平静とした様子だった。


「……違います、それ自身ではありません。でも……その一部なんだと思います」


 与作が時子が返した言葉を不思議に思い、彼女の顔を見た。時子は与作の視線に気づくと口元に手を当てて、目線を落とした。……少し何かを考えているような印象を受けた。ただ、次の瞬間には、口元から手は離れ、目線は再び、女性の方へ向かった。


「『人類を見定める者』としての役目を与えられました。その意図は分からず、意味を探しています。この旅に答えがある予感がしたのです」


 時子の言葉を受けて、女性はただゆっくりと頷いた。


『なるほど。お前もまた試される存在か』


 エリアス、そして、ウルマンとミリナにとっても、その問答は異様なものに思われ、全員が時子に意識を向けざるを得なかった。


『異国の子たち、そして我が子孫たちよ。この世界は大きな困難を前にしている』


 その呼びかけに全員が女性の方を向いた。


「その困難ってのは、一体何なんだ?」


 腕を組んでいた与作が、その腕を解いて、女性に問いを投げかけた。


『全ての精霊が己を忘れ、大地に災いをもたらし、万物が無に帰る。その兆しはもう始まっている』

「……それは、理素暴走のことか」


 エリアスが考え込むように、言葉をひねり出した


「悪霊って、そういえば、増えていってるんだよねぇ」


 ミリナがぼやくように言葉を発した。

 女性は、それぞれが自分なりに言葉の意味を理解したのを感じ取ったのか、さらに言葉を続けた。


『精霊と人は隣り合っている。精霊の理を無視すれば、精霊の秩序は綻びをもたらし、人を、そして世界を飲み込むだろう』


「それって、どう対策したらいいんだ? 起きたものをモグラ叩きのように対処してもきりがねえぜ」


 与作は頭をかしげるが、女性は目を閉じて、首を横に振るような仕草を見せた


『それの答え、そして、どうあるべきか。お前たちの手で見定めるのだ』


 女性が時子を見た。そして、すうっと、ミリナの前から浮遊して時子の目の前までやって来た。――掌を上にして、その手を差し出した。


『我らの、大地の力を貸そう。虹蛇の化身たるお前ならば使えるはずだ』


 時子は、一瞬の間を作ったが、応じるようにその手を取った。


 すると、宙を漂っていた人間や動物の祖霊たちが黄色い光の粒になり、時子の周りに集まってきた。そして、目の前の女性の霊もまた、ほどけるように光の粒になり、漂う光に混ざった。


『――地の声に耳を傾けよ。旅路に祝福を』


 女性の声とともに、光が一瞬のうちにワッと動き出し、時子の体に飛び込んでいく。そして、時子に吸収されたかのように消えていった。


「あ、なんか身体が楽になってきた。なんか一段落した感じかしら」


 その一言にはっと気づいたエリアスが、しゃがみこんでいたソフィアに駆け寄った。


「すまない、いきなりの事で驚いて、気づけていなかったよ」

「大丈夫よ。ありがとう」


 エリアスが手を差し出すと、ソフィアはその手を取って立ち上がった。


「なあ、時子。お前も大丈夫か?」


 与作は時子の肩に手をポンと置いて、調子を伺った。時子は腰をひねるようにして背中の方を見てみたり、首より下の体を見たりしたが、特段変わったところもなかった。


「平気。ちょっと驚いたけど」


 平静とした表情で与作に答えた。


「虹蛇とか、その一部と聞こえたけど、何だったんだい?」

「虹蛇って……私たちの世界を作った、始まりの精霊の事だよ」


 エリアスとミリナそしてウルマンの視線が時子に向かった。


「んじゃあ、時子は天地創造の主の一部だっていうのか?」


 与作の視線もまた時子に向いた。


「私一人、置いてけぼりなんだけど、どういうこと?」


 状況を掴みたいソフィアの視線もまた、時子に向いた。

 全員の視線が時子に集まった。

 時子は、全員が自分の言葉を待っていると理解した。


「……先に進む以上はみんなに、話しておくべきだよね」


 時子は目を閉じた。胸に手を当て、息を吸って、吐いた。そして、ゆっくり目を開くと――ソフィアと目を合わせた。


「……ソフィア、あなたにも秘密にしてたことがある。軍閥派はもちろん、フィオナの誰にも知られるべきじゃなくて、久作先生がずっと隠し続けてきた。……だから、私達だけの秘密にして」


 そっと風が吹いた。時子の髪が揺れた。


「……私、十年前に突然創られたの。その……多分、この地で言う虹蛇――この惑星の意志とでも言うべき、大きな何かに」


 地平線から日の光が差した。与作には、その登りたての朝日の逆光で時子の姿が暗く見え、オレンジと青のグラデーションの帯の上に、黒い人の形をしたシルエットが重なっているように見えた。

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