怪談嫌いの先輩女子と人喰い妖狐の謎解き

陽馬

妖狐とミステリの狼煙

この村には人喰い妖狐が棲んでいる。妖狐、とは村の古い言い伝えだ。大人たちは、悪さをした子供がいると必ず妖狐の話をする。そのこともあって、子供の頃からずっと妖狐は身近な存在だった。だけど、高校生になった今なら分かる。妖狐なんて、きっと迷信だ。夜遊びする子供を戒める為の方便だ。この令和の時代に妖狐なんているはずがない。――そう信じていた。あの時までは……


僕たちの住む村、照日村(てるびむら)は、四方を山に囲まれたのどかな農村だ。村の北部には住宅街があり、隣接した照日商店街はいつも賑わっている。僕が通う高校はそこから二キロmほど離れた山のてっぺんにある。 その日も普段と何ら変わりない放課後だった。雑草だらけの砂利道を歩いていると、背中にバコン、と重い衝撃を感じる。反動で胴体が押し出され、頭が大きく揺れる。何事かと思って振り返ると、制服姿の少女が笑いながら立っていた。


「久しぶり、磨月(まつき)君」


少女はふわふわしたロングヘアーで、ピンクの手提げカバンをぶら下げている。どうやらこれで殴られたらしい。


「むち打ちになったらどうするんですか、先輩」


「私を置いて勝手に帰るからだよ」


飄々とした態度で、悪びれる気など微塵もない。理不尽である。先輩こと宝須(たからす)先輩はいつもこの調子だった。僕がしかめっ面をしているにも関わらず、先輩は声を弾ませて喋り出す。


「いや〜先週は凄かったね、記録的大雨だってさ」


「学校が休みになるくらいですもんね」


「磨月君の家は大丈夫?倒壊とかしてない?」


「そこまでで強くはなかったですよ」


「ふふ、そうだね」


先輩はそう言ながら、両手で手提げカバンを持って前後に揺らしている。先輩はちょっぴり独特で、変な人だった。……変?


「あ、そうだ先輩。そういえば今朝、掲示板で変なポスターを見たんですよ」


「変なポスター?」


先輩が興味深そうに身を乗り出し、制服の赤いリボンが微かに揺れた。


「そうそう、あれですよ」


僕は古ぼけた掲示板を指さした。近づいて確認してみる。


「掲示板?別に妙なところは無さそうだけど?」


先輩はわざとらしく覗き込み、怪訝そうな顔をした。


「違いますよ、これ、よく見てください」


僕は掲示されたポスターを指さす。


「なになに、二〇二五年 照日稲祭り開催 おモチ食べ放題」


「それじゃないですって、これですよ」


今度は件のポスターと指をくっつけて示す。しかし、先輩はなぜかその上に貼られていた別のポスターを読んだ。


「はいはい、迷い犬探してます、ゴールデンレトリバーのタロ君 ボール遊びが好き」


「わざとやってます?」


「分かった、分かった、読めばいいんだろ、もう」


ポスターにはこう書かれていた。


狐火に注意

照日村で狐火の目撃情報が多数寄せられています。

最初に目撃したのはTさんという農家の男性でした。以下はTさんの証言です。『俺はその日、晩メシにでもしようかと照日山にキノコ狩りに行ったんだよ、南山道から入って、時間は確か6時半くらいだったかな、入った時は明るかったんだがもう暗くなっててよ、それでもっと早くこれば良かったなって後悔してたくらいにな、見たんだよ、ちょうど杉の大樹がある道の向こうによ、真っ赤な狐火がヒュンと通り過ぎるのをよ、しかもちょうどその辺で、獣の足音が聞こえたんだよ、俺はたまげてな、妖狐が、人喰い妖狐が俺を食おうと忍び寄ってきてると気づいてな、そこからは必死だったよ、何とか山を降りて家に帰れたけど、あれは間違いなく本物の妖狐だったよ』


他の皆様の証言も加えた情報を添付しておきます。くれぐれもご注意を


場所 照日山 中腹辺り(特に杉の大樹の周り)

時間 十八時〜十九時(全員の証言が一致している)


先輩はポスターを読み終わるとゆっくりと顔を上げた。これで先輩にもこのポスターの異常性が伝わるはずだ。


「くだらない、ものすごくくだらない」


まるで幼児向け番組に対する擦れた中学生の感想のようだったた。そういえば、先輩は大の怪談嫌いだった。「論理で説明できないのがイヤ!」とこぼしていたことがあったっけ。


「でも、妖狐に目撃情報が出たんですよ?」


「こんなくだらないもの読みたくなかったんだよ、最初から」


僕だって最初はそう思った。説教に現実味を出すために誰かがでっち上げた物ではないかと疑った。だけど、たかがそれだけの為に、嘘の注意喚起まで作ったりするだろうか。もしかしたら狐火は本当に存在するのかもしれない。


「先輩、でも」


反論しようとすると顔の前に手の平が突き出される。僕は強制的に黙らされた。


「第一ね、狐火なんてものは全部、人の錯覚なんだ。その原因は、大きく分けて三つかな」


先輩は薬指と親指を折り曲げて三の形を作った。


「聞きましょうか」


「一つは酔っ払いを初めとする、うっかりした人の勘違いだ、蛍と間違えたケースだってたくさんあるんだよ」


先輩はやたら饒舌に話を畳み掛ける。喋れば喋るほど自信に満ち溢れていくようだ。


「二つ目は『リン』だね、理科で習っただろう?リンという元素は酸素と反応して自然発火する」


「三つ目はなんなんです?」


「野生動物の、目だ」


僕の目を指さす。僕は思わずのけ反る。


「一部の動物は、光に反応して目が赤く光るんだよ。狐の足音を聞いたって証言も、その動物の足音と間違えたんじゃないかな」


ここまで言い終わると、先輩はどうだと言わんばかりの得意顔を浮かべた。確かにある程度の筋は通っている。


「先輩、でもおかしい部分がありますよ」


僕がそう言うと先輩は不思議そうな顔をした。順番に指摘していくのがよさそうだ。


「一つ目の酔っ払いですけど、Tさんは酔っ払ってなかったじゃないですか。しかも、他の人も目撃している。皆が酒気帯びで登山したっていうのもおかしな話ですよね」


僕は先輩の目を見ながら淡々と続ける。


「二つ目のリンでは確かにありうる、でもTさんの証言では、狐火は『ヒュンと通り過ぎた』んでしたよね?自然発火したリンが、そんな速いスピードで動くでしょうか」





「三つ目もおかしい。動物の目が光るのはライトに照らされた時だけ。つまりTさんが、素早く動いてる動物に向けてライトを照らし続けないといけないことになる。普通そんなことをしたら気づきますよね?」


先輩はばつが悪そうな表情をする。先輩の肩はふた周りほど小さくなっていた。


「それともうひとつ」


それでも僕は容赦なく続ける。


「目撃情報が六時〜七時に集中している、同じ時間に、同じ場所で、大勢の人が狐火を見ている。これは偶然じゃ済まされませんよね、どうですか?」


「う、うるさい、それでも狐火なんて私は信じないんだ!」


明らかな虚勢を張った。もうさっきまでの得意顔は見る影もない。


「もう認めましょうよ、先輩」


「うるさいうるさい」


先輩が両手で耳を塞いでみせた。しばらくそうしていたと思ったら、急に素っ頓狂な声を上げた。


「ああっ、そうだ。今日、その山に行こう!」


「はい?」


「それで、狐火の正体を暴いてやる。もし見つかったらお饅頭奢りだからね」


先輩は鼻息を荒くしてそう言った。山に、行くと言ったのか。しかも今日?


「え、え?人喰いですよ?本気ですか?」


常人の発想とは思えない。先輩は大の怪談嫌いで、大負けず嫌いでもあった。


「うるさい。行くって言ったら、行くから。絶対に!」


駄々っ子のように体を揺らし、ロングヘアーがあっちに行ったりこっちに行ったりする。


「ちょっと待ってくださいよ。危ないですって」


「私一人で行くから。磨月君は来なくてもいいよ」


今から向かうと山は真っ暗だろう。女子高生が一人登山するなんてあまりに無謀だ。


「もう、僕も行きますよ。先輩だけじゃ心配です」


僕だって人喰い妖狐は怖い。膝が震えるし、鳥肌が立つ。そんな中での苦渋の決断だった。


「あー、そう、別に来なくてもいいのに」


先輩は少し嬉しそうに見えた。


登山のことも考えて五時三十分、僕たちは照日山の麓に集合した。真っ黒な木々が不気味に蠢き、コオロギや鈴虫の合唱が響いている。夏に似つかわしくない蒸し暑い空気が辺りに満ちていた。


「お待たせ〜」


先輩はなぜかワンピース姿に小さいカバンを持って現れた。


「なんですかその格好」


「そっちこそ何その格好」


「僕のは普通ですよ、長袖長ズボン、登山の基本ですよ」


「私はこっちの方が動きやすい」


そう言うと先輩は僕を置いて山道をスイスイと登っていった。


「あっ、ちょっと、待ってください!」


先輩の背中を必死に追いかけたが、そのうち見失ってしまった。幸い山は一本道なので迷うことは無いが、辺りが段々暗くなってきており、それに不安を煽られる。


「ここだよね、大樹の道」


上から声が響いてきた。先輩に追いつくと、「おつかれ」と余裕そうに笑った。先輩は息切れひとしていない。僕たちが立っている大樹の道は細い。周りは茂みに囲まれており、五重塔を思わせるような荘厳な風格の杉がそびえ立っている。


「あ、そういえば」


先輩がゆっくりと僕を振り返る。


僕は「なんです?」と見上げる姿勢で応答する。


「分かっちゃったんだよね、狐火の正体」


先輩がそう言い終わると同時だった。杉の真横にある茂みが鋭く光った。ガサガサと草木をかき分ける音がしたと思うと、何かが飛び出した。それはおどろおどろしく真っ赤に光っている。


「うわああああ。狐火だ」


全身が危険信号を発している。心臓が鳴り止まず今にも弾けそうだ。


「先輩。逃げましょうよぉ!人喰い妖狐ですよ?」


先輩の手を必死に引く、それでも先輩は微動だにせず狐火をじっと見つめている。とうとう狐火との距離が縮まる。と同時に足音が近づいてきているのも感じる。人喰い妖狐だ。もうダメだ。二人仲良く喰い殺されてしまう。


「磨月君、手を離して」


先輩が落ち着き払った声でそう言った。


「でも!」


「いいから」


諭すように言われたが、僕は納得できないまま、言われたとおりに手を離す。すると、先輩がカバンから何かを取り出し、狐火に向かって投げた。空中で曲線を描き狐火の方へぐんぐん近づいていく。そして、なんと狐火はすごい速さででこちらへ向かってきた。僕は恐ろしさのあまり目を閉じてかがみこんでしまった。


「磨月君、大丈夫だよ」


先輩の声が聞こえる。


「目を開けて」


先輩に促され、目を開けると先輩が狐火を抱えていた。


「うわぁぁぁぁぁ」


僕は取り乱して、後ろに転んで尻もちをついた。


「よく見なさい、ほら」


そう言われ、恐る恐る近づいてみる。抱かれていたのはボールを咥えた犬だった。しかも首元が赤く光っている。


「ゴールデンレトリバーのタロちゃん、こんなところに迷い込んでいたんだね」


掲示板で探されていた。迷い犬、タロちゃんがそこにいた。


「でも、なんで光ってるんですか?」


「それは簡単だよ、ペットライトだよ、ほら散歩用に付ける」


先輩が犬の首元を触り、明かりを消した。


「ほらね」


辺りがふっと暗くなって、連動するように体の力が抜けていった。


「でもやっぱり不思議ですよ、先輩」


山道を降りながら先輩に話しかける。


「何が?」


「なんで狐火の正体が犬だってわかったんですか?」


「うーん、順番にいこうか」


「まず狐火が目撃される時に、動物の足音がしたという証言に着目して、三つ目の仮説、狐火は動物説を検討した。光と動物は別々じやまなくて、同じ原因だったんだよ。それなら説明がつく」


「じゃあなぜ六時〜七時しか目撃されなかったんですか?」


「順番に話すから、慌てないでよ。私も足音の問題に気づいてから時間について考えた。なぜその限定された時間しか目撃されなかったのか?その時間帯以外は隠れてしまうのか?その動物は光ったり光らなかったりするのか?まるで電源をつけたり消したりするみたいに、ってね」


「もったいぶらずに教えてくださいよ」


「もう答えを言ったよ、ほらこれだよ」


先輩はタロ君からペットライトを外しこちらに見せる


「このペットライトは太陽光発電式の最新モデルなんだよ、分かりにくいから順番にするとこういうことだろうね。まず、タロ君が散歩中、ペットライトを付けたまま逃走する。ライトは昼間になると充電されて、暗くなった頃に自動で点灯する。その後二時間だけ点灯してから充電が切れる。また充電される。の繰り返し」


「あぁ、なるほど、つまりペットライトが自動で着いたり消えたりしてたんですね」


「そういうこと」


「でもまだおかしいことがありますよ、なんでタロ君は自分で家に帰らなかったんですか?」


「それは、あれだろうね、Tさんの証言をを思い出すと、山に南山道から入ったって言っていたんだよね」


「それがどうかしたんですか?」


「住宅街は北なのになんで北山道から入らなかったんだろうって思わない?」


「あれ、言われてみれば」


「つまり、入らなかったんじゃなくて、入れなかったんだよ。北口は先週の大雨で土砂崩れが起きて通れなかったんだ。タロ君が北山道から山に迷い込んだ時、運悪く大雨が降って北山道が塞がったからだね。そして道に迷って帰れなくなったんだよ、だから山の中腹辺りをウロウロしてたんだろうね」


先輩はタロ君の頭を慰めるように撫でた。


後日、僕は約束通り先輩に饅頭を奢った。先輩は遠慮なく、口いっぱいに饅頭を頬張っている


「そういえば、昨日の件で気になることがあるんですけど」


茶席に座っている僕が話を切り出す。


「まだ何かある?」


「タロ君はどうやって山の中で大雨を凌いだんですか?」


僕がそう問うと先輩は黙り込んでしまった。が、やがて口を開いた。


「案外、妖狐は悪いヤツじゃなくて、逆にタロ君を雨から守ってくれていたのかもね」


先輩はそう言って、はにかんだように笑った。それが誤魔化しからなのか本心からなのか分からない。ただ、狐につままれたような気分になった。

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