第21話 じゃない方アイドルの心

 バイト終わり、また先輩に飲みに誘われる。嫌なことを嫌と、正直に言うことは難しかったが、最近はしっかり言えるようになった。ぶすっとした顔をされるが、むしろそれを見たいがために断っている。


 完全に陽が沈み、街灯が上手く道を照らしている。中途半端な寒さが襲って、ライブで味わったあの熱狂が恋しくなった。西野奈々未の卒業コンサートまでまだまだ日はあるが、そもそもそれに参戦できるとは決まっていない。あのときは、裏の力があったから簡単に行けたが、普段のライブとなれば倍率は非常に高い。特に超人気メンバーの西野奈々未の卒業コンサートとなれば、たぶん倍率はもっと高くなるだろう。


 物思いにふけていると、懐かしい公園を目にした。あれ以来、バイトの帰り道を変えたから見ることは無かったのだが、無意識で歩いてしまうと、こうなってしまう。乏しく光る街灯につられるように公園に入った。


 あのベンチに座ると、初めて会った日のことを思い出す、とか言いたいが、酩酊していたからよく覚えていない。


 ふと夜空を見上げると、各々好きなように星たちが光っている。昔なら、こじんまりと光っているような星に憧れていたが、今はどの星も個性があって素晴らしいと思える。そう思えたのは、流渓橋37の色んな歌詞を聞いたからだと思う。


 ずっと空を見ていると首が痛くなり、一度項垂れた。こうしていると周りが見えなくて落ち着くのだが、今はただのリラックスになった。


 すると遠くから、カツ、カツ、という足音が聞こえてくる。仕事帰りのOLが公園に来たのか通り過ぎたのか、そんなところだろう。


「また酔っぱらってるんですか?」


 変な人に絡まれた……、ん? とても懐かしい優しげな声だ。淡々とした声が背骨に沁みてじわじわと鳥肌が立ってくる。


 九割、いや十割、いや二十割その人だと、確信を持ってその声を主を見上げた。


 少し髪が伸びて肩を撫でるような髪以外、何も変わっていない。


「ご自分の家は分かりますか?」


 何一つ心配していないような顔で、でも温かい目で、口角を上げてこっちを見ている。


 一か月くらいしか経っていないし、画面越しにその顔は何度も見ていた。でも、実際に生で見ると、何故か視界がぼやけてくる。


 もう、二度とあんな風に会えないと思っていたから。


「そんな顔しないでくださいよ、もらっちゃいます」


 今すぐに抱きしめて、その存在を確かめたかった。でも、二度とあんな過ちを犯してはいけないから、自分の両手を強く握りしめた。


「掛橋さん、お久しぶりですね。私のこと、覚えてますか?」


 忘れるわけなかった。あれからずっと、麻衣のファンとして生きていたから。死から遠ざけてくれて、生きる意味を与えてくれた恩人だから。


「当たり前だ……。幻でも見てるみたいだ」


「幻じゃないですよ、ほら」


 麻衣はハンカチを取り出して俺の隣に座り、俺の目の周りをポンポンと拭いてくれた。確かに、優しい感触があって桜のような匂いがする。絶対に幻なわけがない、麻衣だ。また会えるなんて奇跡みたいだ。


 でもどうして麻衣がここにいるんだろう。引っ越したはずだから、この辺りに住んでいるわけがない。


「なんでここに?」


 麻衣は持っていたハンカチをしまうと、ベンチの背もたれにもたれる。


「実は、引っ越してなんていないんですよね」


「……は? 嘘だろ?」


 あまりの衝撃の事実に心臓が大きく跳ねあがった。


「嘘じゃないですよ。ドラマの撮影で、どうしても地方に行かなきゃいけなくて。だから、住んではないですけど、引っ越してはないんです」


 理解するには情報が足りず、詳細を求めた。


「あの件から数日間は、しばらく優里の家に泊まってました。だって引っ越したって言ったのにあそこに住んでたらおかしいじゃないですか」


 確かにそうだな、と思った。


「それでドラマの件は無かったことにされると思ったら、私が良い、と監督さんが言ったみたいなので、そのまま地方の方へ飛んで行って、今日帰宅って感じです。懐かしい帰り道を歩いてたら、懐かしい人がいて、今に至るって感じです。分かりました?」


「しっかり理解したよ。でもいいのか?」


「何がですか?」


「結局は、あの家に戻らなきゃいけないんだろ?」


「そうなんですよね、それでまた記事になったら面倒くさいんですよ。だからまた優里の家に居候して、しばらくしたら家を探そうと思います」


「俺のせいで、申し訳ないな」


「いえいえ。むしろ掛橋さんは私のアイドル活動を助けてくれた恩人ですから、あの日のことは心から感謝してます」


 今思えば、あんなにレールからはみ出たような行動をとったなんて信じられない。吉川優里の無茶ぶりもあったが、最終的に画面の前で話したのは、俺の意思だった。


「あのおかげで、アンチコメントが少し減りましたよ。誹謗中傷で体調を崩した葵ももうすぐ復帰するみたいなので、掛橋さんの力は大きいです。他のメンバーも、アンチコメントが減って嬉しいって、あの人に〝ありがとう〟って伝えてくれって何度も言われました。だから今言いますね。ありがとうございます」


 麻衣は頭を下げ、再び顔を上げたとき、以前の麻衣には似合わない言葉が浮かぶが、希望に満ち溢れたような顔をする今の麻衣には、ピッタリな気がする。


「あと、これは私から絶対に言いたいことがあります。弟さんの件、本当にすみませんでした」


「まぁ、どっちも当事者じゃないからさ、ここで何かしても変わらないよ。それに知ったよ、週刊誌で。事業失敗して色々追い詰められてたって」


「そういえば報道されてましたね。あれは別に許される理由じゃないです」


「確かにそうだが、見えていない部分が多かった。その理由を聞けば、そこまで強く恨んでいなかったかもしれない。まぁ、結果論だけどさ」


 謝罪の意が表情にきちんと現れていて、本当に素直な人だと思う。もう恨みなんて抱いていない。


「じーっと私の顔見てますけど、やっぱり許されませんか?」


「もう何も関係ないよ」ただ、綺麗な顔だな、って思っただけ。


「……そうですか。掛橋さんはこれからどうするんですか?」


「特にやることもないから、このまま星でも眺めてるよ」


「じゃあ私も見てます」


「ダメだよ、また撮られたら面倒くさいだろ? 早く帰りな」


「言い訳ができないのが悔しいですね。じゃあ、純粋な私の想いを聞いてくれませんか?」


 何を言い出すんだろう、と少し怖い。もし俺と同じことを想っていたら、と考えると、聞きたくもないような気がする。


 答えに悩んでいると、「勝手に言いますね」と麻衣が言った。止めようにも、暴走機関車のように止まらなかった。でも、その言葉をすぐに理解することはできなかった。俺の想いと一致しているようには思えない。


 麻衣は立ち上がり、公園の入口に向かって走って行った。そのまま帰ってしまうのだと思ったら、ピョンと跳ねて、振り返った。


「掛橋さん、西野奈々未の卒業コンサート、絶対に来てくださいね!」


 秋に差し掛かろうとする季節だが、満開の桜が咲いたような、かわいらしい笑顔を見せてくれた。ますます虜になってしまいそうだ。


「あぁ、絶対にチケットゲットしてやる!」


 俺は麻衣に向かって拳を差し出した。麻衣も同じポーズをとって、燦然と輝く笑顔を見せて、姿を消した。


 週刊誌の目なんて気にしないで会える日があればいいな、と思う。でもそれは、ないものねだりなのかもしれない。分かっていても、そんな現実が来てほしいと思ってしまう。人間の性なのかもしれない。


 満天の星空をもう一度見上げた。それを見ながら、麻衣の言葉を思い出した。


――アイドル卒業したら、また隣に住みますね。


 どういう意味なんだろう。そのままの意味なのか、何か裏があるのか。


 考えても分からないから、考えることを止めた。


 星空を見ていると、なんだか歌いたくなってきた。


 夜の公園で、そよ風が吹く中、一人寂しく、『ないものねだり』を歌唱した。

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じゃない方アイドルの憂鬱 藍沢シュン @kusunokisan

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