第8世界


 薄闇の中で目を覚ますと、身体にどうしようもない程の重さを感じた。言葉にできないだるさが全てを覆っている。頭はズキズキと痛むし、横になっているだけでも身体は鉛のよう。


 なんとか近くのローテーブルを支えに身体を起こすと、ぼんやりとした頭であたりを見回した。自室だ。自室には違いないが、なんて酷い有様だろう。


 取り込んだ洗濯物はその辺に積み上がり、仕事の書類は床に散らばったまま。それに反して台所は生活感のない綺麗さだというのに、ローテーブルの上はカラになった酒缶や薬の瓶が山となっていた。



「今何時かしら……」



 壁にかけられた時計はシンプルさを売りにしたもので、ただ三時とだけ示している。これでは午前か午後かも分からない。やっぱり新しいのを買わないとだめね。


 わたしは床を這うようにして移動すると、あまり遮光の意味を成していないカーテンの隙間から外を見た。天上にはお月様が二つ昇り、水もないのに魚が空を泳いでいる。

 昼の三時か、と呟くも、昼の三時にしては夜中のように暗く、飲食店の光が煌々と輝いていた。


 不思議な違和感を覚えつつも、この第8世界では普通のことだった。どうして忘れていたんだろう。



 それに、先程までなんだか夢を見ていた気がする。内容はちっとも思い出せないが、机の状態を見るによく生き返ったものだ。


 わたしは窓に身体を預けながら、ぐるぐるとした視界の端に天上の月を捉える。




「───珈琲」




 恐らく、こんな胃も内臓も血液もボロボロの状態で、絶対に飲むべきものではない。だが、今は目が覚めるくらいのうんと苦い珈琲が飲みたくて仕方がなかった。


 よたよたとよろけるようにして台所へ向かいながら、最低限のお湯を鍋で沸かし、カップにインスタントコーヒーを用意する。もちろん、規定量より若干多めに。


 沸騰した湯を注いでいくと、部屋にふわりとした香りが漂い始めた。その場で一口啜るも、当たり前だが胃が受け付けようとしない。盛大に咳き込むものの、空っぽの胃は何も吐き出そうとはしなかった。


 かつて、これほど体調の悪いことがあっただろうか。代償は大きく、立っているのも限界だった。必要以上に動きたくはないが、わたしは床を這いながら慎重に窓辺へと移動し、懲りずにもう一度珈琲を啜った。



「………苦」



 果てしなく苦い。そして胃がじりじりと灼けるようだった。それでも何故だか美味しいし、涙は勝手に流れだす。ほんと、自分の身体なのにちっとも言うことをきいてくれないんだから。



 でもまあ別にいいじゃない。貯金だってまだあるし、仕事だって探せば沢山ある。太陽のある世界や水中世界だって、他の世界にはあるんだもの。選択肢が浮かばなかっただけで、移住できないわけじゃない。


 それに、どこにだって珈琲はあるし、空には月が昇っている。魚だって空を泳いでいられるのよ。


 そう、なんとでもなるのよ。怖いのはそう、きっと最初だけなんだから。




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【完結】はざまの第7世界 片霧 晴 @__hal07

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