第25話 セイレーンの嘆息
ナイジェルは、夕暮れの街角で足を止めた。
光を帯びて浮かぶ立体広告に、狐型ペットロボ〈ヴァルペキュラ〉が映っている。
家族とヴァルペキュラが仲良く過ごす、いくつものシーン——
宿題中の子供のそばで、寄り添うヴァルペキュラ。
湯気の立つ湯呑みを前に、高齢者の話に耳を傾ける。
水辺ではしゃぐ子供たちと並んで、しぶきを上げながら駆け回る。
映像は、次々とシーンを変えながら続いていた。
『ヴァルペキュラは、ただのペットロボットではありません。あなたの家族の一員になる存在です。——賢くて可愛い狐型ロボットペット〈ヴァルペキュラ〉、ついに抽選販売エントリー開始!』
ジェスターと見紛う姿をしたAI狐ロボが、愛らしい表情でこちらを見上げている。
「……本当に、そっくりだ」
ナイジェルは広告に目を奪われたまま、動けなくなっていた。
隣を歩いていたフレデリコも立ち止まり、ナイジェルの視線の先を見た。
「ああ、こんど売り出すAI狐ロボか。……たしかに、よくできてるなあ」
笑う彼の横顔を見ながら、ナイジェルは数日前の出来事を思い返していた。
フレデリコのバイト先を荒らしていたエセ貴族たちは、なんと本家が爵位を剥奪され、首都星系から追放された。
一度だけ店に押しかけてきたが、わらわらと湧いた航宙保安官に引っ立てられていった。
何か起きても、何も起こらないとはこういうことか、と居合わせたナイジェルは妙に感心してしまった。
ニュースによれば、所領で過剰な税を取り立てていたとのことで、今後さらに厳しい処分が下される見込みという。
詳しいことはわからないが、おかげでフレデリコのバイト先は平穏を取り戻していた。
「ヴァルペキュラって商品名、地球時代の星座の名前らしいぜ」
星座——かつて地球の夜空に描かれていた幻想の線。
人の想像力が物語を重ね、名を与えた巨大な絵画。
今では、その多くが、古びたデータベースの中に眠るだけだ。
同じ空を見上げることは、もう誰もできない。
「この狐ロボットにはちょっと憧れるなぁ」
フレデリコは、子供のような笑顔で頬を緩めていた。
ロボットなら、ペット禁止の下宿でも飼えるのだ。
「地球時代の星座、か。不思議な響きだね」
ジェスターの様子は、ニールからときどき伝え聞いていた。
どうやらムルムルの説教も無事に終わったらしい。
叱られてしょんぼりしていたものの、元気にやっていると聞いたときは、思わず笑ってしまった。
星にまつわる神話や伝説を、きっとジェスターは気に入るだろう。
いや、故郷にある本を全て読んだと豪語していた彼のことだ。
すっかり覚えてしまっていて、得意げにナイジェルに教えてくれるかもしれない。
「そうか?ええと、きつね座かこぎつね座か、どっちかだと思うぜ」
「へえ、詳しいね、フレデリコ」
「たまたまさ。最近、フクロギツネの学名を講義で聞いたんだよ」
動物好きの彼は、必修以外でも生物科学系の講義をずいぶん多く履修していた。
「トリコスルス・ヴァルペキュラ、だったかな。
学名って、なんか人名よりカッコいいよな。
歴史の偉人より覚えやすくて……テストじゃ逆に紛らわしいんだけど」
「わかる。ラテン語って何かこう、惹かれるものがあるよね」
大通りの信号に引っかかった二人は、横並びで立ち止まり、再び音楽が流れてくる方に目を向けた。
CMというのは不思議なもので、視線を奪い、音楽やフレーズが、するりと頭に染み込んでいく。
「百万カウリかー! 高いけど、高くはないんだよなあ」
「ちょっと高い犬や猫と同じくらいの値段だしね」
ヴァルペキュラは高級家電の範疇に入るのだろうか。ナイジェルは思わず考えてしまう。
「警察庁が導入するくらいだし、駆動系にはかなり金かけてると思うぜ。
泳げるし、AI搭載で会話もできる。利益出てんのか?
っと、俺んちあっちだから、明日、一緒にレポート片付けようぜ!」
フレデリコは交差点を指差して手を振り、そのまま歩き去っていった。
ナイジェルは彼がたどり着いた疑念に同意する。
高度なAIを搭載し、自律的に動作するペットロボット。
かなり無茶な価格設定なのでは…と気になっていたのだ。安すぎる、という意味で。
「ヴァルペキュラか……」
通りの向こうを見ても、ジェスターの姿はない。
彼は今、ウィグナー家で静かに過ごしている。
尻尾をゆらゆらさせながら、また辞書でも読んでいるだろうか。
街を歩けば、あちこちで狐型ロボットのポスターや看板が目に入る。
「すごい……。ほんと、どこ見てもヴァルペキュラだらけだ」
ナイジェルは、ライトアップされた広告のひとつを見上げた。
『海と大地と、繋がる絆。躍動する知性を、いつもそばに』
『ヴァルペキュラ —— あなたのもとに、未来のカケラを。ミナカミ・インダストリー』
シュレディンガー辺境伯が所有する、大手企業のひとつ。
家電から量子コンピュータまでを手がける、王国が誇る電子産業の巨人である。
ポスターに描かれた狐型ロボットは、みな人懐こい目をしていた。
AI狐ペットの技術は、確かに——驚くほど高度だ。
けれど、あの辞書を読むジェスターの姿には、きっとまだ追いつけていない。
航宙保安省の総旗艦候補は三隻。いずれもローレライ級戦艦で、その時点でシュレディンガー辺境伯が乗艦している艦が総旗艦となる。
ジークリンデは第二艦隊旗艦〈セイレーン〉艦橋で、ムラサメとムルムル相手に八つ当たりしていた。
「ペット用は、何体売れても赤字なのよー!」
だん、と指揮机を拳で叩く。ジークリンデの声は怒りというより、嘆きに満ちていた。
第一艦隊が総点検と休暇に入ったため、彼女は第二艦隊の指揮座に一時的に移っていた。
「すまねぇ、ご当主。うちのやつがすまねぇ」
ムルムルが、金魚鉢のような巨大な水槽から頭だけ出して浮かびながら、平謝りする。
水槽は艦橋の景観を著しく損ねているが、テウメッサ族が快適に過ごすには必要な設備だ。無くても死にはしないが、落ち着かない。
「しかし閣下。この狐ロボの予約数は、凄まじいですよ」
売れすぎて困りますな、とムラサメが追い打ちをかけた。
「でしょうね。破格だもの。『信頼のミナカミ・インダストリーが脅威のコストダウンを成し遂げた』……成し遂げてないっ!」
ジークリンデは空中に投影していた経済誌の電子版をぺいっと放り投げ、壁にぶつけて消し去った。
早急に『森』を作ることはできるだろう、だが、しかし。
駆逐艦一隻より低コスト、とジークリンデは虚しく自身に言い聞かせた。
「おう、ご当主。悪ぃな。うちの子らがさ、人間とちょいと遊びたがっててさ。
けどまあ、こんだけ宣伝して売れりゃ、俺たちも隠れやすくなるだろ? うちのやつら、狐のマネ得意だからよ」
「閣下。テウメッサ族が街に溶け込める環境づくりの一環と考えれば、この計画は一定の成果です」
「狐のフリをしても無駄って言ってるでしょう。それに、狐は人語を話さないわ」
ジークリンデはムルムルの言い訳を冷たい声で切り捨て、なんだかんだとテウメッサ族に甘いカウロ少将を、視線ひとつで黙らせた。
「……簡単に捨てられないよう、いろいろ盛り込んだのが敗因ね」
彼女は机に頬杖をついた。
テウメッサ族が――彼らそっくりのロボットたちが、ゴミとして捨てられていく姿を見たら、きっと悲しむに違いない。
規格外の頑丈なボディを与え、テウメッサ族そのものと見まごう動作をヴァルペキュラに叩き込んだ。
警察庁への導入は、水陸両用という仕様に説得力を持たせるためだった。テウメッサ族そっくりの姿を与えるには、そうした正当性が不可欠だった。
開発費用も製造コストも跳ね上がったが、ヴァルペキュラに水かきを付けるには他に手が無かった。
テウメッサ族と狐は似て非なる存在だ。ジェスターが「狐の振り」をしても、ごまかしきれない。
巨額な経費は、密航を許した自分の責任として受け入れよう。
だが、ウィグナーの甘さと無責任さには、どうしても腹が立つ。
(ウィグナーを当てに出来ぬと判断したから、万が一に備えてテウメッサを保護するシステムを警保局用ヴァルペキュラに仕込むのだけれど)
「これっぽっちも安心できない…っ」
ジークリンデは机に突っ伏した。
「何をですか?」「何ですか閣下」「何がだよ?」
カウロ少将とムラサメとムルムルが口々に尋ねた。
「ジェスターとナイジェル・マクスウェルよ!ぽろっと口を滑らせそうじゃない」
「おう?!そりゃまずい!ナイジェルの友達にもバレちまうのか」
「あー……そうですね。閣下がちゃんと脅さないから」
ムラサメはジークリンデに冷たい眼差しを向けられ、咳払いをした。
「閣下。監視をつけましょう、テウメッサの」
「もはや、本末転倒もいいところね。誰を出すの?」
「ムルムルの息子フルフルが希望しております。ぎっちり〆てやると、すごい剣幕で」
「あの子なら真面目だから、任せられるかしら」
ヴェルザンディ市立大学に通わせている諜報員候補を王立大学に編入させて、フルフルにはヴァルペキュラの振りをさせればよい。
「せめて、王都じゃなくて――うちの領都だったら」
ぼやくように言って、ジークリンデは机の角を指先でなぞった。
「小姑みたいですよ、閣下」
「汚れを確かめたわけじゃありません」
シュレディンガー辺境伯領、領都ヴェルザンディ。
王国第二の都市で、王国一の治安の良さを誇る街だ。
なんでもお祭り騒ぎにしたがる領民性が特に顕著で、少々節操が無いようにも思われるが、経済が回るので好きにさせている。
ヴェルザンディならジェスターが喋ってうろついたところで、ご当主がまた何か作ったのか、で流されるだろうに。
なによりテウメッサ族が勤務する研究施設がいくつもあるし、ジークリンデの祖父、デッカー・シュレディンガーが領主代行としてたいへん元気に統治しているから安心だ。
「昔からニールはいろいろ詰めが甘いのよ。…ねぇ、ムルムルはどうしてセイレーンに乗ることを希望したの?」
研究者となる道もあっただろうにと、ジークリンデはつねづね疑問に思っていた。
ムルムルは祖父の祖父の代、〈セイレーン〉の進水式から乗艦している最古参のクルーだ。
セイレーンの進水式は百年以上も前のこと。
つまり〈セイレーン〉を含めたローレライ級戦艦は百年越えの高齢艦である。
「貴方たちは研究好きだし、平和主義だと聞いているわ。無理に軍艦に乗らなくてもいいのよ」
ジークリンデの声に、ムルムルは答えず――水槽の底へ静かに沈んだ。
敷き詰められた砂利の上、仰向けに体を浮かせる。
その周囲では、ワカメが水流に身を任せ、ゆらりゆらりと揺れている。
ムルムルは答えず、水槽の底へとゆっくり沈んだ。
敷き詰められた砂利の上に仰向けで横たわり、夢の続きを見ているようだった。
「……お嬢には、まぁだ話してなかったっけな」
水底からゆっくり浮かびあがり、金魚鉢の水面に鼻先を出す。
「俺たちテウメッサの平和主義は、ご当主と同じさ。だから戦えるし、守るんだよ」
「……私は平和主義者かしら。ムラサメ、カウロ、どう思います?」
ジークリンデは指揮座の両脇に控える両名に問いかける。
「しなくて済む争いを避けるという点では、十分に平和主義者を名乗る資格をお持ちかと。専守防衛は相対的平和主義の基礎ですし」
第二艦隊司令官のカウロ少将は直立不動の姿勢を崩さずに答えた。
反対側のムラサメ大佐は対象的に指揮座の背もたれに肘をついて体重を預けている。
「手段を選ばず、十重二十重に策を巡らすからそう見えませんけどね。閣下は手段は選ばないけれど目的を選びます」
異論はねぇようだぜ、とムルムルは水面で一度くるりと回って水槽の縁に顎を乗せた。
「俺たちはよ、ずっと縄張りや飯の取り合いをする必要が無かったんだ。星で一番頭がいいし、海でも森でも陸でも住める。強いやつは滅多にいねぇ。いたとしても海から陸、陸から森、森から海と逃げられる」
ムルムルは水槽の中をくるりと回って、語り続ける。
「納豆菌が来るまでは、—— で死ぬテウメッサがたくさんいたから、テウメッサ同士で殺し合う理由が無かったんだ。争う理由が無いから、平和だっただけさ。海にいても、森にいても、陸にいても—— から逃げられなかった。戦うことすら出来なかった。テウメッサはこのまま死んでいくんだって、ご先祖たちは思ってた」
静まり返った〈セイレーン〉の艦橋で、ちゃぷんと小さな音がした。
例の病原菌は滅びがあまりにも急で、人が名付ける暇さえなかった。
「このままテウメッサがみんな死んじまったら、テウメッサはどこにも、なんにも残せないって、ご先祖たちは気がついちまった。伝える相手がいねぇ」
一族の記憶を口伝で受け継ぐために彼らは言語を進化させてきた。
やがて彼らの言語は圧縮ファイルのような性質を持つにいたり、友情も喪失の悲しみもその日の風の匂いも、全てを詰め込むことができるようになった。
反面、文字という発想に到達しなかったがゆえに、口伝が途切れれば途切れてしまう脆弱さを抱えていた。
「ご当主、俺たちにとっては、死ぬことよりも忘れられることの方が怖いんだ。死んで、忘れられたら……俺たちは存在した価値が無くなっちまう。星の間で死んだら、土に還れないけど、雲から覗く星になるからいいんだ」
「貴方たちは、忘れ去られたくないのね」
「テウメッサがテウメッサで在ることを脅かすやつとは戦う。シュレディンガーも、ウィグナーも、王国も、ずっと俺たちを星ごと守ってきた。セイレーンに乗れば、自分の手で星を守れる。なぁご当主。三代目が悪いやつのせいで怪我して帰ってきたとき、たくさんの人間が帰ってこなかった。たくさんの友だちが、雲から覗く星になった」
協商が侵略戦争を仕掛けてきたときのことか。と、ジークリンデは理解した。
恥知らずな侵略者どもをEN1701星系に侵入させぬために、当時のシュレディンガー家は多大な犠牲を払った。
「納豆菌は、強い。—— をやっつけちまった」
「……そうね。」
真面目で深刻な話をしているのに、ジークリンデはなんとも微妙な心境だ。
ご当主は納豆菌だ、と言われたらどうしよう、と。
星や月や氷に喩えられるのにはうんざりしているが、それでも菌はやめて欲しい。
「テウメッサは、悪いやつは大嫌いだ。だからさ、人間の中でも、一番強いのがいいんだ。俺様は、セイレーンに乗って宇宙で働きたいんだ。星の間を飛びたいんだ」
「これは大変。一番強くならなきゃいけないのね」
あらあら、とジークリンデはさほど困った様子も見せない。
足りない力は札束で補えばよい。同じ土俵で敵と戦う気など最初から持ち合わせていないからだ。
「ご当主は強い。人間の中でも一番強い。歴代のご当主の中でも、お金の遣い方じゃダントツだ」
ムルムルは水槽の中で器用に前足を組んでジークリンデを見つめた。
「だと良いのだけれど。まぁ。当家は王国一のお金持ちですから、遣い方が下手ではお話にならないわ」
ジークリンデは指揮机の上に顎を乗せた。
「……ご当主。あんがとよ」
「ムルムル。感謝の気持ちがあったら、うちの子らを躾けてちょうだい」
「へいへい。第二艦隊は俺様がばしっと、しごいてやっからよ」
ひぇ、と第二艦隊の艦橋クルーは息を呑んだ。
ムルムルは鬼教官なのだ。
「まずはジェスターに口伝を授けてやらにゃいけねぇな。おら、ペレ助、ワープのクールタイムとっくに明けてんぞ。ヨタカはしっかりクルーに目を配りやがれ」
「ムルムルさん、俺の名前はペッレグリーノ・ペッレグリネッティです!それに口を挟める空気じゃなかったでしょ!」
機関管制オペレーターから抗議の声が上がる。
「名前が長ぇ。戦艦に乗ってんだ。常在戦場、雑談なんざ遠慮なくぶった切れ。女を口説いていようが、夫婦喧嘩をしていようが、職務が最優先だぜ」
艦長のヨタカ中佐は触らぬ神に祟りなしとばかりに、無駄な反論はしない。
どちらの喩えも、航行中の艦橋どころか人前で口にすべきではない。ヨタカはそう思ったが、賢明にも口には出さなかった。
「閣下、再ワープ可能となりました。これよりワープに入ります」
〈セイレーン〉は淡金色の艦体をワープゲートに溶け込ませると、夢が覚めるようにその姿を消した。
雲外星天 ―くものうえにはほしのそら― 籥莉 潮 @feliciaux
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