第2話 メイドの少女エリー
「おぉ……めっちゃ広……」
扉の向こう。
開けた薄暗い屋敷の内部は、きれいに掃除されていて、そのうえ豪華で美しかった。
傷だらけの足の裏を、柔らかな赤い絨毯が受け止める。白い壁には細やかな模様が刻まれていて、柱の装飾も細かく彫り入れられた美しい造詣だ。真正面には階段が伸びており、真上には、明かりは灯っていないが、磨き上げられた透明なシャンデリアが吊り下げられている。
「18世紀ごろに、ある伯爵の方が所有していた屋敷でしてネ。それなりに良い家デショウ?」
「それなりに、なんてもんじゃありませんよ!すごい豪邸じゃないですか」
お城の中身を実際に見たことはないけれど、きっとこういう内装なのだと思う。シャンデリアなんて初めて見たし、こんなにフワフワの絨毯も、初めてだ。
ついこの間までいた孤児院は板張りで、いつも隙間風が吹き込むような建物だったし、風が吹いても壊れる心配が少しもなさそうな時点で、豪邸と言っても差し支えないとぼくは思う。
「お褒めにアズかり光栄デスね。きっと他も見てみたら驚きマスよ。……エリー!エリー!こちらへ!!」
ぱんぱん。管理人さんが掌を打ち、奥の廊下に向かって呼びかける。
数秒後、「はあい!」と可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
奥の廊下から軽やかな足音が聞こえてきて、小さな女の子が飛び出してきた。
「このコは、この屋敷でメイドとして働いてイル、エリクシーですヨ」
「メイドもいるんですか!?」
豪邸に、メイドだなんて、いよいよ本当に絵本の中の世界みたいだ。
メイドの女の子はちょろちょろっと小リスのように素早くぼくの目の前に駆け寄ると、ぱっちりと大きな丸い瞳でぼくの顔を見つめて、スカートのすそをつまんでお辞儀をした。
「こんにちは。あたし、エリクシーっていいます!みんなはエリーって呼んでるわ」
赤い癖毛が印象的な、目のぱっちりと大きな少女だ。
頭の後ろで黒い大きなリボンを結んでおり、肩ほどの長さでさっぱり髪をまとめている。
白い、所々汚れのついたエプロンがメイドとしての仕事ぶりを雄弁に語っている。膝より少し長めのスカートから、白くて細い足がスッと伸びている。年齢は13歳ほどだろうか。
小動物のようにうるうるとした丸い大きな瞳が愛らしい。
「エリー、コチラはピーター・ガルニエ殿デス。入居希望のチラシを見て、来てくれマシタ」
「まあ!入居希望の方なの!」
エリクシー――エリーは、ぱっと目を輝かせた。
驚きと喜びが混ざったような、くりくりの目がぼくを見上げる。
「じゃあ、アナタこれからここに住むのね?わあ……嬉しいな!」
両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、小さく跳ねるような仕草。
まるで本当に嬉しそうに、心から歓迎してくれているようだった。
「まだ決まったワケではありまセンけどネ。……ササ、エリー、オモテナシの用意をしてクダサイ!」
「分かったわシンシャ!じゃあ、まずはお風呂に入ってもらいましょう!随分ボロボロだし、それに……こんなことを言っては失礼だけど、ちょっと臭いわ。何日お風呂に入っていないの?」
エリーがぼくの姿を見て無邪気にそう言った。こんな少女にまで自分のみすぼらしい恰好を見られて少し恥ずかしいが、隠すこともできないので、少し居心地が悪い。
エリーは指折り指折り、これからやることを反芻している。
「ええと、まず熱いお風呂を沸かさなくっちゃね!そしたら清潔でキレイなお洋服も用意して……あ!お靴もいるわね!ああ、それから、みんなのお夕飯も作って、お部屋の片付けもしなくちゃ!わあ、お仕事がたくさんだわ!」
エリーは嬉しそうにくるくるとその場で回りながら、忙しいけれど幸せそうに予定を口にしていた。
その姿はまるで踊る妖精のようで、見ているだけでこちらまで顔がゆるんでしまう。
「そんなにたくさん、一人でできるの?」
思わず、ぼくは聞いてしまった。
「ご心配には及びマセン。エリーは容姿こそ幼いデスが、優秀なメイドですカラ」
「ふふん、そうなの!あたし、優秀なの!エリーに任せなさい!」
エリーは胸を張って、得意げにウインクを一つ。
その様子はあまりにも自信満々で、思わずぼくもくすっと笑ってしまった。
「それでは、エリーにお客サンのオモテナシはお任セしまショウ。ジブンは地下室の掃除をしてキマス」
「まっかせて!じゃあじゃあ、まずはお風呂ね!お風呂場はこっちよ!」
エリーは軽く跳ねるように笑い、すぐにぱたぱたと駆けていく。
赤い癖っ毛が、後ろで結ばれたリボンと一緒にふわりと跳ねた。
ぴょんぴょんと跳ねる赤毛とリボンを追いかけて、ぼくも屋敷の奥の廊下へと歩く。
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エリーに案内されながら、屋敷の奥へと進む廊下は、ひんやりとしていて静かだった。
全体的になんだか薄暗いものの、壁に掛けられた古めかしい絵画や、たまに現れる彫刻付きの花台が独特の雰囲気を醸し出していて、ただの「古い屋敷」とは違う、特別な空間に感じられる。
「ねえ、ピーターさんって、どこから来たの?」
エリーが振り返りながら、ぱたぱたと歩きつつ聞いてくる。
「え?ああ……東の……首都のほうにあった孤児院からだよ」
「まあ。首都って、ずいぶん遠くから来たのね」
エリーが口許に手を当てて、真ん丸の目をさらに大きく見開いた。
ぼくは手の中のチラシをいじりながら、無言でこくりと頷く。
「ぼく……孤児院の人たちに嫌われてて。院で起こった都合の悪いことは全部ぼくに押し付けられたんだ」
……思い出したくもない、ひどい思い出だ。
物心つく前に親を亡くし、孤児院に入れられた。ことあるごとに言われたのは、「お前の両親が死んだのはお前のせいだ」という言葉。子供同士で喧嘩が起こったり、泥棒に食糧庫が荒らされたときだって、何もしていないのにぼくのせいにされ、その度にぶたれたり、暴言を吐かれたり、食事を抜かれたりしていじめられたのだ。何をしても全部ぼくのせいにされるから、ずっと、誰もいない書庫で本を読んで過ごしていた。誰にも会わずに、一人きりで。
「これ以上いじめられてたまるか!って思ってさ。後先考えず飛び出してきたんだ。……あんなところ、二度と戻りたくないよ」
「……そっか。……いろいろ、大変だったのね」
エリーの声が、憐みの色を帯びる。
丸い瞳が悲しそうに潤んだのが見えた。
いけない。こんな小さな子の前で暗い話をしてしまった。これから暮らすかもしれない家のメイドさんを悲しませてどうするんだ。ぼくはあわてて、わざとらしいくらい明るい声で、話題を変えた。
「あ……でも、今はとっても幸せだよ!こんな素敵なお屋敷で暮らせるかもしれないなんて、ホント、夢みたいだし……管理人さんも、エリーもやさしいし!」
「……ほんと?」
エリーがこちらを向いたので、ぼくは勢いよく首を縦に振った。実際、このお屋敷に住めるなら本当にありがたいし、管理人さんやエリーの優しさには感謝している。こんなボロボロのぼくのことも嫌な顔一つせず家に入れてくれて、今だってお風呂まで入れてくれるというのだから。
エリーは顔をあげて、にっこりとほほ笑んだ。
「ならよかった!このお屋敷、ちょっと変なところもあるけど……住めば都よ!きっとアナタも、気に入ると思うな」
「……変って?」
ぼくが聞き返すと、エリーは一瞬だけ歩みを止め、小さく首をかしげた。
「うーん……説明するの、難しいの。お風呂に入って、スッキリしたら、また教えてあげるね!……さ、ここがお風呂場よ。待ってて、すぐにお湯を沸かすから!」
エリーはそう言って軽やかに、浴室の扉を開け、風呂の用意を始める。
ぼくはエリーの後姿を眺めながら、エリーの呟いた「このお屋敷の変なところ」について、ぼうっと考えていた。
アイオーン館の終夜奇譚 麦ノ蜜柑 @mg_straw
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