旅路

カニカマもどき

私は

 私は歩く。

 目的地はない。

 計画もない。

 なぜ歩いているのかと問われれば、「何か面白いものが見つかるかもしれないから」と答えるだろう。

 ただ、私が本当にそう思っているのかは、私自身にもよく分からない。


 私は、開けた国道沿いの歩道を歩く。

 車通りは多いが、歩行者は私ひとりだ。

 前方の空には、もこもことした入道雲。

 容赦ない日差し。

 生ぬるい風。

 先ほどから、伸び放題の草木が左右から顔や肩に当たってきて、大変歩きづらい。

 なるほど、この道は歩くには向かないのだな。次に通るときは、歩行以外の手段を選択するのがよかろう。

 そう思いながらも、私はたぶんまた、この道を歩いてしまうのだ。


 私は歩いて、住宅地を抜ける。

 塀の上にいる猫と目が合えば、会釈をする。

 犬の声がすればその姿を探し、元気な様子を確認して、目を細める。

 きれいな庭を見れば、畏怖の念を覚える。

 見通しが悪い十字路ではカーブミラーをじっと覗くが、直での目視や音に頼ったほうがよいような気がしてくる。

 当てずっぽうで近道を試みると、大抵あらぬ方向へ進んでしまうので、あきらめて元の道へ戻る。


 私は、橋の上を歩く。

 十数メートル程度の、そんなに長くない橋を。

 風が強い。

 眼下の川では、鯉や亀がゆらゆらと泳いでいる。

 こうして川を眺めていると、たまに吸い込まれそうな感覚に陥り、ぞくりとするので困る。

 あなたには、そんな経験はないだろうか。

 あるのだろうか。

 などと言っているうちに、何事もなく橋を渡り終える。


 私は、海辺を歩く。

 足の裏に砂の感触を味わいながら、波の音に耳をすませる。

 ざざん。

 ざざん、ざざん。

 川と違って、吸い込まれそうな感じはしない。

 あの感覚は、高所だからこそのものなのだろう。

 ただ、海は海で、別種のぞくぞくというか、ざわざわとした感じを覚える。

「釣れますか」

 誰かが、唐突にそう尋ねてくる。

 釣れるわけがない。私は釣りをしているのではなく、歩いているのだ。

 そう答えようとして辺りを見渡したが、誰もいなかった。


 私は歩いて、山を登る。

 吸い込まれそうな感覚を味わいにきたわけではない。ただ歩いていく先に山があっただけだ。

 雨が降ったようで、地面はぬかるみ、木々には水滴がついている。

 岩や木の根を踏むとつるりと滑るので、いささか歩きづらい。

 こう歩きづらいと、手元や足元に意識を集中せざるを得ず、あれこれとものを考える余裕がなくなる。まあ、それはそれでよいのかもしれない。

 ただ体を動かす。

 滑って転ばないよう、足を踏み出す場所を的確に選ぶ。

 登りがきつくなれば、手近な木や岩を掴み、また寄りかかり、上半身を支える。

 下りは下りで、滑落しないよう、足元にいっそう集中する。

 私は、効率よく山道を歩く機械と化す。

 

 私は、荒野を歩く。

 どうやってここにやってきたのか、どこに向かっているのかも分からない。

 土が渇いており、ざっ、ざっと歩くたびに砂埃が舞う。

 ざっ、ざっ。

 ざっ、ざっ、ざっ。

 なんだか足音が多い。

 私の、すぐ後ろに、何かがいる。

 振り返り、見上げると、怪物がいた。

 体長2.5メートルはあろうか。

 鬼か、熊か、悪魔か。

 そのどれとも言えない、影のような、真っ黒な怪物。

「グゥルルァ!!!」

 怪物が爪を振りかざし、私に襲いかかる。

 体をひねり、転ぶようにして、なんとか避ける。

 よろけながら起き上がり、身をひるがえして逃げ出す。

 逃げる。

 逃げる。

 何だあれは。何が起こっているのだ。

 どうやって逃げればいい。あれは、走って逃げて、振り切れるようなものなのか。すぐに追いつかれるのでは。追いつかれたらどうなる。

 そこで、ふと思う。

 あのような怪物にやられて終わるのなら、そんな劇的な終わり方なら――この、終わりのない旅の幕引きとしては、ふさわしいのではないか。

 当てもなく歩いて、歩いて歩いて、歩きながら、私が求めていたのは、私を終わらせるものだったのではないか。

 そう。それが正しいようにも思える。

 しかし本当にそうか。

 それでよいのか。

 理屈で考えても仕方がない。

 考えるな。いや、難しく考えるな。

 単純に。率直に。私が、本当に大切にすべき、いや大切にしたいものを確認しろ。

 私は、本当は――――

「グゥルルルル!!」

 怪物の爪が迫る。

 恐怖を押しのけ、意識を集中する。


「ガァルルオォゴァァア!!!!!」

 

 なるべく最小限の動きで爪を避け、怪物を真っ直ぐに睨みつけながら突進し――勢いのまま、飛び蹴りを入れる。

「グルル……」

 きれいに入ったと思ったが、あまり効いているようには見えない。私の足の痛みのほうが大きいのではないか。

 急に動いたためか、今さらながら、旅の疲労がずっしりと全身にのしかかる。

 息が上がる。

 喉がひりひりするし、肩は重いし、足は棒のようだ。

 爪が頬にかすっていたらしく、切り傷ができていて、痛い。

 だが、泣き言は後だ。

 今、動かなければ。

 満身創痍の体を引きずる。

 砂を握り、ばら撒く。目潰しの効果を狙う。

 四足歩行でずりずりと怪物に近づき、その低い姿勢のまま、足払いを繰り出す。

 一度では倒れないので、何度も、何度も。

「オラァァ!」

 足払い。すね蹴り。目潰し。足払い。足払い。繰り返す。繰り返す。


 どのくらいそうしていたのか。

 気づくと私は怪物に馬乗りになっていた。

 ぼろぼろだが、勝ったのだ。

 頭を。頭を攻撃して、とどめを――


 ………………


 …………


 ……



 私は、広い草原を歩く。

 うららかな日差しと、鳥のさえずりが心地よい。


 あの怪物はというと、私の体に溶け込むようにして消えてしまった。

「あれはもともと、私の影だからな」

 つぶやいてから、そういうことだったのかと思った。


 そんなことより、素晴らしい景色だ。

 見渡す限りの美しい草花。

 菜の花みたいな黄色い花と、とても鮮やかな、橙色や赤色の花と……

 うん、語彙と教養と表現力が足りない。



 私は歩く。

 なぜ歩いているのかと問われたら、「いろいろ足りないから」と答えるのもよいだろう。

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