世界終末訓練

D野佐浦錠

世界終末訓練

 その日、世界中のテレビやインターネット放送、SNSは全ての報道をストップし、突然次の内容を放送した。


「相互確証破壊の原則に則り、世界全域に人類の保有する全ての核ミサイルが発射されました。これより20分後に人類は滅亡します」


 人々はパニックの極みに落ちた。

 各国で暴動が起き、株価のグラフが崩壊し、SNSは怒りと悲しみと呪詛の文字列によってサーバーダウンした。何かに抗議するかのように世界のいたるところで火の手が上がった。

 テレビの画面を前に茫然と固まる人もいれば、絶望の叫びを上げて泣く人もいた。僅かな生存の可能性に縋ろうと、必死で地下を目指す人もいた。天使が喇叭ラッパを吹く代わりに、都市で銃が乱射された。


 20分後に、各国の政府から追加の発表がなされた。


 「これは世界終末を想定した訓練であり、核ミサイルは発射されていません。世界は滅亡しません」


 世界各国の政府が協力して企画された、それは訓練だったのだという。

 世界は安堵し、その後に怒り狂った。

 各国の政府や国連に非難が殺到し、トップの首がすげ替えられた。

 それでも時間とともに、人々の生活は元に戻っていった。世界は滅びることなく、それまでの通りに動き続けた。

 終末の20分間トゥエンティ・ミニッツ・オブ・ドゥームズデイ

 その狂騒は、歴史に残る一幕となった。


 この20分の間に、私の片思いの相手は高校の校舎から身を投げて死んだ。


 5限目の授業の最中だった。

 突然告げられた「20分後に世界が滅びる」の報に、私たちのクラスも大恐慌を起こしていた。

 訳も分からず泣き叫んだり机を叩いて暴れたりするクラスメイトが大半だった中、椎名晃輝しいなこうき君は何かに耐えるように瞑目していた。

 私はその時、彼から目を離せなかった。私自身だってもちろん頭の中は大パニックを起こしていたけど、それとは別に、この人はこの状況で何を感じて、何を考えているんだろうと思った。密かに椎名君に憧れていた私は、彼の心の内を知りたいと思っていた。

 

 終末を告げる放送から僅か5分足らずだった。椎名君は決然と立ち上がると、クラス中に向けてこう宣言した。

「俺の人生が、核戦争なんてものに決められてしまうなら!」

 それだけ言って、窓を開けて椎名君は躊躇いもなく身を投げた。

 終末の告知がただの訓練だとわかったとき、校庭には既に黒い血溜まりができていた。椎名君は頭蓋骨が砕けていて、即死だったそうだ。彼が何を感じ、何を考えていたのか、知る機会は永遠に失われてしまった。


 あの訓練には何の意味があったのだろう。

 20分後に世界が終わるなんて状況、その時にはもう全てがどうしようもなくなっていて、事前に備えていたところで何かが好転したりはしないだろうに。

 終末を突きつけられることで人類は「気高さ」を得た、というのが一つの通説らしい。

 生きることの誇りと、限りある時間の大切さを強く意識して人は生きるようになった。それは人類の種族としての成長なのだという。

 そうなのだろうか。気高さなら、たった5分で命をなげうった椎名君が誰よりも持っていたのではないだろうか。

 どうして椎名君は死ななければならなかったのか。 

 それはもう誰にもわからないし、私は青い恋の決着をつけられないままに生き永らえてしまっている。


 あれから7年が経って、私は大学で世界史を専攻し、卒業後に輸入食料品を扱う商社に就職した。

 歴史を学びたいと思ったことには、あの世界終末訓練と椎名君のことが少なからず影響している、と思う。あの時、何が起きたのかということを私はやはり知りたかったのだ。

 でも、結局は何もわからなかった。

 歴史を学べば学ぶほど、人が人を理解することも、歴史に意味を見出すことも根本的に無理なのではないか、なんて諦めが私の中で増していく。

 たとえば18世紀、ボストンの港で盛大な茶会が開かれた背景には民衆の大いなる怒りがある。そういう物語は理解できる。でもそれは私たちに理解できるように整理された物語に過ぎないのではないか、とも思う。

 同じアプローチで私が椎名君のことを理解できると言ってしまったなら、それはきっと厚顔無恥なことだ。

 

 実際、あの訓練の後、核廃絶の動きは大きく前進した。世界終末の可能性を目の当たりにして、いくつかの内戦も終わった。

 出掛けに喫茶店でコーヒーを飲む。豊かな焙煎香と気持ちの良い苦味が、心と身体を落ち着かせる。

 手頃な値段で口にできるこのコーヒーの原料の豆は、地球の裏側で子どもの重労働によって生産されているのかもしれない、という視座を持てるくらいには私も成長した。それは「気高さ」なのだろうか。成長と言いながら、ある種の傲慢さを身に着けただけに過ぎないのではないか。そういう居心地の悪さが、たまに纏わりつくように感じることもある。

 核の射程に入っているという意味で、地球上の全ての場所は世界の果てだ。「世界は狭い、世界は一つ」なんて小さい頃に聞いた歌の意味を、こんな形でこの身に刻まれるとは思っていなかった。


 電車を降りて、地元の住宅街を歩く。

 小さな掲示板に「核兵器の全面的廃絶を!」と訴えるポスターが貼ってあった。小学生が授業で描いた作品だという。一見代わり映えのしないこの町にも、終末を乗り越えた「気高さ」が息づいているのだろうか。

 

 世界終末訓練の日は、椎名君の命日でもある。

 私は彼の実家で毎年線香を上げさせてもらっている。クラスメイト皆で始めたことだったけど、7年が経って、通い続けるのはもう私だけになっていた。

「毎年ありがとうね」

 と椎名君のご両親が言ってくれる。

「晃輝のことを忘れないでいてくれて」

 ご両親の姿は、喪失が今でも続いていることを私に理解させる。痩せた身体、落ち窪んだ瞳。年月としつきだけによるものではなかった。

 私は椎名君のことを忘れたことはない。でもそれは、ご両親が椎名君のことを思う気持ちの何十分の一にも満たないだろう。

 遺影の前で手を合わせる。

 椎名君。私の好きだった人。私は椎名君の恋人にはなれなかったし、友人であったかどうかさえも怪しい。でも、私は椎名君のことを忘れたくないと、今でもそう思っている。


 椎名君の命は失われてしまって、それはもう覆しようのない事実だった。

 忘れないことが大事なのだろうか、と私は思う。

 人々に記憶される出来事とそうではない出来事があって、前者の集積が歴史と呼ばれるようになっていく。

 そういう流れの中で、私みたいな人間が椎名君みたいな人のことを忘れないようにと願うこと。それは大切なことで、人類が獲得したとかいうそれとは違う種類の気高さだと信じたかった。

 身勝手で、盲目的で、何も変えられず、でも小さな意地に支えられて。きっとその気持ちは祈りに似ていた。

 

 だけどきっと、私は最後には椎名君のことを忘れてしまう。私は私の人生を生きて、恋愛をして家庭を築いて、その間に少しずつ私の中に占める椎名君の思い出の割合は小さくなっていく。

 世界の終わりを告げた虚報「終末の20分間」は、色々な理由や意味を与えられて歴史の中の1ページとして残るのだろう。私は椎名君の死をそんな風に扱いたくはなくて、理解可能な形に整理された物語にはしたくなくて、だから、わたしはきっといつか椎名君のことを忘れてしまう。


 終末を迎え損ねた世界で、私は今日も少しずつ椎名君をうしない続けている。

 さようなら、椎名君。

 いつかあなたのことを忘れてしまうその日まで、私はあなたを忘れないから。(了)

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