幻葬

多胡しい乃

⠀ ⠀ ⠀

 桜が今年も散っている。桜はまた春が来たら花を咲かせるけれど、貴方はどうですか。未来は散っているのか、はたまた再生しているのか。未来は未だ来ないから未来なのに。来るのを待てばいいのに。待たなかった貴方は、未来が永遠に来ない其処で何をしているのですか。


 桜はずっと散っていて、私だけがそれを拾っている。指先が真っ白になって、ふやけて剥けて血が滲むまで、拾っている。

 

 貴方の笑う顔はダンゴムシみたいで儚い。だから最期まで、貴方に触れなかったの。――貴方は美しい。

暗い空に浮かぶ貴方の匂い。生臭い匂い。貴方は生きていたのね。貴方がキライだった桜が今年もちゃんと散りますよ。私はただ待つの。そのあとは美しい世だから。貴方の言っていた通りに――。

貴方はもうすぐ消えてしまうのよ。写真も動画も、思い出も全部、消してしまった。

 

 「桜ってキライ」と貴方が言ったとき。

私は返事をしなかった。いや、できなかったの。

 

 机の中に手紙が入っていた。誰からでしょう。木みたいなこの私に、いったい誰が手紙を書いたの。

インクは血の匂いがして、行間が歪んでいる。

「お前は人間ではないのだから、黙っていなさい」

そう書いてあった。私の字だった。

 

 コンクリートの壁にヒビが入っている。朝になるたび増えている。母が遺した綺麗な布の中から、気に入ったものを選んで縫い合わせて、素敵な壁紙を作ったの。ヒビを隠して、正気を保った。なんだか落ち着いた。母さんはこの、緑色の鳩の描かれた生地が好きだったでしょう。この、ひん曲がった口が好きだったのでしょう。私とおんなじだって、喜んだでしょう。


 誰かが、笑いながらコンクリートの中から叩いている。あれは誰だったのでしょう。独りで何度も問うたの――答えは最初から、分かっていたけれど。

 

 冷蔵庫の中から鳴き声がした。生気のない声だった。独り暮らしのウチにあったあの鶏肉は、きっと私が買ったのね。

透明なパックの中で、指のようなものが動く。私はそれを見て泣いた。この鶏肉なら理解してくれるでしょう。――鶏になって、すべてを忘れたい。

私はそれを炒めて、味噌で煮た。美味しかった。美味しくてまた、泣いた。

 

 貴方の名前を忘れてしまった。貴方という存在だけは鮮明に思い出すのに――。

笑った貴方の顔が、本当は愛おしかった。私は毎晩貴方を眺めていたのに、気がついたときにはもうそれは燃えて無くなっていた。

 

 母の布が尽きると、我慢できなくなった私が出てきた。ごめんなさい。もうすぐ逢いに行きます。私は私と、私に寝たの。

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幻葬 多胡しい乃 @takosumi

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