1−3.ごめんなさい

 それを連れてきたのは、シェムエルの隊商だった。途中、龍に襲われたのを助けられたという。


 傷を手当するために、その男の身を改めた。

 見たところ男のようにしか見えなかったが、男のものは付いていなかった。あるいは乳房や女のものも。

 どこもかしこも傷だらけではあったが、白い髪と白い肌の、美しく、また逞しく引き締まった肉体だった。


「“まこと白きもの”でしょうか?」


 シャンタがいぶかしげにそう言った。

 そういう伝承があるということだけ、アニルは知っていた。それもアニルたち黒きエルフではなく、白きエルフのそれである。


「凶兆が龍を殺すか?」

「あれが龍をほんとうに殺したというならば」

「ただの白いやつだ。耳も長くないしな」


 龍殺し。

 そんなもの、聞いたことがない。

 あれは災害のようなものだ。相対するという発想すら、思い浮かばない。


「しかし難儀ですね。シェムエルも言ってましたが、おしだとは」

「なに。言葉が違うだけかもしれん。俺が行って、話してみるさ」


 男は、寝台の上でぼうっとしていた。

 アニルはその横にしつらえた椅子に腰を掛けた。

「俺の言っていることは、わかるかね?」

 男はゆっくりと、こちらを向いた。そうして、こくりと頷いた。

「名は?」

 その問いに、いくらか男は難しそうな顔をした。そうして宙空で、その指を何度か動かした。


 ミュザと綴ったようだった。


 ふむ、とひと息入れ、アニルは腰を浮かせた。

 そうして男の額に、指を当てた。

「これで、どうだろうか?」


 男は、はっとした顔をした。

「変な感じだ」

「だろうな。頭の中に直接、声が聞こえるだろう」

「うん。そして、それにこうやって答えることができることも」

「我らエルフの神通力じんつうりきさ。ちと疲れるかもしれんが、これでやってみようか」

「ありがとう。そして、ごめんなさい」


 ふと、違和感を感じた。

 ミュザの頬は、濡れていた。


「どうしたよ?」

「おれは産まれてはじめて、人と話すことができた」

「そうか。そうだよな」

「これが、おれの声なのだな。そうしてこれがきみの声。これが、話をするということなのだな」


 そうやってしばらく、ミュザは泣いていた。

 アニルは黙って、それを見ることしかできなかった。


「ミュザというのは」

 ひとしきり落ち着いてから、アニルは問いかけた。

「結構、珍しい名前でね。シェムエルの息子ぐらいしか聞いたことがなかったが」

「うん」

 そうしてミュザは、静かに瞼を閉じた。

「ミュザがいなくなるとき、おれに名前をくれた。おれには名前がなかったから、ミュザのありがとうを、ちゃんと聞いてあげられなかったんだ」

 予想はしていたが、語彙はつたなかった。


「だからいつか、おれはミュザに、ごめんなさいをしなければならない」


 ひとすじ、流れた。


「助けてあげられなかった。そうして、ミュザのありがとうを、ちゃんと聞いてあげることができなかった。だから、ごめんなさいをしなければならない」

「そうか。そう思うなら、いつかすればいいさ。俺たちにしてみれば、俺やシェムエル、そして死んでしまったミュザはお前に感謝をしなければならないから」

「感謝?」

「お前の言葉でいうところの、ありがとう、だ」

「そうか。ごめんなさい。俺は難しいことばがわからないから」

「それでいいさ、ミュザ」

 伝えながら、アニルの瞼もまた、重くなった。


「龍を殺していると聞いた」

「うん。おれは、あいつらをゆるせない」

「そうか」

「あいつらは、おれの産まれ育ったところを焼いてしまった。おれを育ててくれたひとたちをも、一緒に」

 それを伝えたあたりで、ミュザの顔はぐしゃぐしゃに崩れた。そうして、いろんな名前と、ごめんなさいが、伝わってきた。


 荒廃の三龍。

 いまやこの地を併呑し、すべてをほしいままにしている存在。


 このコルカノの地の祖たる双角王そうかくおうたおれて間もなく、その混乱に乗じて攻め入ってきた。

 恐ろしい物量と暴力。その前にすべてが焼き尽くされた。

 人もエルフも、ただ逃げ惑い、滅ぼされるだけだった。


 無論、対抗しようとするものもいた。

 しかし結局、誰も歯が立たなかった。

 それだけやつらは強大であり、残忍であった。

 我々はずっと昔に、心を折られていた。


 この男はそれでも折れず、めげず、抗い続けていたのか。


「俺もそうさ。バララーマのアニル。そして今は寄るなきアニルだ」

 かざした手は、いつの間にか震えていた。

「諦めてしまった。折れてしまった。それでもお前は。お前だけは、諦めきれなかったのだな?」

「うん。おれは、あの森とあのひとたちしか知らなかったから。あれが、おれの知っているすべてだったから。そうしてそれがすべて、なくなってしまうことに、耐えられなかったから」

「すごいやつだ、お前は。そうとしか言えない」

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとう」

 震える手で、ずっと、伝え続けた。感謝を。


 体中に刻まれた傷が癒えるまで、ここにいることを勧めた。

 ミュザはありがとうと言って、そうすることにしたようだ。


 ひと月ほどして、白きエルフの一群がこちらに流れてきた。

 居住区コロニーが襲われ、焼かれたのだという。


「赤い龍の一団だった」

 ヤンネと名乗った若い男。唇を噛み締めていた。表情から、居住区コロニーを焼かれたことより、アニルたち黒きエルフとともにいることの屈辱の方が大きいように思えた。

同舟相救どうしゅうあいすくうとも言う。今はいがみ合っている場合ではない。ここも襲撃に備えなければならない」

「わかっている。ともに大精霊の加護を」

「大精霊の加護を」


 襲撃の備えをしているとき、ミュザが近づいてきた。手を取られる。

「おれも、たたかう」

「今は休め、ミュザ。お前の体は、まだあまりよくない」

「それでもだ。どうかきみに、ありがとうをさせてほしい」

 目には、決意の色を宿していた。

「ありがとう、ミュザ」

「ありがとう、アニル」


 ミュザの戦い方は、人づてに聞いていた。

「これを使うといい」

 そう言って、ふたつ、渡した。装束とロープだった。

「火除けの装束と自在ロープだ。双方、俺たちエルフの魔法が施されている。ロープはお前が念じた分、伸び縮みする」

「ありがとう。やってみる」

 笑顔を返してくれた。


 斥候。青い顔で返ってきた。

 龍、三匹。こちらに飛んできているという。


「下級の龍だ。それでも火を吹く」

「女、子どもは火除けをして中へ。戦士は死ぬるときぞ」

「黒どもにばかりいい格好はさせん」

「それでこそだ、白ども」

 弓兵隊。それと白きエルフの魔法部隊。


「それにしても」

 ケルッコと名乗った男だった。

「あのミュザとかいうやつ、信用できるのか?」

「音に聞いた龍狩りだ。やれるはず」

「白い髪、白い肌、そして薄い瞳。信用できん。凶兆。“まこと白きもの”だ。そんなやつと」


 右手に感触だけあった。ケルッコは吹っ飛んでいた。


「同胞を信用できんとあらば、ここから出ていくがいい」

 それだけ吠えてやった。まわりの黒きエルフたちは快哉を上げていた。


 ミュザはやぐらの上に昇っていた。

 そうして剣を引き抜き、構えていた。


 地平線の果て。影、三つ。

 来る。


「魔法防御、用意」

 叫んだ。それからすぐだった。


 熱波。でもまだ、耐えきれる。

「弓兵、応射」

 ぱらぱらと矢が飛んだ。やはり龍の鱗までは貫けない。


 影ひとつ、感じた。

 ミュザだった。

 飛行する龍の背に、飛び乗っていた。

 そうしてそのが付いた剣を、何度も突き立てている。


 そうやっているうちに、その龍は地面に墜落した。

 背に乗ったミュザを巻き込みながら、ごろごろと転がっていく。


 別の龍。熱波を吹いた。倒れた龍ごと、ミュザを燃やしにかかる。

 それでも装束に施した火除けの魔法は、ミュザの体を守ってくれていた。

 熱波を浴びながら、そのまま飛びかかる。顔面、いや、眼窩。そこに剣を深々と突きたてていた。

 絶叫が上がる。そして、歓声。


「龍狩りミュザに遅れを取るなっ」

 吠えていた。叫びながら、やぐらに昇っていた。

 昇りきったあたり、やぐらに最後の一頭がしがみついてきた。


 口が開く。

 熱波。まずい。


 その頬に、剣が突き刺さっていた。

 ミュザの剣。


 剣の柄頭に巻き付けていたロープ。

 それが、縮まる。

 ミュザの体が、一瞬でやぐらまで飛んできた。


「大事ないか、ミュザ」

 言ったぐらいだった。


 足元が、ぐらついた。

 やぐらが傾いている。

 崩れる。


「ミュザっ」


 できたのは、それぐらいだった。


「状況を。それと、負傷者を運び出せ。白どもに魔法で治癒させろ」

「アニル。今はお前が」

「俺に構うな。龍を、ミュザを、そして皆を」

 口は、動いてくれた。それも、しばらくの間だけだった。


 手に、感触があった。

「アニル」

 瞼を、開いた。

 ミュザの顔だった。泣いていた。

「アニル。ごめんなさい、アニルが」

「俺が、どうした?」

「アニルの、足が」

「ああ、どうりで」


 痛みはなかった。白きエルフがきっと魔法で治癒してくれたのだろう。

 同時に、感覚もなかった。


 龍は三匹とも、撃滅できていた。

 死者は十名程度。重傷者は三十名程度。

 その中には、アニルも含まれていた。


 復興には、かなりの時間を要するようだった。

 それでも白きエルフやミュザたちの手も借りて、なんとかなりそうだった。


「随分と急かしてくれましたね」

「ミュザを心配させたくないからな」

「ほんとう、ミュザ、ミュザって。惚れちゃったのかしら?」

「ああ。きっとそうさ」


 シャンタが持ってきてくれた。

 トチの木で作った義足。

 神通力じんつうりきで動かせるものだった。


 姿を見せるなり、ミュザは血相を変えて抱きついてきた。

 そうしてぼろぼろと泣いていた。


「よかった、アニル。いなくならなかった」

「心配性だな。それにお前はほんとう、泣き虫だ」

「だって、アニルの足がなくなったと思ったら、あるんだから」

「大丈夫さ。俺にはまだ、俺がある」


 そう言って、笑ってみせた。

 それでミュザも、笑ってくれた。


「それでもやっぱり、ごめんなさい」

 ぽつりと、悲しげな顔で。


「白いひとたちが言っていた。おれは悪いものだって。悪いものを運んでくるものだって」

「気にすんなよ。ただの思い込みだ」

「いなくなってしまったひとも、いっぱいいる」

「おはかを建てよう。それでいつでも、ありがとうとごめんなさいが言えるから」

 伝えると、ミュザはきょとんとした顔をした。

「おはか。そういうものがあるんだよ。いなくなってしまったひとに、ありがとうとごめんなさいをいうためのもの」


 そうして、アニルはミュザを墓所まで連れて行った。


 ミュザはそれを見て、ただ涙していた。


「これが、いなくなってしまったひとたち?」

「そうだよ、ミュザ」

「こういうかたちで、また会えるんだね?」

「そう。そしてお前は、ありがとうとごめんなさいができるんだよ」


「ミュザにも、おはかを」


 そこまで出て、ミュザはかがみ込んでしまった。


 触れなくても、伝わってきた。

 嬉しさが。そして感謝と謝罪が。

 ありがとうと、ごめんなさいが。


「行くのかい?ミュザ」

 旅立ちの日。ミュザは寂しげに微笑んでいた。

「おれはおれのお願いのために、そしてみんなのお願いのために、龍を倒すと決めたから」

「ありがとう、ミュザ。叶うといいな。そしてまた、会えるといいな」

「ありがとう、アニル。おれのはじめての、話し相手」

「そういうのを、友だちって言うんだぜ。ミュザ」


 そうやって、手を離した。


「おしゃべりなやつだったよ」

「そうですね。少しだけ聞こえましたが、ほんとうに」

「きっと今まで、寂しかったんだろうさ」

「言葉を話せないかわりに、あの方は涙するのでしょうね」

「ああ、そうかもしれない」

 シャンタとふたり。ずうっとその背を眺めながら。


 ありがとう。そして、いってらっしゃい。


(つづく)

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神炎-the Spritfire-(読み切り版) ヨシキヤスヒサ @yoshikiyasuhisa

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