金の包丁、銀の包丁
蓮村 遼
あなたが落とした物はなんですか?
海太郎は急いでいた。
師匠からのお遣いの帰り道。師匠は短気で、普通に歩いて帰ったくらいでは遅い!!と
(今日は店の主人に捉まっちまったからな…。師匠の拳骨は嫌だな。そうだ!近道するか。)
海太郎がえっほえっほと藪をかき分け脇道へと入る。少しすると横に湖のある少し開けた場所に出たのだった。こちらは近道だが、湖の縁は湖側に傾斜しておりよく転落事故が起きていた。中には亡くなる人のいるそうで…。
海太郎は幸いにもそのことを思い出し、できるだけ湖から離れて急ごうとした。しかし、そこには運の悪いことに、ちょうど人が躓きそうな石ころが。
海太郎はすっころんでしまった。
さらに運の悪いことに、海太郎が抱えていた荷物が湖にコロコロコロリンと落ちてしまったのだった。
「あー!!」
海太郎は手を伸ばしたがその手は空を掴み、荷物は全て湖の中に落ちてしまった。
何とか拾わねばと海太郎が周囲を探すが、湖の中を突っつけそうな棒や、腕を伸ばすのに掴まることのできそうな枝などは一つもなかった。
こうなれば、自分が湖の中に入って…と衣服に手をかける海太郎であったが、金づちであることを思い出した。
途方に暮れていると、何やら湖の中から泡が噴き出し、それは徐々に量を増した。良く見ると湖底から何かがせり上がってくるではないか。
海太郎が後ずさり、しかし視線はそのせり上がる物体を捉えていると、それは女であった。黒く長い髪、白い浴衣のような着物、そのような恰好の女が湖の中から姿を現した。海太郎が腰を抜かし、口をあわあわさせていると女はほほ笑み海太郎に尋ねた。
「もしあなた。あなたが落としたのは、この金の刺身包丁ですか?」
「…え?」
「ですからね?あなたが落としたのは、この、金の、刺身包丁ですか?」
濡れた女の手には金色に輝く刺身包丁が置かれていた。柄まで金色に輝くそれは、大層高価なものに見えた。
海太郎は腰を抜かしたまま、首を横に振って答えた。
「いいえ、女の方。私が落としたのは金の刺身包丁ではありません。」
女はあら、と今度は懐から何やらを取り出した。
「失礼しました。では、あなたが落としたのはこの、銀の刺身包丁ですか?」
次に女が取り出した包丁もまばゆく銀色に輝き、よく砥がれた刃をしていた。
「いいえ、女の方。それも私が落とした物ではありません。」
「そうですか、ではこれはどうでしょう?」
女は懐からピカピカに磨かれた三徳包丁を取り出した。
「あなたが落としたのは、この三徳包丁ですか?よく切れてなんにでも使えます。」
「いいえ。私の落としたのは使い古された汚い包丁です。」
女は満足そうに微笑むと、海太郎を見下ろすようにせり上がり、海太郎に首を伸ばした。
「あなたは正直な方ですね。正直なあなたには、この金と銀の刺身包丁、よく切れる三徳包丁を差し上げます。」
海太郎は、差し出された三本の包丁を叩き落とし、女に向かって叫んだ。
「あんたの茶番に付き合ってる場合はねんですよ!!早く!私の落とした物を返してください!あれがないと、もう拳骨五発でも済まなくなってしまうんですよ~!!」
海太郎は懇願した。女はぽかん口を開け、自分の叩き落とされた手と地面に落ちている包丁を見比べていたが、慌てたように懐をまさぐった。…奥に入れているためか、なかなか探し当らない様子である。
「~!!!早くしてください!うちの店の…、浦島寿司の銘が入ってる柳刃と出刃と薄刃ですよ!師匠の…、大将の相棒なんです!無くしたなんて言ったんじゃあ、殺される…」
海太郎は湖よりも顔を青くして地団駄を踏む。女は必死になって懐から刃物を取り出した。牛刀、日本刀、木刀、フェンシングの剣、メイス…。ありとあらゆる刃物の最後にやっと海太郎の望むものが飛び出した。
海太郎は急いで三本の包丁とビショビショの風呂敷をかかえ、転がるように店への道をひた走った。
風の噂では、海太郎は殺されこそされなかったものの、ひと月程度店に出してもらえず雑用の毎日であったとか。
また湖の女は、たびたび天気の良い日に陸の近くまで寄ってきて、懐の刃物の整理をしているそうな。
『昔は金とか銀とか、珍しい武器も欲しがる奴いたんだけどな~。皆夢見なくなってきたのかな?もっと実用的なものもラインナップに入れとかないと…。』
通行人はそんな女の話を、聞いたとか聞いていないとか。
金の包丁、銀の包丁 蓮村 遼 @hasutera
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