第3話


 ばったりと、建業けんぎょうの城の廊下で会った。


 お互い何となく歩いていたからか、少し驚いたように思い切り目が合ってしまう。


 

「……おう」


「……ああ」


 会わないようにしていたものだから、妙に気まずい空気が流れる。

 別に淩統りょうとうに会ったからなんだというわけでは甘寧かんねいはなかった。


(こいつが勝手に、変な顔しやがんだ)


 理由は分かる。

 陸遜りくそんのことを思い出してしまうから、気まずいのだろう。

 淩公績りょうこうせきは陸遜を慕っていたので、この失踪の真相が明らかになるのなら挑んで行けるが、最悪の事態を想像すると、考えたくないに違いない。


 かといって、こんなことをしても気が滅入るだけだ。


「お前いちいちそんな辛気臭ぇ顔すんなよな」

「はぁ?」


 いつも通り目線を反らして通り過ぎようとした淩統が、甘寧が突っかかったのでその時だけは剣呑な表情で顔を上げた。


「俺は生まれた時からこーいう顔だ」

「へー。んじゃてめぇは生まれた時から辛気臭え奴なんだな」

「なにぃ!」

 淩統が怒鳴って胸倉を掴んで来る。

 だがすぐに舌打ちをして、手を放した。


「お前と遊んでる暇はねえんだよ」


 歩き出した。



「――――おまえ。陸遜が戻って来ないことも覚悟しとけよ。」



 淩統の脚が止まった。


「自分が動けなくなる理由を陸遜のせいにすんじゃねえぞ。

 あいつはどんな時も、どんなことでも真剣に、懸命にやる奴だ。

 その陸遜が戻って来ねえなら、どっかで心は決めねえと」


 振り返った淩統は変に冷静な顔をしていた。

 フッと笑うが、唇だけだ。


「……へーぇ……お前にそんなこと言われると思ってなかったな……」

「ああ?」

「戻って来なかったら終わり? 呆気ないもんだな。

 少しは自慢のごろつきの部下に探らせようとか、抵抗しないのかよ」

「やれることは全部やっただろ」

「ちょっと意外だったぜ……。お前は、他の誰が陸遜様のこと諦めても、自分は見つけ出してやるくらい言うのかと思ったよ」

「俺も暇じゃねえんでな」


 淩統の挑発を感じて、今度は甘寧が歩き出す。


「だからお前も、いつまでも辛気臭ぇツラ見せて呉軍の士気下げんな」


 

「甘寧! てめぇッ!」



 淩統が甘寧にもう一度掴みかかった。


「陸遜様はお前を一番信頼してたんだぞ! なのにそんな簡単に諦めんのかよ!」


「何が簡単だ。お前は陸遜様陸遜様ってぴよぴよ慕って後ろついて歩き回ってたけどな。

 陸遜は単に名門の御曹司って奴じゃねえ。

 自分に動ける体がある限り這ってでも、俺のとこに連絡を付けて来る奴だ。

 今まで色んなことがあったけど、一度もあいつは絶望したことはない」


 凌統はぎくり、とした。

 陸遜の泣いた横顔を思い出したのだ。

 龐統ほうとうの身体を火葬した時、その火の揺らめきを見つめながら、泣いていた顔を。


「その陸遜がこんなに長く、戻って来れねえってんなら、俺はその意味を考える。

 陸遜だってそれを望むはずだ。

 自分がいなくなったからといって俺が立ち止まることは、決して望まない。

 陸遜がいなくなったって俺は何も変わんねえ仕事をここでする。それだけだ。

 それが、俺があいつに約束したことなんだ。

 俺だけじゃない。

 例え俺が逆の立場になったって、あいつには同じ誓いを守らせる」


「だからって……」


 淩統は一瞬はたじろいだが、痛みを感じたように顔を歪ませた。



「…………人の死は、そんな簡単なことじゃない!」





「ねぇ、取り込み中悪いんだけど」





 突如女の声が響いた。



「「ああぁん⁉」」



 甘寧と淩統が同時に威嚇して振り返る。

 普通の女官なら二人の武将の威嚇に泣き出していただろう。

 だが現われた女は腕を組んで、呆れたような空気を出して二人の男を見ている。


「誰だよ、あんた」


「あんたたち館でもそうやって喧嘩してたわよね。このクソ暑いのに元気ねえ」

 甘寧が気付く。

「おまえ雷迅らいじんのとこの女だな」

「あら覚えててくれた?」

「覚えてるわけねーだろ」

「なによー。嘘でもそういう時は頷きなさいよね」

 文句を言いながら女は豊満な胸元から、文を取り出した。

「はい♡ 確かに渡したわよ♡」

「なんだこれ」

祖鑑そがんさまからのお手紙。わたしお使いなの」

「内容は?」

「聞かないで読みなさいよ。何のための手紙なわけ? じゃ、あたしは帰るわよ。

 こんな服、暑苦しくてまったく着てらんない」

 女は扇を優雅に扇ぎながら去っていく。


 甘寧かんねいは手紙に目を通した。

 淩統りょうとうも気になったが、彼はその場に立ち尽くす。


 あの賊時代の甘寧の知り合いには、陸遜の捜索を依頼してあった。

 その男から文が来たのだ。

 甘寧は躊躇いも無く読んだ。

 凌統は苛立ちを感じた。

 勿論、自分に対してだ。



 父親の死を、伝えられた時のことを思い出してしまった。

 その死に様の詳細を書かれた、文を読んだ時のことを。


 陸遜の心に周瑜の死と、龐統の死が暗い影を落としていたことは分かっていたのに、どうしてもっと、何かをしてやれなかったのだろう。

 後悔が胸に滲む。

 自分は父を失った時に苦しんだ。

 気が狂いそうなほど、苦しかったのだ。

 そこから救ってくれたのが陸遜だった。


(なのに俺は…………陸遜様が一番辛い時に何も出来ず)


 陸遜の死を今、伝えられたら自分はどうなってしまうのか。

 淩統は得体の知れない闇の底を、垣間見たことがある。

 あそこには二度と、戻りたくなかった。

 だから彼は躊躇ったし、怯えたのだ。


 甘寧は躊躇いも無く文を見た。

 陸遜の死の様子が書かれている可能性もある文なのだ。

 よく読める、と淩統は甘寧の剛胆に苦い気持ちになる。


(こいつの方が、確かに全ての覚悟が出来てるってことなんだ)


 甘寧の表情を凝視していたが顔に出た感情に、淩統は怪訝な顔になる。

 悲しみに包まれる顔じゃない。

 甘寧は読んだ瞬間、強く眉を深く寄せた。


「…………なんて書いてあんの?」


 最後の根性を振り絞って、尋ねた。

 読めよ、という感じで甘寧がぞんざいに布に書かれた文を放って来る。

 若干慌てた手つきでそれを受け取り、一つ息をしてから淩統は意を決して読んだ。



長安ちょうあんで【干将莫邪かんしょうばくや】という名の名刀が売れた。

 曹丕そうひの戴冠式の為の献上品候補だったらしいが、莫大な値で競り落とされた。

 競り落とした人間の詳細は伏せられていて分からなかったが、貧乏人には手の出せない名刀だ。

 値じゃ、お前の【無月むげつ】より上だな。

 買い手を探してお前が競り落としてみるか?』



 読んで数秒、一度では理解出来なかったので、複数回文章は読んだ。


「……なにこれ?」


 思わず呟いたのはそんな言葉だ。

 すぐに、沸々と怒りが湧いてくる。


「こんな時に武器交渉か⁉ 甘寧てめー! 

 やっぱりあの野郎どこまでもお前の賊仲間だな!

 陸遜様のことなんか依頼すんじゃなかったぜ! 

 ふざけやがって! 

 もういい! てめえらは勝手にやってろ! 俺は俺でやる!」


 文を地面に思い切り叩き付けて、淩統は歩き出した。


「おい、犬公いぬこう

「誰が犬公だ! 喋んじゃねーよ川賊せんぞく!」


 一瞬地獄の縁を見せられたような気持ちになった為、淩統は激しく激怒している。

 だが甘寧は真顔だった。


「落ち着け。

 ……陸遜は生きてるかもしれない」


 淩統が驚いた顔をした。

 だが陸遜は生きてるかもしれないと言いながらも、甘寧に笑みや安堵はなく、眉を寄せて厳しい顔をしていた。


 淩統は知らなかったようだが甘寧は【干将莫邪かんしょうばくや】がどういう剣か知っていた。

 彼は賊時代に、各地の名刀を部下に調べさせたことがあるのだ。

 

 雌雄一対しゆういっついの美しき名刀。


【星をまとう鳥】とも言われる孔雀が描かれている為、それが転じて【星喰ほしぐいの剣】の異名も取る剣である。


 陸遜りくそんが生きているかもしれない、そう思った時確かに喜びがあった。

 だがすぐに、ならば陸遜だったら自分の許に報せを取り付けるはずだという確信が、甘寧の表情を曇らせた。

 祖鑑そがんならばもう少し、仔細を知っているだろう。

 甘寧はすぐに歩き出す。



『甘寧どの』



 陸遜の声が蘇る。

 そしてその静かな琥珀の眼差しが。

 それは確か、人の人生には何が起こるか分からない、

 戦場で敵の捕虜になるかもしれないし、

 何か心の隙をついて、驕りの気持ちが現われ、道を誤ることがあるかもしれない、

 そういう話を酒の席で、冗談交じりに話していた時だったと思う。


 心配しなくてもお前はそういう質じゃねえと甘寧は笑い飛ばした。

 陸遜はそれに「ありがとうございます」と笑いながらも、

 穏やかな眼で甘寧の方を見つめて来た。

 それでも信じられないことが起こるのが、人の世だからと言って。

 


『もしこの先、私が悪しきものになったらその時は』



 ――――貴方の手で。





【終】

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花天月地【第16話 萌動】 七海ポルカ @reeeeeen13

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