第七章

デビュー作が発売されてから一年。


 **高山桃菜(たかやま・ももな)**の名は、業界内外に知れ渡るようになっていた。


 きっかけは、ある大手メーカーへの電撃移籍だった。高級路線の演出、雑誌グラビアとの連動、プロのメイクとスタイリスト。全てが「商品としての高山桃菜」を完璧に作り上げた。


 SNSでは毎日、彼女の写真が拡散される。歯並びも直り、輪郭もシャープに、唇はふっくら、瞳は華やかに整えられていた。


 “可愛い”ではなく、“美しい”と呼ばれるようになったのは、移籍後からだった。


 ある撮影の日の夜、都内の高級ホテルに一人で泊まった高山は、風呂上がりに姿見の前に立った。


 バスローブを羽織った自分の姿を見つめながら、うっすら笑みを浮かべた。


 「…完璧」


 そう呟いた瞬間、鏡の中に――


 もう一人の自分が立っていた。


 髪はぼさぼさで、ニキビだらけの頬。目元は腫れぼったく、鼻も潰れたように曲がっている。

 あの頃の横山桃菜――

 いや、“醜かった自分”が、そこにいた。


 「やっとここまで来たのに、何の用?」


 高山は冷たく問いかけた。


 だが、鏡の中の彼女は、ふっと笑った。ぞっとするような、嘲るような笑みだった。


 「綺麗になって、幸せ?」


 「ええ、もちろん」


 「じゃあ、なんで毎晩、誰かに抱かれても、終わったあと泣きたくなるの?」


 「……」


 「誰に見られても笑える顔になったのに、なんで鏡を見るときだけ、いつも眉間にしわ寄せてるの?」


 高山は答えられなかった。


 「言ってよ。あんたは本当に、“あの頃の私”を超えられたの? それとも、まだ私の中にいること、怖くて仕方ないの?」


 静寂の中、エアコンの低いうなり音だけが部屋に響いていた。


 高山は視線を逸らさず、震える声で答えた。


 「私は……あんたみたいには、戻らない。どんなに偽物でも、この顔で生きるって決めたの」


 鏡の中の彼女は、にやりと笑った。


 「じゃあ、せいぜい頑張って。いつか、“本当の自分”が誰だったか、わからなくなるまで」


 ふっと、鏡の中の醜い少女は消えた。


 残ったのは、美しく着飾った「高山桃菜」。


 だが、その顔には、ほんのわずかに――怯えの色が浮かんでいた。


 照明の下で輝くほど、影は濃くなる。


 かつて横山桃菜だった少女は、いまもなお、その影の中で、自分自身と戦っていた。

 

 引退会見は、清楚な白いスーツ姿だった。


 「AV女優・高山桃菜、引退。第二の人生へ」


 そう見出しが躍った翌月には、すでに彼女の名前を冠したアパレルブランド**「MOMONA.」**が立ち上がっていた。


 コンセプトは「再構築された私」。

 ミニマルで洗練されたシルエット、女性の体のラインを美しく見せるカッティング。どこか“鎧”のような構築的なデザインが特徴だった。


 SNSでは瞬く間に話題となり、元ファンだけでなく、ファッション感度の高い層やインフルエンサーが次々に着用し始めた。数年で都内に直営店を持ち、パリとソウルの展示会にも出展。年商は数億円に届いた。


 だが、成功すればするほど、「過去」はついて回った。


 ある日、高山はある百貨店の新ブランド発表イベントに招かれた。各界の女性起業家たちと並び、シンポジウムに登壇することになっていた。


 事前のリハーサルでは順調だった。


 だが、当日――

 彼女の登壇直前、会場の空気が一変した。


 「なぜ“あの人”がここに?」


 そう耳打ちする声。


 会場内の一部では、冷ややかな視線が向けられた。


 登壇後、司会者が高山に向けて言葉を投げかけた。


 「高山さんは…異色のご経歴で、話題を集められましたよね。“元AV女優”という点で、周囲の反対や偏見などは、ありませんでしたか?」


 瞬間、会場の空気がピリついた。


 高山は一瞬だけ間を置き、マイクを握った。


 「はい、偏見はあります。正直なところ、なくなることはないと思っています」


 笑顔のまま、彼女は続けた。


 「でも、私はその経歴を恥じていません。自分の選択だったし、その経験があったからこそ、今の“ブランド”があると思っています。どんな素材からでも、磨けば輝く。それを服で伝えたいんです」


 控えめな拍手が起きたが、冷たい視線は、完全には消えなかった。


 イベント後、ある新聞のネット版にこう書かれた。


 「話題先行の“元業界人”デザイナー――果たして“本物”か?」


 コメント欄には賛否が入り混じっていた。


 「過去がどうでも実力で勝負してるんだからすごい」

 「子供に見せたくない」「業界に居た人を持ち上げすぎ」

 「正直、使いづらい」


 華やかな店舗のショーウィンドウに、艶やかな光を放つドレスと、ポスターに映る微笑み。


 だが、高山桃菜は、その裏側で、いつも“見られていること”の重みを感じていた。


 どれだけ成功しても、完全には拭えない“レッテル”。


 それでも彼女は、ブランド名のタグを、自分の指で丁寧に縫い付けながら、こうつぶやいた。


 「それでも、私は、前に進むだけ」


 拍手の裏に、ささやく声がある。

 称賛の影に、蔑みが潜む。

 それでも――高山桃菜は、自分の人生を、自分の足で歩いていた。

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蓮美伝 パンチ☆太郎 @panchitaro

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