第六章
松井の卒業は、ある意味で当然の流れだった。
「体調不良による活動制限」「女優業への転向希望」など、公式発表はいくつも並んだが、現場の誰もが限界だと察していた。顔のやつれ、痣、日に日に消えていく笑顔。最後のライブでは、誰よりも明るく手を振った松井の姿が、逆に胸を締めつけた。
松井の卒業が発表されると、SNSでは惜しむ声とともに、「次のセンターは誰だ」という話題で持ちきりになった。
そのバトンを受け取ったのが、横山だった。
かつての“B2”からの這い上がり、整った容姿、バラエティでもドラマでも通用する器用さ。そして、なにより、松井の穴を埋められる存在が他にいなかった。
横山は、センターとしての初ライブで、涙をこらえながらマイクを握った。
「私たちの歌を、これからも届け続けます」
その姿に、ファンは拍手を送った。メディアも、持ち上げた。新センター・横山。ポスト松井の座。
だが、そこに立つことは、頂点に立つことと同義ではなかった。
光が強くなれば、影もまた濃くなる。
センターになって半年後。ある週刊誌が、衝撃的な記事を掲載した。
**《Sweet Drops新センター・横山、資産家との“高級ホテル密会”写真》**
記事には、深夜に高級ホテルへ入っていく横山の姿、翌朝出てくる姿が、はっきりと写されていた。
相手は30代の不動産業の男性。横山の整形費用や衣装の一部を“支援”していたという証言まで載せられていた。
最初は否定した事務所も、続報と証拠写真により、沈黙を強いられた。
ファンの間では、「援助交際なのか?」「整形の金を出してもらってたのか?」と騒ぎになり、かつての擁護の声は、同情と失望に変わっていった。
ライブでは、コールが薄くなり、SNSのコメント欄は、荒れていた。
そして、横山は、ブログで卒業を発表した。
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*「私は、Sweet Dropsで、たくさんのことを学びました。
でも、それと同じくらい、自分を見失いました。
人に見られることが当たり前になって、自分が何をしたいのか、わからなくなっていました。
この場所にいられたこと、感謝しています。
でも、私は、いったん、アイドルを降ります。
本当にごめんなさい。」*
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最後のライブでは、横山はセンターではなく、列の端にいた。
照明の中心にいるのは、すでに新しいメンバーだった。だが、横山は、それを見つめて、穏やかに微笑んでいた。
引退後、横山がどこへ行くのかを知る者はいなかった。
ただ一つ確かなのは、彼女が最後まで、アイドルであろうとしたことだった。
――そして、Sweet Dropsは、またひとつ、時代を終えた。
卒業から三ヶ月。横山は、東京郊外のマンションの一室で、誰にも見つからないように暮らしていた。
メディア露出は完全に途絶え、SNSも閉鎖した。街中で顔を見られるのが怖くて、昼間は出歩かなかった。
だが、誰もが彼女を忘れかけた頃、横山はある決断をした。
AV出演。
もともと、あのグラビア撮影の頃から打診はあった。露出度の高い衣装で注目された写真を、業界関係者が黙って見過ごすわけがなかった。
卒業後、表紙にもなれず、芸能界に戻るあてもない中で、唯一彼女に届いた「オファー」が、それだった。
ある日、横山は、かつてのマネージャーに電話をかけた。
「……私、出ようと思う」
「は?」
電話の向こうで、しばらく沈黙があった。
「正気か? 横山。お前、まだ若いんだぞ。やり直せるだろ」
「何で? 誰も必要としてない。だったら、自分で選ぶよ」
「後悔するぞ。いや、俺がさせない」
その声には、怒りと悲しみと、そして少しの恐怖が混ざっていた。
電話は一方的に切られた。
その翌日、横山は唯一の親友、高橋に会った。
二人が会うのは久しぶりだった。カフェの隅、高橋はアイスコーヒーを飲みながら、話を聞いていた。
「……出るんだ。もう、決めたの」
横山がそう言うと、高橋は一瞬だけ笑った。
「そっか。あんたらしいね」
「……引かないの?」
「引く? なにそれ。あんたが決めたことなら、応援するよ」
高橋は笑顔を崩さなかった。言葉に一切のひっかかりも見せなかった。
だが、その笑顔の奥で、高橋の心は凍っていた。
(結局、そこに行くんだ……。あんなに一緒に頑張ったのに、そこに“堕ちる”んだ)
高橋は、目の前の横山を見つめながら、心のどこかで、もう彼女を「仲間」とは思えなくなっていた。
(もう、私と横山は違う。別の場所に行くんだ)
だが、その感情を、表に出すことはなかった。
「応援してるよ。ちゃんと、見届けるから」
そう言って笑った高橋の目には、どこか冷たい膜が張っていた。
横山はその目を見て、何かを感じ取ったが、言葉にはしなかった。
その夜、横山は撮影会社の控室で、一枚の誓約書にサインをした。
「芸能人AVデビュー――元アイドル、衝撃の決断!」
そんな見出しが、ネットに踊るのは、その数週間後のことであった。
華やかなステージを降り、横山は別の“舞台”へと足を踏み入れた。
だがその決断の裏にあったのは、夢を失い、人を失い、自分自身の居場所を見つけられなかった一人の少女の、静かな諦めだった。
――そして、かつての「親友」たちは、その背中を遠くから見つめていた。
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