たとえば、こんな冬の朝

さなこばと

たとえば、こんな冬の朝

 今朝は、いつになく空気がひんやりしているように感じられた。

 ぼくは口元に手を当てて、温もりをえようと何度もあたたかな息をはきかけていた。はく息は真っ白だった。ぼくの指先はかじかんで痛くなっていた。まだ外に出たばかりであるにもかかわらず、強烈な寒さに襲われていた。ぼくは空を見上げた。薄暗く、つき抜けるような群青色の空に、雲はなかった。首に巻いたマフラーの位置を整えてから、ゆっくりと手袋をつけた。急いでも意味がないくらい、あたりは冷え切っていた。

 雪で彩られた山の端からまばゆい太陽が顔を出す前の、透明な青色の薄明かりにぼくは包まれていた。それはまさに冬の朝だった。それも、一番冷え込む時期の最も寒い時間帯にあたっていた。動いていないと凍えてしまいそうで、ぼくはその場で足踏みをしていた。

「わたし、一度でいいから日が昇る瞬間を見てみたいの」

 昨日、彼女はそんなことを言った。

 あまりにも唐突で、脈絡もなかったけれど、見たいという気持ちはぼくにも分かった。

 なにもこんな真冬に思いつかないでほしかった。しかし、思いつきというものはえてして突発的なものであり、文句を言ってもしかたないことだ。

 そうしてぼくは、冬の日の早朝に起きだすこととなった。あたたかな布団の恋しさを振り切って、すばやく着替えをして、洗面所で顔をあらって寝癖を直した。そして現在、外に出て極寒にさらされていて、体を小刻みに震わせている。

 ぼくの立っているところは、道が交差しているひと角にある、とても狭い空き地だ。そばには地域の地図が看板のように設置されていて、案内図の役割をはたしている。ただし、この地図をたよりとしている人に、ぼくはこれまで会ったことがない。定期的に新しくしているらしく、いつ見ても色はほとんどあせていない。込み入った住宅地の中で、目印にするには最適な場所だった。

 空き地のすぐ目の前には自販機があった。ひとまずホットの缶コーヒーでも買おうかと思い、ぼくは白い息をはきつつ歩いて近寄った。

 自販機はおぼろげな明かりを放っていた。あたたかさとはちょっと違う、無機質な明かりだった。明るさを発しているその内部には、いくつもの種類の飲み物が並んでいた。ホットコーヒーもあった。寒くなるとともに品揃えが入れ替わるというのは、ぼくたちが秋頃に衣替えするのと似ている気がした。装いもあらたに、ということだ。

 ホットコーヒーは微糖が好きで、選択には悩まない。甘いほうが体もあたたまるとぼくは感じる。熱を生みだすエネルギーの補給につながるからだろう。無糖では、瞬間的に熱くなっても、すぐに冷めてしまう。イメージと気持ちの問題でもある。感じ方は人それぞれで、ぼくの中では寒いときには微糖であたたまり、暑いときには無糖の冷え冷えを飲む。

 お金を入れてボタンを押すと、缶コーヒーは音を立てて落ちてきた。

 ぼくは少し気まずくなった。落ちるときの音がやけに大きくて、周囲に響いたからだ。

 ピンと張った静けさの糸が、わずかにゆるんだ。早朝に響いた音のせいで、どこかの家で夢のぬくもりにくるまっていた誰かが目を覚ましていたらと、ぼくは申し訳ない思いになった。

 そういうことをぼくが言うたびに、彼女は手で口を押さえて必死に笑いをかみころす。

「それは、あんまり考えなくてもいいことだよ。ちょっとした迷惑にもあたらないくらいの、ほんの小さなことだよ」

 そういうものか、とぼくは半分ほど納得する。彼女の言うことはたいてい信用できる。それでも残り半分で、ぼくは気にする。これはもう、生まれついての性分なのだ。

 出てきた缶コーヒーはとても熱くて、素手では持てずとも手袋越しにはちょうどよかった。でも、すぐに飲むのは難しいくらい、コーヒーの缶は熱を持っていた。しばらくはカイロ代わりにしようと思い、ズボンのポケットに入れた。

 彼女にもなにか飲み物を買うべきだろう。もうすぐここに現われる予定の彼女も、この冷たい空気にあたってきっと寒がっているはずだ。もこもことした服を着て、白い息をはずませて駆けてくる姿が浮かんだ。想像するとほほえましかった。ただ、早めに買いすぎて、手渡ししたときに冷めていてもよくないと思った。ぼくはもう少し待つことにした。

 ぼくと彼女は、ここで会う約束をしている。

 朝早くの時間の、誰も歩いていないこの場所で、ぼくたちは一緒に日の出を見るつもりだ。

 もしかしたら手をつないで。

 ひょっとしたら寄り添いあって。

 ほんのり淡い色合いをした、ゆるやかに明けてくる空を、ぼくたちはじっと見上げるのかもしれない。

 そんな幸せなひとときが、もうすぐ訪れるのかもしれない。


 細長い道の先に、ぼくへ向けて手を振る彼女がいた。

 ぼくは、いてもたってもいられなくて、彼女のもとへ駆け出した。

 ふたりがつくる距離は、どんどん縮まっていく。

 ぼくと彼女が手と手でタッチしあった瞬間。

 あたり一帯は、あたたかな太陽の光でいっぱいになった。

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たとえば、こんな冬の朝 さなこばと @kobato37

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