第6話 甘いココアと世界平和

 私には推しがいる。

 その子に出会ったのは、外回りの休憩にたまたま立ち寄った喫茶店で。彼はそこの店員だった。

 薄茶の髪と同じ色をした、ふんわりとした耳が頭から垂れているうさぎ族の男子高校生。名前は宇佐木うさぎくん、というらしい。

 初めてその喫茶店に立ち寄ったとき、私は取引先に少しきつい言葉を浴びせられたところで落ち込んでいたのだが、注文していたココアと「店長からのサービスです。お姉さん、元気なさそうだったので」とクッキーを載せた小皿を持ってきてくれた彼の微笑みに、胸を撃ち抜かれた。

 以来、私は自社からも自宅からも決して近くはないその喫茶店に、二週に一度ほどのペースで通うようになった。

 明らかに自分より年下の一般人を推しと称し、彼目当てで店に通っているのは多少後ろめたさはあるけれど……彼の明るい接客や笑みを見ると、ハードな仕事で澱んだ心が晴れていく。宇佐木君に会うたびに、彼は生けるオアシスなのではないかとさえ思う。

「お待たせしました、アイスココアとホットサンドです」

 夏の蒸せる夕をやり過ごすために、涼みと癒しを求め仕事終わりに喫茶店に訪れたその日。いつものように給仕してくれた宇佐木くんの指を、私はつい二度見してしまった。

「ごゆっくりどうぞ」

「あ、どうもぉ……」

 にこりと微笑み退がる宇佐木くんに笑みと会釈を返してすぐ、私はスマホを手に取った——宇佐木くん、ゆっ、指輪してたよね!? 右手の薬指に!!

 先々週まではなかったはずのそれ。恋愛とはあまり縁のない人生を歩んできたから確信を持てずに忙しく指を動かして調べてみると、やはり、想像通りのワードがそこに表示される右手の薬指に指輪をつける意味。婚約中や恋人がいる証。

 今までアクセサリーをひとつも点けていなかった宇佐木くんの指に突然現れたそれにとてつもなく驚いたものの、しかし心当たりはあった。

 以前に何度か、宇佐木くんの仕事終わりに遭遇したことがある。高校の制服であろうブレザーを纏った宇佐木くんが店長と挨拶を交わしていると、タイミングを計ったかのようにその子は来店する。

 長身に逞しい体つきを持ち、頭には犬よりも大きい灰色の三角耳を生やした、とっても美人で少し怖い雰囲気のその人。大人びているから、初めて見た瞬間は自分よりも年上の芸能人かなにかかと思ったが、その身には宇佐木くんと同じブレザーを纏っていた。

 宇佐木くんは彼が来店するなり瞳をぱっと煌めかせて、親しげに弾んだ声で「大神先輩!」と駆け寄った。そして、店長に一礼すると連れたって店を後にした。

 なるほど、学校の部活かなにかの先輩なのかな。もしかして、宇佐木くんがアルバイトしているのを見かけて寄り道してくれたのかな。見かけによらずやさしいじゃん、大神先輩……とそのときは思った。

 だが、その光景は宇佐木くんの仕事終わりに遭遇するたびに繰り返された。そうなれば、大神先輩の来店がどうやら偶然じゃないことは分かる。おそらく彼は、宇佐木くんの仕事終わりを狙って迎えに来ているのだ。

 大神先輩が来店したら二人はあっという間に帰路に就いてしまうから、彼らのやりとりはほとんど聞いたことない。それに大神先輩と対面するたびに宇佐木くんはとっても嬉しそうに表情を綻ばせるけれど、大神先輩はぴくりとも表情を動かさない。

 でも。ただの先輩が放課後の日没まで制服姿のまま、ただの後輩のバイト終わりを待つものだろうか。その光景をなんとなしを装って眺めている一客こと私に、何とも意味深長な眼差し……牽制の滲んだ眼差しを向けるものだろうか。

 そんなこともあって、私はふたりの関係がひそかに気になっていたのだが……あの指輪は、大神先輩が宇佐木くんに贈ったものなのだろうか。婚約指輪なのだろうか。想像しただけで甘酸っぱくて、気になって堪らなくなる。

 若者の青春にときめくあまり、つい火照った体をアイスココアで冷ます。お代わりを注文するため、という大義名分がありながらもどきどきとしながら、私は手を挙げ宇佐木くんを呼んだ。

「すみません、アイスココアお代わりをお願いします」

「はい。アイスココアですね。他にご注文はよろしいでしょうか?」

「あ、はい……あ、あの」

「はい?」

 日和りながらも好奇心を堪えきれず、ええいままよと私は首を傾げる宇佐木くんに言い放った。

「その指輪、素敵ですね」

 黒くて大きな瞳をぱちりと瞬かせた宇佐木くんは、やがてぽっと頬を赤らめた。

「ありがとうございます……その、大好きな人と交換してもらったものなので、褒めていただけて嬉しいです」

 大好きな人。心臓を撃ち抜く剛速球ストレート、致死量のときめきに私はちょっとばかり昇天しそうだった。

「ココアすぐお持ちしますね」とはにかんだ宇佐木くんがぱたぱたとさがっていく。ゆっくりで大丈夫だよ、私は当分回復しそうにないから……と思いつつ、ふと気づく。

 宇佐木くんはあの指輪をただ貰ったものではなく、大好きな人と交換してもらったものと言っていた。

 ということは、つまり。

 お代わりのアイスココアを提供してもらってから、少し。店の奥からブレザーに着替えた仕事終わりの宇佐木くんが出てきた。

 するとお約束通り、そのタイミングをはかって大神先輩が来店する。出来るだけ怪しくないように、けれど、決して見逃さないように私は彼の右手を見つめた——あった。薬指に、シルバーリング。

 宇佐木くんの薬指に嵌まっていたものとぱっと見似ているけれど、よく見ると幅や意匠が少し違う。あれはきっと、宇佐木くんが贈ったものなのだろう。このお店で働いて稼いだお金で……ともすると、私のお茶代が1ミクロンでも彼らの笑顔につながっていたりして。なんて思うのは傲慢か、と自嘲して、けれどそうだったら嬉しいななんて思いながら飲んだアイスココアは、いつもよりもいくらか甘く感じた。

 と、ちょっぴり強い視線を感じたので顔を上げれば、大神先輩がこちらを睨んでいるではないか。その迫力に一瞬どきりとしたけれど、よく見ればそれは拗ねているようでもあった。

 ううんなんてかわいらしい高校生カップルだことか。私は少し思案して、親指を立てて見せる。君が心配するようなことは何もしないから安心して!の気持ちで。

 そのときはじめて、大神先輩の端正な顔にわずかに困惑が滲むのが見えて、ちょっと面白かった。この喫茶店に通うことも、宇佐木くんを推すことも、かわいらしいカップルをひそかに応援することも、到底やめられそうになさそうだ。

 ふふんと笑いを零しながら、ココアを飲み、そういえば、と思い出す。近所のスーパーに、七夕に向けての笹飾りと短冊が設置されていたこと。毎年なんとなくで書いていた「世界平和」が、今年は思い入れを込めて書けそうだなとだと思った。

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××しやすい宇佐木くん 鈍野世海 @oishii_pantabetai

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